第2話

「それにしても、ソノコさんの仕事って一体何なんですか。てっきり結婚式場関係の人か何かやと思ってましたけど」

 駅までの道を歩きながら、僕はソノコさんに尋ねてみた。一件目はなんちゃって結婚式の企画で、二件目は家の整理だという。椅子やらテーブルやらは多分病院で借りたものだろうし、屋上を使わせてもらって、しかも病院の関係者らしき人たちも何人も座っていた。結構、大掛かりと言えば大掛かりだった。結婚式場とか結婚紹介所とか、そういう類のものだと思ったのだけれど、これから向かうのが家の整理だと聞くと、両者のつながりが理解できない。

「そうよねえ、みんなからは仕舞い屋って言われているけど」

「しまいや、ですか」

「そう、人生のおしまいの手伝いをするからね。まあちょっと今風にカッコよく言ったら、エンディングノート代行屋って言う感じかしらね」

 それなら聞いたことはある。

「エンディングノートって遺言とかお葬式の準備とか、そんなことをまとめるんですよね」

「そんな面倒くさいことはしないわよ。そういうのは作成代行って言ってね、司法書士とか、そういう真面目な人がやること。私は、依頼者の人が死ぬまでにやっておきたいことを手伝うだけよ。思い残すことがないようにするっていうことね」

 死ぬ前にどうしても。大山さんの結婚式について説明された時のセリフを思い出した。そういうことか。

「じゃあ、これから向かう家の整理っていうのは」

「そう、家族の人が片付けに来る前に、どうしても見られたくないものが気になっているので、処分しておいてほしいっていうこと」

 どうしても、家族に見られたくないもの。色々と想像が広がった。

「多分、きみの想像の通りよ。アダルトビデオをこっそり処分しておいてほしいっていう」

 やっぱり、そう来るか。まあ、花婿役をやらされるのに比べれば、気楽なものだ。僕は急に気持ちが軽くなったのを感じた。

「そういえば、ソノコさん、カワイソノコって言いましたよね。それって本名なんですか。確か昔、そんな名前のアイドルいませんでしたっけ」

気になっていたというほどのことでもなく、気持ちが軽くなったついでに尋ねてみただけだった。その時、さしかかった交差点の向こうから、怒鳴り声が聞こえた。ワンカップを片手に持った初老の男が、若い警察官に向かって怒鳴っている。というか、ほとんどくだをまいてからんでいる。警察官の方は身振り手振りを交えて一生懸命何かを説明しているようだが、男の方は聞いていない。気の毒に、と思いながらその横を通り過ぎ、左折をするために横の信号を待っていると、僕たちの後ろから二人連れのおばちゃんがやってきた。同じ信号で立ち止まり、会話をしているのが聞こえた。

「なんや、どないしたんやろ」

「なんか、ポリが住所とか名前とか聞いとったで。どっから来たんやって、職質やな」

「あほちゃうか」

 吐き捨てるように、言ってのけた。二人とも割ときちんとした格好をした、普通のおばちゃんだったが、聞くともなしに聞いてしまったそのやりとりに驚かされた。仮にも警察官が職務質問をしているのに、言うに事欠いて「あほちゃうか」とは。

「驚いているわね。ここではね、どこから来たのかっていうのはタブーなのよ。色んな事情を持って集まってきているんだから。今何をしているかが分かればそれでいいはずじゃない。余計なことに立ち入るのは、野暮ってわけね」

 ソノコさんが気のせいか、やや冷たい口調で言った。たまたまタイミングが合っただけだが、僕がソノコさんという名前を本名かどうか、なんて尋ねたことについても、野暮だとついでにたしなめられたのだということは分かった。恐らく分かりやすく落ち込んだ表情になったのであろう僕を見て、ソノコさんは苦笑いをしながら軽くため息をついた。そして、信号が青になったのを合図に再び歩きだしながら、今度は少しだけ、やさしい声で話し始めた。

「私がこの仕舞い屋を始めたきっかけを教えてあげようか」

 ソノコさんの隣を歩きながら、僕はなんだか神妙な気持ちになって、ゆっくりとうなずいた。


「実はね、私は東京に住んでいたのよ。新宿のね、歌舞伎町。聞いたことくらい、あるでしょ。ある時ね、私が知らないうちに、父が家を出ちゃったらしいの。失踪ってやつね。まあ、私自身が家出同然で一人暮らしをしていたものだから、両親とは連絡も取っていなくてね。ずいぶん後になってから知ったのよ。母がね、亡くなる直前。救急車で病院に運ばれてね。さすがにそれは連絡が来たんで、あわててお見舞いに行ったのよ。そこで父がいなくなっていた、ということも聞かされたの。母はそのまま亡くなってね。連絡くらい取り合っておけばよかったと思ったけど、後の祭りでしょ。それまでちょっと突っ張って生きてたのが、何となく嫌になっちゃってね。勤めていた歌舞伎町のお店も辞めて、東京を離れようと思ったの。肉親は他にいなかったから、父を探してみようかなと思って、ここに来たのよ。昔父が、大阪の方が住みやすいって言ってたのを覚えてたんでね。大した根拠じゃないけど、この町にいるんじゃないかって、そう思ったの。

 それでこの町に来て、父のことをあちこち尋ねて回っているうちに、一人のおじさんが話しかけてきてね。はじめはびっくりしたわよ、路上の段ボールの中から突然出てきたんだもの。で、そのおじさんがね。頼まれてくんないかなあって言うのよ。そのおじさんも、私の父と同じ様に、家族を残して出てきた人だった。残してきた娘さんにね、せめて少しでも、と思って、日雇いの仕事しながら一生懸命お金を貯めたんだって。で、渡してやろうと思った時に、気付いたの。今更、顔を見に行くことはできないって。だから、そのお金を渡してあげたくっても、手渡す手段がないんだって。それでね、私にそのお金を渡して、娘に届けてくれないかっていうのよ。はじめは断ったわ。見ず知らずの人にそんなこと頼まれてもってね。でもね、私の目をじっと見ながら、おじさんが言ったの。どんなに想っていても、会いに行くことも名乗ることもできない事ってのもあるんだ、人助けだと思って頼まれてくれないかってね。真剣にそう言っているのを聞いているうちにね、このおじさんは、もしかしたら父のことを尋ねて回っていた私に、自分のことを通して教えようとしてくれてるんじゃないかって思ったのよ。そっとしておいてやりなさいっていうことをね。父にも父なりの事情があるんだってね。そりゃそうよね。あてずっぽうに探しに来てあっさり見つかるくらいだったら、とっくに自分から姿を見せてくれているはずだもんね。会わない覚悟をして家を出たんだったら、そっとしておいてあげることも優しさなのかもしれないなってね。それで、おじさんの頼みを引き受けた。

 隣の県だったから、電車を乗り継いで、二時間以上かかったかな。その当時はスマホなんて便利なものはなかったからね。おじさんから聞いた住所を頼りに、何とか探しあてたわ。娘さん、もちろん大泣きしてたわよ。戻って報告したら、おじさんも大泣きしながら、これで思い残すことなく死んでいけるなって言ったの。それでね、ポケットからしわくちゃになった茶封筒を出してきて、私に握らせたの。中には封筒以上にしわくちゃの、千円札が二枚、入ってたわ。礼だから、とってくれって。そんなのもらうわけにはいかないって言ったんだけどね。仕事として頼んだんだから、ちゃんと礼をする。それが自分のプライドだって、これも引かなかった。まあ、交通費もかかったんで、ほとんど儲けにはならないけどね。プライドだとまで言うんなら、受け取らないわけにいかないじゃない。

 それが初めの依頼だったの。これを商売にしようなんて思っていたわけじゃないんだけどね。知らない間に噂が広がったのか、次々に頼まれたのよ。やり残したことや思い残すことって、色々あるじゃない。特にこの町に生きている人たちって、気になってもどうしようもないっていう事情をそれぞれに抱えている。色んな依頼を引き受けているうちに、何となく住み着いちゃったって感じなのよね。東京引き払ってきているから、帰るところもなくなっちゃっていたしね。それにこの町、住み心地いいんだもの」


 僕は、聞きながら、ソノコさんの横顔に見入ってしまった。見ず知らずの人にそんな大切なお金を託すなんて、なかなかできない。一体どんな気持ちだったんだろうと思った。それにソノコさんも、預かったお金がいくらだったのかは分からないけれど、ちゃんと望み通りに娘さんのところまで訪ねて行ってあげたのだ。誠実に約束を守ったということが、その後の色々な依頼につながったのだろうということは、簡単に想像できた。そんなことは少しも自慢する様ではなく、まだ出会って二日の僕に話してくれた。軽々しく話せるような内容ではない。それが妙に嬉しかった。

「ええっと、このあたりだと思うんだけど」

 話を終えてしまうと、そんな僕の心の動きをよそにソノコさんは、てきぱきとたたみかけるような元の口調に戻り、メモを見ながら一軒のアパートの前で立ち止まった。

「これね。一階の奥から二番目って言ってたけど……あった、ここね。小山って書いてあるわ」

 ドアの横に確かに表札をかけるためだろう釘が出ていて、恐らくお菓子の箱か何かを切り取ったような小さなボール紙に、マジックで「小山」と書いてかけてあった。表札はどうしたのか分からないけれど、そのボール紙の周囲は白く浮いている。最近まで、ちゃんとしたサイズのものがかかっていたように思われた。ソノコさんが、本人から預かってきたらしい鍵を取り出して、ドアを開ける。中は薄暗くて、少しにおった。かびくさいのと、生臭いのがまじっているような、妙なにおいだった。一メートル四方くらいしかなさそうな狭い玄関にはズック靴が一足、そろえて置いてある。赤の他人の留守宅に入るのは何となく抵抗もあったが、ソノコさんはまるで構う様子もなく、上がり込んだ。家具はそう多くなく、雑然としてはいたけれど、散らかっているわけではない。少なくとも僕の部屋よりはきちんと整理されている。部屋の隅にはロープが吊ってあって、タオルが二枚、干されていた。

「あの、小山さんって入院でもしてはるんですか」

 中にいるんだったらわざわざ人に片づけを依頼することもないだろうけれども、生活の痕跡がはっきり見られる住まいというのは、やはりそこに人がいるのでは、という感覚にさせられる。薄暗く湿っぽい部屋で遺体にでもなっていたら、と想像して、思わず僕はソノコさんに近づきながら尋ねた。

「そうよ、さっきの病院にね。きみが着替えた隣のベッドにいたのよ。だから心配いらないわよ。遺体になったりはしていないから」

 ソノコさんは僕が頭の中で考えたことが分かるんだろうか。もしかしたらそっちの方がちょっと怖い、と思って、今度は逆にほんの気持ちだけ、距離をとる。ソノコさんは構わずに奥の部屋に入り、電気をつけると押し入れを開けた。なんだかこういう状況で扉なり押し入れなり、閉まっているところを開けると、何かが出てきそうなこれもまた異なる不安に襲われる。

「小山さんはね」

「は、はい?」

「小山さんよ。小山康義さん。この部屋の主の」

「え、ああ、小山さん。そうですよね」

「小山さんは別に家族から逃げてきたわけじゃないの。ずっとこの町に住んでいて、子供も育てたらしいわ。奥さんが亡くなってからはここで一人暮らしだけど、子供さんたちと連絡も取り合ってるそうよ。そうすると、もし小山さんが亡くなったら子供さんたちが部屋の片づけに来るでしょう。だから今のうちに、余計なものは処分しておきたいんだって。あった、これね」

 事情を話しながら押し入れをのぞき込んでいたソノコさんが、DVDのパッケージをいくつか取り出した。確かに、十八歳未満お断りのものだ。ソノコさんはさらにあちこちを開けて、他にもそれらしきものを次々に発見し、無造作に引っ張り出していった。

 僕はソノコさんが引っ張り出したDVDをとりあえず床に並べながら、気になるところを尋ねた。

「小山さんって、こんなことを人に頼むっていうからには、病状とか、やっぱりだいぶん悪いんですか」

「詳しいことは知らないわ。ただ、夜中に急に苦しくなって、救急車を呼んだって言ってたわ。それもはじめてじゃないんだって。だから不安になってるのよね」

 やっぱり重たい話になってきた。考えてみれば、やっていることそのものは色々でも、思い残すことないようにするというコンセプトがそもそも軽いものじゃあない。そんなことを思っているうちに、床の上に積み上げられつつあるアダルトビデオの数は、結構なものになってきた。中には昔懐かしいVHSのビデオテープまである。

「これで最後みたいね。それにしても集めたものねえ。ビデオテープまで入れたら百本は越えてるんじゃない。このあたりなんか、結構懐かしいわよね」

何枚か、同じ女優さんが写っているパッケージを持ち上げてソノコさんが言った。僕はその意外な感想に、思わず引っかかってしまった。

「懐かしいって、ソノコさんもこんなの、観てたんですか」

「そりゃあ思春期の頃にはね。誰だって興味あるじゃない」

 清楚なイメージのソノコさんのことだから、不潔だとかいやらしいだとか、こういう類のものに対しては嫌悪感を持っているとばっかり思っていた。

「へえ。興味はあるんやろうけど、女子もこんなん観てたっていうのは知らへんかったなあ」

 ちょっと知らなかった女子の世界を垣間見た気がして、少し新鮮な気持ちになった。

「女子が観てたかどうかまでは知らないけど」

「え、でも今、思春期の頃には観てたって」

「私はね。でも女子のことまで知らないわよ。だって私、男だもん」

「げっ、ええっ」

 突然の、予想外のカミングアウトに、僕は思わずのけぞってしまうことになった。

 ソノコさんは、家出同然で一人暮らしをしていた、と言った。そういうことを認めてもらえなかったからか、言い出せなかったからなのか、つまりそのあたりのことが原因で連絡も絶っていたということだったのか。ウェディングドレスにあこがれていた大山さんにしても、道中で見かけた警察官に食ってかかっていたおじさんにしても、そしてソノコさんにしても、これまで僕の知らなかった世界に生きてきた人たちだった。わずか一日二日でずいぶん濃い経験をしたものだ、と感じた。


「じゃあこれ、きみにあげる」

 小山さんの家の鍵を閉めてから、そう言ってソノコさんは紙袋に詰め込んだアダルトビデオを、そのまま僕に手渡した。

「いや、あげるって言われても」

 僕が当惑していると、ソノコさんはとってもさわやかに微笑んで言ったものだ。

「私はこのまま病院に戻って、小山さんに報告するわ。さっきの結婚式の片付けも残っているしね。きみはそれを持って帰るなり、売りに行くなりして処分してね。まあ、アルバイト代よ。現物給付ってやつね。大丈夫よ、私が売りに行ったらどこから手に入れたのかと疑われるかもだけど、きみだったらそれくらい、集めてそうだから。じゃあね。また連絡するわ」

「え、いや、ちょっと」

 当惑している僕を残して、ソノコさんはさっさと立ち去ってしまった。そういうことか。処分をはじめから僕にさせるつもりで。さっきのは二万円で、こっちは処分するDVDの現物のみ。まあ、両方込みの値段だと思えば悪くないけれど。それにしても、

「きみだったら集めてそうだから」

 てどういうことだろうか。僕は紙袋を抱えてソノコさんの後姿を見送りながら、このまま素知らぬ顔をしてどこかに売りに行くべきか、とりあえずこっそり持ち帰って、鑑賞してからにするかなどと、くだらないことで頭を悩ませながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。

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