八章ノ参『不穏な影』
「メイナル教諭は元々頭の良い方だから、間違いの正しい部分を理解できると思ってた。だから、私もメイナル教諭に素直に言えたんだよ」
カロナの言葉に、ノノは感心するも、トスルは、少し注意するような言い回しで返す。
「さすがカロナちゃん、ちゃんと全部予定通りだったわけですね!」
「でも、一歩間違えれば先生を敵に回していたよ、僕ならしないかな」
トスルはカロナを心配してそう言うけど、カロナ本人は気にも留めない様子で言う。
「メイナル教諭はそういう人じゃないよ」
「……幸いその様だね」
カロナの発言に危機感を持つのは、白猫だけではなく、トスルもおそらく同じような感覚を感じていた。
カロナは、嗅覚や勘に任せて行動するふしがあり、トスルとしては、その危うさに危機感を持っている。
「ね~ノノちゃん、今日の夕ご飯何かな~」
「そうですね、ん~川魚の香草煮でしょうか!」
「楽しみだね~」
そのカロナの笑顔を見ると、トスルもその笑顔に流されて、注意することはないが、白猫としてはカロナにもう少し警戒心を持たせたい気持ちではあった。
人の黒い部分に、一切触れたことのない人生を送って来たであろうカロナ。まるで、リナのようだと、白猫は古い記憶の中から、無警戒で天真爛漫な人狼の娘の様子を脳裏に浮かべた。
カロナはまだ自身に対しての警戒心しかなく、周囲に対しての危機感が薄い。
人の黒い部分は、時に自身の大切な誰かも傷つける事を知らなくては、いや、これから知ることになる。その時は、カロナがとても傷つくことになるのだろう。
そして、カロナが院生になって半年経った頃、彼女の周囲に妙なものが現れ始めた。
初めはカロナもただの目の錯覚だと感じただろう、だけど、その影は間違いなく潜んでいた。
人の影に救う闇、影、暗と深く関係するそれは、ロウと同じ守杜の血筋故に感じ取れた存在なのかもしれない。
「ノノちゃん」
「はい、何ですか?」
「アレ何か分かる?」
「アレ?どれです?」
ノノは、カロナの指さすものが一切分からない。ただそこに植木があるだけであり、ノノにとっては至って日常目にする物である。
「植木しか見えませんよ、大丈夫ですか?カロナちゃん」
「……うん、私の気のせいみたい」
ただ、カロナに視界には、猿の影のようなものが、植木の影から彼女の様子を窺っているように見え、それが日に日に姿を見せる回数が増えていた。
カロナは、母であるカイナから影については聞いたことがあり、それなのかもしれないと感じていた。
「やっぱり……アレは、魔の物なのかな」
自室で呟くカロナに、白猫は内心で頷きながらも、彼女の膝で仰向けにされている。
カロナは白猫に敬意を持っているのに、その扱いは時にこれほどに自由で、その部分は悪戯好きなカイナの血を受け継いでいるようだった。
お願いだから乳首イジメないで~。
そう白猫が叫ぶほど、カロナは白猫のそれをイジリたがる。おかげで妙な癖に目覚めそうで、白猫は無自覚な開発になす術無く悶えていた。
「メイちゃんこうされるの好きだよね~」
「ニャー!」
そんなことはない、そう否定の意味で鳴くも、もはや喜んでいるようにしかカロナには伝わらない。
「アレがお母さんが言っていた魔の物なら、お父さんが退治してくれるはずなんだけど……」
確かに、魔の物を倒すのはあなたの父であるロウの役目。だけど、あなたにもその力は受け継がれているのよ、そう白猫は息を切らしながら思う。
「お父さん、来てくれるかな?ねーメイちゃん」
あなたの父であるロウはとても忙しい人、そして、今はあなたの知らないところで傷つきながら、途方もない人や存在を助けているのよ。
伝わらない想いを白猫は想いつつ、猫の手で必至にカロナの指を押さえる。
「そうだ、お父さんのお守り」
そう言いながら制服のリボンを外し、胸の谷間に埋まるスイリュウの護石を取り出す。
「このお守り……凄く優しい感じがするんだよメイちゃん」
「ニャ~」
そう、それにはスイリュウの魂魄の一部が封じられている。
でも、防御的な反応はできても、攻撃的な反応はできないから、こちらからあの影を攻撃することはできない。だけど、その石を身に着けている限りは、あの影がカロナに襲いかかることはない。
ただ、懸念があるとすれば、他の人間にそれは当てはまらないという事。
「ねぇメイちゃん、あの影は他の人に危害を加えたりしないよね?」
白猫もそれは分からない、影に触れることも触れられることもない白猫には、その判断は今のところできようがないことだ。
それから、しばらくはカロナの傍で見かけていた影も、その内に姿を消して、ある時にその影を見つけると、その影は教諭の背後の足元の影に紛れていた。
初めは足元にいたその影も、日に日に教諭の足元から足へ、そしてふくらはぎへ、膝裏へ、太股あたりへ、腰へ、背中へと移動していく。
それに合わせてカロナの心配も増して、意を決して教諭に話しかけた。
「タンダ教諭、少しいいですか?」
「ん?どうしたんだカロナ院生」
タンダという教諭は、少しふくよかな男で、顔が脂っぽい上に院生の女の体に故意に触れることで嫌われている教諭だった。
そうと知りつつも、カロナは彼を助けようと異変はないかと尋ねる。
「何か最近体に異変はないですか?」
「……何だその質問は、……あ~そうか、君もあの噂を聞いたんだね」
噂と言われて返答に困るカロナに、タンダは耳元に囁く。
「後で教室に残っていなさい」
そう言われ、カロナは彼の授業の後で帰らずに残っていた。
「カロナちゃん、帰らないのです?」
「うん、ノノちゃん、ちょっと用事があって」
そう言うと、ノノは自身の部屋へと先に帰り、トスルも自身の用事のため自室へと足早に帰っていた。
教室に残ったカロナを一瞥したタンダは、口元にニマリと笑みを浮かべると、彼女の傍に向かう。そして、隣に座ると右耳を唐突に舐めまわし出す。
「いや!止めて下さい!」
「?……カロナ、君も僕の例の噂を聞いてきたのだろう?なら抵抗はしない方がいいよ」
「う、噂って何ですか?私はただ、タンダ教諭の様子が変だと感じただけです」
タンダは嫌がるカロナに密着したまま話始め、姿を隠し様子を窺っていた白猫も怒りで牙をむき出しにする。
「僕はね、男の院生には正しい成績を出すけど、女の院生には基本的に厳しい成績を出すんだ。でも、僕に身を捧げる女にはとてもいい成績を出してあげるんだよ~だからカロナもさ~」
そう言って、再び舌を出してカロナの耳に近づけるタンダ。
カロナはそれが触れる前に身体を引き剥がし、距離を取ると険しい表情で言う。
「わ、私、そんなつもりはないですから」
その瞬間、タンダの様子が少し変化し、背中の黒い影が少しだけ大きくなったようにカロナには見えた。タンダは、カロナの態度にすぐ表情を変えると不敵な笑みを浮かべた。
「別に僕も望まない娘には何もしないよ。でも、成績もよくなることはないけどね、特に君みたいな可愛くて、綺麗な美人にはじっくり僕に懇願するようになってもらいたいからね~」
カロナは影がますます大きくなる様子と、タンダの不敵な笑みを恐れてその場を逃げだした。
部屋に駆け戻ったカロナの様子がおかしいのに気が付いたノノは、すぐに何があったのかを聞いて、カロナも彼女にタンダのことを話した。
「そんなことが……でも、あのタンダ教諭ならするかもしれないです」
「私、そんな事をしてるなんて思いもしなかったから……とても怖かった」
カロナは、ノノにしがみ付いて恐怖を紛らわす。
あの影がどうして大きくなったのか、タンダにどうして付いているのかは、この時はまだ何も分からないままだった。
その日から日に日に大きくなるタンダに付いた影は、もうタンダの後ろにもう一人の人が抱き付いているようにしか見えない程になっていた。
「どうしたんですか?カロナちゃん」
「……ううん、なんでもないよノノちゃん」
「そうかな、僕には平気なようには見えないけど」
「トスル、大丈夫だよ」
そう言って、誤魔化すカロナは、この日一つの思いを行動に移すことにしていた。
「メイちゃん、私ね、あの影を消してみようと思うの」
白猫にそう話すカロナ、でも、あの影はカロナでは消すことは叶わないことを白猫は伝えるすべがなく、ただ、いつものように乳をいじられている。
「きっと、あの影がタンダ教諭に悪い事をさせてるに違いないの」
それは違う、そう白猫は悶えながら思う。
タンダという男の悪い部分に引かれて、あの影は彼に付いたのだ。
人の影に巣食い、人の闇を喰らう物。それが奴らの正体で、その根幹は人に寄生する存在だ。
「私、助けられるかな?お母さんみたいに沢山の人を助けたいな」
この子は本当に優しい、あのカイナの子だとはっきりと思える。
そして、責任感が強い部分、使命感にかられ行動する部分は、ロウの子であると、リナである部分が肯定している。
「ニャー」
「うん、大丈夫、きっと上手くできるよメイちゃん」
ロウの子であるカロナは守杜の力を持つ、だけど、その力の使い方は何も知らない。だから、カロナが影を消し去ることは不可能だろう。
白猫はそう思いつつ、それでも、カロナを止めはしない。
あの子が予見の子であるか、ないか、それを把握するいい機会かもしれない。
「タンダ教諭」
「……あ~カロナ院生、とうとう決心してくれましたか?この僕の玩具になることを」
カロナは震えていた。体は丈夫、でも、心はまだ幼さの残る少女でしかない。
影は何本もの触手をタンダに巻きつけ、胴の部分はもうカロナには見えないほどに覆われている。
「前回の成績を見て気が変わった子も多かったようですし、あなたのクラスのネア院生には昨日たっぷりと遊ばせて頂きました」
それを聞いたカロナは自身の服を強く握った。
ネアちゃんは、タンダ教諭の科目を落としたら、その時点で落第点になるって、でも、この前の試験はとても出来が良かったって話していたのに。
「彼女に何をしたんですか!」
「……まず、耳を舐めまわすのが僕の愛情表現で、そして、頬、鼻、最後に口へとね……」
カロナは身の毛がよだつ思いで、服を握る手に力を込めた。
「で、カロナもそうなりたいのかね?」
「わ、私は必要ないです」
落胆するタンダ教諭は、そのまま黒板に向くと、「なら用はありませんね」と言う。
背を向けた彼の背中にそっと近づくカロナは、その手を徐に影へと伸ばす。
しかし、その瞬間に首にかけた護石が反応し、水でそのものが竜のような姿を成して彼女の手の前に現れた。
現れたそれは、その影に対して何かするわけでもなく、ただただ、カロナが影に近づけないようにしていて、彼女は困惑の表情を浮かべていた。
どうして影じゃなく私を止めるの?
そう思うカロナに、白猫は当然その解を告げることはしない。
スイリュウの護石はカロナに対する抑止でしかない、おそらくは一度守護が発動すれば、石自体が破壊され、二度は彼女を救うことはない代物だ。
そもそも、スイリュウの加護さえ得られないカロナには、到底その力を制御しようもない。
ロウならともかく、カロナは影に対する対策が一切できないのだ。だから、私が傍に就いているんだけど。
白猫はいざとなれば、影を消し去るつもりで、カロナの行動を見守っていた。
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