七章ノ肆『魂の輪廻』
カイナが知らないロウの手紙をシャンリンメイは、客間の天井を背景に広げている。
中に書かれている内容を読んで深く溜息を吐くと、ゆっくりロウの手紙を顔に寄せた。
「スンスン、ロウのいい匂いがする……」
シャンリンメイはカイナに手渡したロウの毛皮に未練があり、彼女が仙人でなければ絶対にカイナには手渡していない心境だった。
カイナに伝えていない自身の気持ち、それを彼女がカイナに伝えることはないであろうことも、伝えてもカイナが受け入れてしまうであろうことも理解してしまったための溜め息だ。
「やっぱりロウが好きだった魂だから……この気持ちはリナのもの、でも、それでも私のものでもあるのも違いはない」
シャンリンメイ、前世はシャンというところのリンの娘メイ。そして、さらにさかのぼると、かつてロウを好いて死ぬまで想いを持ち続けた人狼のリナと同じ御霊を宿す者。
魂は根源より完全に清められて、過去の記憶や想いは無くなっているが、仙人になった上にロウ本人に触れた瞬間、彼女の中のリナの何かが反応して、それまで一切何もなかった想いが湧いてきたのだ。
元々ニャ~と言っていた彼女は、リナの気持ちや記憶がチラつき始めてからは、自身の語尾に少しだけ拒否反応が出始めていた。
「……ニャ~」
そう呟くと、やはりどこか不思議な気持ちになるシャンリンメイは、目を閉じて眠気に任せて意識を夢想へと送る。すると、ムロとロウとリナだった自分が笑顔で話をしている風景を夢に見て、ハッとして起きると、その瞳の端には涙が溜まっていた。
ツ~っと流れる涙、鳥のさえずりが朝を教えているが、心はもっと夢を見ていたかったのだと彼女は思う。
裸のままで立ち上がるシャンリンメイは、カイナの寝ている部屋へと向かう。
静かにカイナの顔を覗き込んだ彼女は、そのままゆっくりと布団へ潜る。
そして、カイナがビクっと体を震わせたのは、シャンリンメイが彼女の素肌に触れて、腹から胸へと手が移動して優しく揉んだからで。
「シャ、シャンリンメイさん?何?」
「……ロウはどうやって胸を揉むニャ?どんな言葉を囁くニャ?」
耳に息を吹きかけるシャンリンメイに、カイナは少し反応を見せる。
「や……シャンリンメイさん、ちょっと……胸――」
「いいニャ~羨ましいニャ~、ニャーもロウに触れられたいニャ~」
布団の中でモゾモゾと、寝起きのカイナは抵抗が少ない様子で、しばらくはシャンリンメイに好き勝手させていた。しかし、さすがにしつこいその悪戯に両手を掴むカイナ。
「シャンリンメイさん!いい加減にして下さいよ~」
「なら、ロウが何て囁くのかを教えるニャ~」
別に教えても構わないんだけど……、どうしてそんなこと気にするんだろう?
「……教えるけど、別に特別なことって言われてないよ?」
「で、何て言われたのニャ?」
「……カ、カイナの…………~言わなきゃだめ?」
「ダメ~ニャ」
「…………カイナの脇の下は……甘いんだ――」
カイナは一瞬にして顔を赤く染めると、次の瞬間にはシャンリンメイが、カイナの寝間着の薄い肌着を捲って、脇の下をペロペロ舐めだした。
「こうニャ!こうやってロウに舐めてもらったのかニャ!」
「やめ、止めて~、脇の下は……らめぇぇぇえええ」
少しの静寂の後に、鈍いゴッという音が布団の中から響く。
それが、カイナの拳がシャンリンメイの頭を殴りつけた音であるという事は想像に難くない。
朝食は相変わらず美味しそうに食べるシャンリンメイに対し、カイナは少し頬を膨らませて彼女の様子を窺っていた。
朝から布団の中に潜り込んできて胸を揉まれた挙句、脇の下を舐められれば誰でも不満を露にするものだ。
そして、朝食を済ませた二人は、それぞれ思い思いに時を過ごすのだが、カイナはカロナ当ての荷物やらダブハ宛の手紙やらを書くのに忙しくしていた。
シャンリンメイは、いつの間にか猫の姿に変わって、居間で丸まり昼寝を堪能していた。
忙しくしていながらも、カイナはシャンリンメイに昼食を作り、風呂を焚き、晩飯を作り、ともてなしも忘れなかった。
「明日にはカロナのところへ向かう行商人が来るから、あなたも一緒について行けばいいと思うけど」
そう言うカイナに、シャンリンメイは口元に米粒を付けながら、ニャ~と返事をした。
ホウデンシコウとは数年一緒にいたため、カイナは彼をコウと呼んだが、シャンリンメイとはたった二日、とてもではないがメイと呼べるほどには関係が深まっていなかった。
時間もあるが、シャンリンメイ自身がカイナと仲良くなりたいようには見えなかったことも、カイナが親しげにしない理由でもある。
「お休みなさい」
「……待つニャ」
シャンリンメイは客間である隣の建物から、自身の部屋へと帰ろうとするカイナの腕を掴む。
「少しだけ話をするニャ、とりあえず一緒に寝るニャ」
「……え?話をするんだよね?どうして寝るの?え?どういう事?」
訳も分からないまま、布団へと連れ込まれるカイナは、今朝のことを思い返して身構える。
「わ、私にはロウって夫がいるから!こういうことは――」
「聞くニャ、いいえ……聞いて欲しいの」
口調の変化に加え、声のトーンの違いにカイナは口を閉じる。
「本当は話さないでおこうと思ってたけど、私がシャンリンメイになる前。シャンというところのリンの娘メイであるもっと前、私は……リナという人狼だったの」
そうしてシャンリンメイは、自分がリナであることと、ロウを愛していること、結ばれたいと想っていること、ロウとの過去をカイナに話した。
カイナは静かに聞いていて、話終えたシャンリンメイの顔をロウソクの明かりの中で見つめていた。
「ロウはきっと私のことを知ったら優しく受け入れてくれると思うの、きっとそう……ロウは優しいから」
「……そうだね、ロウはシャンリンメイ……いいえ、リナという女の子の想いに答えると思うわ。たとえ私を愛していても、カロナを愛していても、それには答えると思う」
「そうなったら、カイナはロウを許す?それとも許さない?」
カイナの背中に話しかけるシャンリンメイは、その小さな背中にゆっくり触れる。
「私は許さなくてもいい、でも、そうなった時にはロウを責めないでいてあげてほしいの」
「……」
カイナはしばらく何も答えなかった。そして、次に彼女が話し始めた時、それをシャンリンメイは受け入れようと心に決めていた。
「……私は、私が特別だって考えたことはないの。リナさんがロウを想っている気持ちは心から分かるから、できれば、ロウのしたいようにさせてあげたいし、二人がそうなった時に、私が誰かを恨むことはないよ。だって、人の好きという気持ちは必ず互いのためになるから、だから、ロウの為になるなら、それなら私はそれを恨んだりしないよ」
カイナはそう言うと、体をゴロンと寝返らせ、シャンリンメイに向き合う。
「あなたがリナだろうがシャンリンメイだろうが、ロウを好きで、それにロウが答えたなら、私は受け入れる」
「カイナ……」
「もちろん嫉妬もするけどね」
「嫉妬するニャ?」
「します、女の子は好きな男の子が他の女の子と仲良くしてたら嫉妬します」
そう言い切るカイナに、シャンリンメイはカイナの手を掴むと、ゆっくりと額に当てて言う。
「誓ってカイナの知らないところでロウと関係を持ったりしない、誓ってロウを苦しめることはしない、ロウが拒絶したなら私は身を退く」
「……約束ですね」
「約束ニャ」
そう言うと二人は互いに目を閉じた。
そのまま、二人が眠ると、カイナはロウの夢を見て、また、シャンリンメイもロウの夢を見て、互いに幸福な気持ちの夜を過ごした。
そうして、翌朝、アシュがカイナの元を訪れて、カロナへの荷物を受け取りにきたのだが、その荷物には不自然な白猫が傍にいた。
「カイナさん……この白猫は?」
「あ、その子もカロナの届けて、名前はメイちゃんです」
アシュはその白猫を不思議そうに見るが、すぐに受け入れてカイナの言う通り、大切そうに荷物の上へと乗せて馬車を走らせる。
「またね~メイちゃ~ん」
シャンリンメイが猫の姿であることを理由に、メイちゃんと呼ぶカイナは、少しだけそう呼べたことに微笑んでいた。
カロナの腕に着けられた木の腕輪を見るシャンリンメイは、カイナを守ってね、とそう呟いて、アシュは一瞬振り返るが、そこには白猫一匹だけであるため、小首を傾げて前を見た。
カイナが付けた腕輪はキリンの加護が無くなって、ガクライによって仙器として力が込められた物。アレはあらゆる外敵からカイナを守るけど、壊れたり破れたりするとガクライにもその影響ができる仕組みになっている。
「カイナの身に危険が迫ったらガクライの力で障壁が張られ、もしもその壁を壊すほどの脅威なら、あの腕輪の破壊と引き換えにガクライがカイナの元へ現れる仙器。この世界の何者もカイナを傷つける可能性はないわ」
その呟きで再び後ろを向くアシュに、シャンリンメイは白猫に相応しい猫なで声で言う。
「ニャ~」
「……だよな、猫だけだよな……気のせいさ、猫が喋るわけがない……働き過ぎかな?」
自身の空耳と思い込むアシュは、安全にいつも通りに、カロナの待つテンへと馬を操る。
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