七章ノ壱『薬学院入院試験』


 ホウデンシコウは、結局数年間カイナとカロナの傍にいた。

 カイナもカロナも今では頼りになる男手として、色々と彼を頼った。

「長らくここで暮らしてきたが、中々に吾輩にとって心地の良い場となってしまった。だが、もうそろそろロウのところへ近況を報告に行かなくてはだな。カロナ、薬学院……受かるとよいな」

「うん!」

 カロナは八歳になり、今年ようやく薬学院の入院試験を受ける時が来た。

 そして時を同じくして、ホウデンシコウがロウの元へと向かう決意をし、カロナの薬学院へ入る前にロウに伝えてカイナの元へ必ず帰ることを約束する。だが、カイナは別に一人でも大丈夫だから、としっかりロウにカロナのことを話すことだけを何度も願っていた。

「いい、ホウデンシコウ、ロウにはちゃんと私の事も話してね」

「分かっておる、カイナはもう吾輩にべた惚れだと言っておくさ!はははははは!」

 空へと飛びあがるホウデンシコウに手を振るカイナとカロナは、それを見送ると二人だけの日々がまた訪れる。ただ、それはカロナが薬学院へ入院するとなると、再びカイナは一人きりになるだけ。

 カイナはカロナが薬学院を受けると言うと、それに反対はしなかったが、ある約束をカロナとすることにした。

「いいカロナ、人の前で狼の姿になってはだめよ」

「どうして?」

「カロナが狼になると驚いて怖がらせてしまうかもしれないから、だから、ハルヤもカロナの前以外では狼に成ったりしないでしょ?」

「うん、ハルヤも師匠とユイナさんに狼に成っちゃだめって言われてた」

「でも、カロナが大切な人、狼の姿になってでも助けたい人が現れた時には、あなたの好きなように行動しなさい」

「大切な人って……友だちとか?」

「それはあなたが決めることよ、学院にいられなくなっても、ジュカクで暮らせなくなっても構わない、そう思える人のためにならね」

 これは何度もカイナがカロナに話してきたことだが、狼の姿をさらしても構わない場合に関しては、初めてカロナにカイナは話した。

 ホウデンシコウと過ごした日々の中で、カロナは自身の加護の力を制御できるようになっていて、ただ、人を傷つけるためには使ってはいけない、そう彼と約束していた。

「お母さん、一人で寂しくない?」

「ん~気が早いな~カロナ~もう受かった気でいるの?油断したらだめだぞ~」

 カイナはそう言ったが、カロナ自身は受からないなどありえないと思っていて、四年間学院で過ごすと分かっているからだろうか、カイナのことを心配せずにはいられないのだ。

「そうだカロナ、今日は早く寝ないとね、明日にはダブハのところへ行かないとだから」

「はい」

 その日、カロナは夢を見た、自分が一人で泣いている夢を、そして、カイナがそんな自分を心配して駆け付けてくれると、そこに黒い影がカイナを覆って、泣いているカロナはカイナがその黒い影の中から光に包まれ、大きな白い影がカイナとカロナを抱き上げる夢を見た。


「お父さん!」

 バッと布団から起きたカロナは、もう何度も寝起きしているダブハとユイナとハルヤの家の客間という名のカロナの部屋で目を覚ました。

 店の入り口から囲炉裏のある居間、その左手のフスマを開けると長い廊下が奥へと伸びている。居間とダブハの私室、ユイナとハルヤの寝室、勉強部屋、その奥がカロナのいる部屋で、その前にはトイレと風呂場がある。

 廊下に出たカロナは一人トイレに入って、しばらくして出てくるとユイナが部屋から出てくる。

「おはようカロナ、すぐに朝食の用意するから待っててね」

「おはようございますユイナさん」

 部屋へ戻り、鏡台に向かって髪を整えたカロナは、後ろにかかっている入院試験用の正装を手に取る。

 それを身に着けたカロナは居間へと向かって行く。居間では起きたばかりのハルヤがいて、カロナの服装を見て目を見開いて傍へと寄ってくる。

「いいな~いいな~!私も受けたいよ~カロナちゃんと同じ学年に入りたいよ!」

「ダメよハルヤ、ちゃんとした規則なんだから」

 カロナはハルヤの手を掴んで、満面の笑みで言う。

「私が先に学院で師匠の弟子として一番になるから!だから、ハルヤちゃんは来年の一番を取って二年連続一番を取って師匠に褒めてもらおうね!」

 ハルヤは一瞬真顔になって、両手を上げると鼻息を荒くして同意する。

「うん!お父さんが凄い先生だって!一番を取って証明する!カロナちゃん!頑張れ!」

「うん!頑張る!」

 朝食を終えたカロナはダブハと二人でジュカク州州都、ケイカに向かい数百人の中で三人が受かるとされる薬学院の入院試験を受けることになる。

 ケイカにはマト中、いや、他国からも何名かの少年少女が集まり、飛び抜けた薬学を学ぼうとしていた。

 カロナはダブハの手を握って、一瞬自身の力加減を気にする。

「どうかしたかい?緊張するかさすがに――」

「……はい」

 二人は街に入ると、ケイカの東に位置する薬学院の敷地へと向かう。そこには、長い行列のがあり、最後尾に二人が並ぼうとすると、一人の教諭がダブハに声をかけた。

「あなたは!当学院客員教諭のダブハ氏ではありませんか!」

「……あ、確かに僕はダブハですが――」

「もしかして、あなたが教育しているという特待生ですか?その子が」

 ダブハはカロナを一瞥すると、確かにこの子が僕が教えている子ですよ、そう答えた。

「やはり!並ばなくても構いませんよ、こちらで私が直接」

「いやいや、規則通り、僕もカロナも並んで申請しますよ」

 教諭が慌てて対応する中で、カロナの耳に周囲の話す言葉が入ってくる。


 アレが学院始まって以来の秀才ダブハ。

 彼の父親もこの学院で唯一カルの時代でも、学力のみで生徒の順位を決めていた教諭だったらしいわ。

 その上、母はテンの街に拠点を置く大規模商会の大主、加えてあのユイナ商会の後見とも聞く。

 ユイナ商会の主であるユイナは、ダブハ氏の妻であることも忘れてはいかんぞ、彼の後ろにはジュカク州の全商会がついていると言っても過言ではない。

 それだけではない、全国に大小の商会を有するクフウ商会も彼の後ろにはついているとか、彼にはこの学院の学長やマトの王でさえも簡単に何かをできはしない。

 一瞬にしてその場はダブハとカロナに注目が集まり、ダブハもそれを感じて教諭に、やはりと声をかけた。

「やはり、そちらで僕たちだけ申請しても構わないかな?このままだと」

「ですね――」

 関心が集まり過ぎたことにダブハは、カロナの手を引いて職員の後ろへついて行く。

 カロナはダブハに引かれるまま、列とは違う場所へと移動した。

 申請し終えるとダブハと離れ、教諭の後について行くことになったカロナは、不安の中で学院の中の一室へと入る。

 そこでは、申請を終えたカロナと同じ歳の子どもたちが長い扇状の机に中央から左右に分かれて座って、それが段々になって前から徐々に広がっている。

 机の先には一番低い位置に教壇があり、そこは既に一人の女の教諭が立っていた。

「この組はその子で最後のようですね、では試験内容を発表します」

 カロナが席に着くとそのまま流れるように試験が開始される。

 試験は並べられた薬草とそれに対する名称と効能を書き示すもので、カロナは一瞬、これが試験?と思うが、ダブハの教え通り一問一問丁寧に回答して見返しも二度ほどした。

 そうして全てを終えたカロナが周囲を一瞥すると、まだ周囲は机に向かっていて、自分だけ終えてしまったのだと分かると教壇をジッと見つめて時間を待った。

 そんなカロナに気付いた教諭は教壇から移動し、カロナの解答を一瞥して感心する。

「……なるほどね」

 絶対に正解者がいないと思ってたけど、この薬草を知ってる子がいるなんて驚いた。

 教諭はその後教壇へ戻ると、再び数十分の時間の経過を待ち、両手を叩いて試験の終了を知らせる。

「はい、そこまでです、名前の再確認をしたのち、机にひっくり返しておいて下さい」

 ゾロゾロと教室を出て行く少年少女の中にカロナも続いて出て行く。

 教室を一歩出ると、急に後ろからカロナに声をかけてくる者がいた。

 振り向いたカロナの前にいたのは、同じ歳くらいの少年だった。

「やぁ、僕はトスルと言います、君は?」

「……し、知らない男の子と話ちゃだめって――」

 それはユイナの言葉であり、カロナもそれに従っての行動だった。

 トスルはそれを聞いて笑顔で言う。

「じゃ、僕とはもう知り合いだから、話しても大丈夫だよね?」

「……でも、でも、でもね」

 困ったカロナはオロオロとして、必死に断る言葉を探していた。その様子に気が付いた周囲も気にするが、特に誰かが止めには入らないまま、カロナはトスルに仕方なく挨拶しようとした。が、その時二人の間に入る小さい人影があった。

「あの!困ってるので!止めてあげて下さい!」

 カロナより頭一つほど小さい少女がトスルにそう言うと、トスルはその子にも笑顔を向けて言う。

「やぁ、僕はトスル、小さな君の名前も聞いていいかな?」

「わ、わちはノノです!トスルさん!彼女が怯えているの分かりますよね!」

「ノノちゃんか~で、君は何て言うの?教えて欲しいな」

 ノノ越しにトスルがそう言うと、カロナは迷わず名乗った。

「カロナです、初めまして――あと、ノノちゃんも初めまして」

「そうか、カロナちゃ――」

「ノノでいいです!その代わりわちもカロナと呼ばせてもらいたいです!」

「いいよノノ」

 ノノはそれを聞くと満面の笑みを浮かべてカロナに抱き付く。言葉を遮られたトスルは、ノノとカロナの様子を見ながら笑みを浮かべていた。


 カロナはその後、ノノとトスルと少し会話しながらダブハの元へと向かった。

「やぁカロナ、どうだった?」

「師匠!簡単でした!」

 それを聞いたダブハはクスリと笑い、やはりという表情で呟く。

「カロナは憶えがいいからついつい色々知識を詰め込んでしまったからな、今回の入院試験は何の秤にすらならなかったか。……ところで後ろの二人は?」

「あ~、友だちです、女の子がノノで、男の子がトスル」

 二人はカロナにそう紹介されると、ダブハに深々と頭を下げた。

「そうか友だちか、僕はダブハ、ノノにトスル、カロナの事よろしく頼むね」

「あの!ダブハさんはあのダブハさんなのでしょうか!十数年前に単頭で入院し、頭席で卒業した方ですよね?」

 単頭とは頭一つ抜けて合格した者が呼ばれる言葉で、頭席とは常に一番でそのまま一番で卒業した者が呼ばれる。

「確かに、僕のことで間違いないかな」

「はは!やっぱり!わち!わち!入院したら必ずダブハ様の教えを受けたいと考えてます!」

「へ~あのダブハさんがお父さんなんだねカロナは。可愛い上に血筋も凄いんだ――」

 トスルがそう言うと、ダブハは控え目にそれを否定した。

「いや、カロナは僕の娘ではない、僕の唯一の師である人から預かった娘なんだ」

「え?ダブハ様に師が!だ、誰なんでしょう!私も弟子に成りたいです!」

 ノノがそう言ったことにダブハは笑顔浮かべる。

「僕の師は二度と弟子はとらないと言っていたから、たぶん無理だと思うよあの人はとても偉大で、あの流行り病の特効薬を作った方なんだから」

 あの流行り病、それを聞けば誰もが数年前に流行って死者を大量に出した病だと察する。

 マトでは数千、カルでは数百の犠牲が出た病。

「噂では一人の薬師が独自で製作した薬を行商伝いに販売したおかげで、カルではすぐに収束したって習いました!」

「ノノは勉強熱心なんだね、きっとカロナと良い友になれるはずだ」

 ダブハはノノとカロナの頭を撫でると、二人は互いを見て笑顔を浮かべた。

 ノノとトスルと別れたカロナは、ダブハの手を握りながら、学院へ受かった後の事を想像して、ドキドキとワクワクの中で、カロナはダブハを〝父さん〟と呼ぼうとした。

「お父さん!カロナちゃん!」

 あぁ、そうだ、私のお父さんじゃないんだ。

 そう瞬間、カロナはダブハの手を放していた。ハルヤを抱き上げるダブハ、その光景を見ながらそこに夢に見た父の面影と自身を重ね、少しの間遠くを見つめるカロナに二人は気が付かない。


 今年学院を受けた人数は、各所で五千名近くに及び、初等科だけで二千名、中等科で千名受け、高等科だけで二千名受験した。

 初等科は満十一歳までの子どもが受けることができ、中等科は初等科を卒業した者か、数年に及ぶ薬学に何らかの形で携わった者が受けられる。

 高等科は、言わば無制限入院試験合格者であり、十一以上で無学でも受けることが可能になっている。

 そして、今回初等科で受かった者は六十名近くであり、その中にダブハ以来初の満点単頭合格者が現れた。

 満点単頭合格者カロナ、次頭合格者ノノ、末頭合格者トスル。

 そう掲示板に張られた時、ケイカでも久々の満点単頭者の名が知れ渡る事となる。

「もう町中カロナの噂で持ち切りよ!お店のお客さんもカロナ見たさに来てね、ハルヤを見て勘違いすること多いのダブハさん!」

 興奮気味のユイナは、カロナの満点単頭合格を自身のことのように喜んでいた。

 当の本人はそれほど喜んではいない、ただ、ダブハに褒められ、ユイナに褒められ、ハルヤに凄いと言われてカロナは今、母であるカイナに褒めてもらいたくて、褒めてもらいたくてソワソワして今すぐにでも狼の姿で伝えに行きたい気持ちでいっぱい過ぎて。

「お母さん!カロナちゃんが狼の姿で走り回ってる!」

「え!ちょ!カロナ!どうしちゃったの!」

 グルグルと囲炉裏の回りを走り回るカロナ、店側からも見えるため、その時いた客にも見られてしまう。

「へ~犬飼ってたんかユイナさん、白い毛の犬なんて初めて見たな~」

 バタンと戸を閉めたユイナは、苦笑いを浮かべて必死に誤魔化して、その音でダブハも奥の部屋から出て来てカロナの行動に気が付く。

「カロナ、落ち着きなさい」

 そうダブハが言うと、カロナはピタっと足を止め、裸の少女の姿に戻る。

「ごめんなさい、でも、お母さんに早く教えたいの」

「……なら、手紙を書くかい?今書けば、明日中には届くと思うよ」

「はい!書きます!」


 カロナが書いた手紙は、次の日にはカイナの手元にあった。

 同時に送られてきたダブハの手紙の内容は、カイナの手紙から察することができたカイナは、それを読む前から合格を確信していた。

 ニマニマしながらカロナの手紙を読むカイナは、ある一文にとても心を打たれてしまう。

 〝お父さんにも褒めて欲しいです〟

「カロナ……そうよね、ロウに褒めて欲しいよね」

 ポロポロと涙が溢れるカイナは、自分は父との思い出があるのに、カロナはそれが無いことをずっと気にしていた。死んでしまってしかたがない、そう諦められたらカロナは苦しまないで済むのに、そう考えたことも今まで何度もあった。

 ホウデンシコウにロウへのカロナの手紙を渡してはあるが、その返信も直ぐにとはいかないと思うと、カイナは少しだけいたたまれない気持ちで旨を押える。

 カイナは便箋に筆を執ると、ロウの過去の話、ムロやロウの母や父のこと書こうとするが、ある程度書いてそれを止めた。

「ムロのことを書いてどうするのよ、カロナが辛くなるだけ、は~もう!自分が寂しいだけじゃない!親なんだから!しっかりしなさい!」

 自分に言い聞かせるカイナも、ロウと会えない時間の長さに心を痛めていた。

 ただ、母という立場がカイナに重くのしかかり、カロナの存在が彼女を支えていた。

「よし!カロナに合格のお祝い書かなきゃ、それにこれも送らないとだね」

 そう言ってカイナが手に持つのは、可愛らしい花の髪飾りだ。

 カロナの合格祝いは、ずいぶん前から悩んでこの髪飾りに決めたカイナ。

「いつまでも子どもだって思ってたのに、もう一人で学院生活をするのか~カロナは偉いな~さすがロウの子だな~」

 再びニマニマするカイナは、一切ダブハの手紙を読もうとはしない。

 そうしていると、不意に家の戸がガタガタガタと誰かが開けようとしている音が響く。

「だ、誰だろう手紙を持ってきてもらったばかりだから、アシュさんではないだろうし」

 そう言いつつ戸へ近寄るカイナは、妙に懐かしい感覚に覚えがあり、呟くように誰かという予想を口にする。

「ホウデンシコウ?あなたなの?」

 そうして開いた戸の前に立っていたのは、十代後半の女の子で、その耳には猫の耳と背中から時々左右に見え隠れする細い尻尾を持つ存在がいた。

 カイナはホウデンシコウではない事実ではなく、人の姿の猫であろうそれに驚きを表した。

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