六章ノ参『来訪者』


 カロナが帰宅する少し前に遡る。

 カイナはいつものように、月に二日のカロナの見送りを終えて、広い家で一人で薬を作っていた時だ。不意に家の戸を叩く音がした。

「こんな時間から誰だろう?」

 そう呟きつつ、暴漢の類である可能性を考えて、右手に麻痺薬を手にするカイナは、恐る恐る戸越しに言う。

「どちら様でしょう?」

「……ロウの使いの者だ――」

 ロウの使い、ロウの名前を出す者など親しいもの以外にロウの知り合いしかありえない、そう考えたカイナはすぐに戸を開いた。

 そこには白髪で隻眼の少年が立っていて、両手も隠れるほどの丈の長い白色の上着に七分丈の青色のズボン、加えて足元の靴は先が尖っていて、蹴られたらとても痛そうにカイナには見えた。

「吾輩はホウデンシコウ、ゲントウシン、ガクライである。ロウとは一戦交えた仲であり、吾輩の敗北によりロウを友として認め、彼の頼み通り妻カイナの元へ便りを持ってきた」

 名前が長いのか、何かの役どころの名称なのか理解できないカイナは、戸惑いつつガクライと彼を呼ぶ。

「ガクライ……さんでいい?ロウのお友だちってことでいいのかな?」

「うむ、違いない、ちなみに、ガクライは仙名であり、ホウデンシコウが名で、ゲントウシンとは役名である。つまり吾輩は仙人なのだロウの妻カイナ」

 そう言った子どもにしか見えないホウデンシコウは、カイナの顔に急に顔を近付ける。

「聞いていたよりも美しい妻だ、吾輩も仙でなければ妻に欲しいところだ」

「はぁ……、それで、ロウからの便りってことは、手紙か何かをお持ちなんですか?」

 仙人?それって昔話に出てくる物語の登場人物だよね?この子……本当にロウの知り合いなのかしら?

 疑いの目を向け続けるカイナは、一応ホウデンシコウを家の中へと招く。

「こちらにおかけ下さい、え~ホウデンシコウさん――」

 口に出しつつ、言い辛い名前……と思うカイナは、自分が飲むために沸かしていたお茶を入れて彼の前へと置く。

「うむ、かたじけなし、がしかし、吾輩は仙人である故飲食はとる必要がない」

「そ、そうなんですか~」

 徹底してるな~、とカイナは正面の椅子に座って彼の話を聞こうとする。


「それで、ロウの便りって?今彼はどこで何をしてるんです?」

 半信半疑でそう言うカイナに、ホウデンシコウは右手で机にお茶を一滴垂らす。

 指先から落ちた一滴のお茶が、また一滴さらに一滴と垂らされると、この国を含む地図のようなものを描くと、カイナは口を開けて驚いてしまう。

「ここより北西、そこにてロウは滞在している。この家を出てからロウはまず西へと森を抜けて向かい、スイリュウの眷属を探して北西を彷徨っていた。そして、そこにて一人のスイリュウの眷属と会い、ロウは人との戦に巻き込まれたと聞く」

 描かれた地図が一瞬で人相を映し出すと、そこには人間のようで、エラのある人物が描かれていて、ホウデンシコウは話を続ける。

「この男がスイリュウの眷属の魚人、名をマンタイと言う。マンタイは傭兵であり、ある領主の下で戦大将を任されていた」

 まるで幻想のような水滴の絵による絵芝居を見るカイナは、そのまま話に惹きつけられた。

「マンタイは娘を人質に取られ、仕方なく領主の指示に従っていた。ロウはマンタイとは反対の勢力に雇われ、情報という報酬のためにマンタイと戦うことになった」

 机に水で描かれる姿は確かにカイナの知る人間の姿のロウで、ホウデンシコウはただ手をかざすだけで、描かれている描画を変化させる。

「そうして、マンタイとの戦いを制したロウは――」

 そこまで言ったホウデンシコウに、カイナは急に声を出す。

「あの、お昼食べようと思うんだけど?ホウデンシコウさんも食べる?」

 ピタッと止まったホウデンシコウは、数分前に自身が口にした言葉を思い返して言う。

「吾輩は仙人で食事などはとらないと……」

「でも味とか分かるんですよね?ロウも空腹にはならないけど食事してましたよ?」

「……さようか」

 流されるままホウデンシコウは、カイナが用意する様子を眺めている。

「これは?」

「鹿肉の香草焼きですよ、モモがいいですか?それとも腹ですか?」

「まかせる」

 手早く構えるカイナはロウ用の茶碗に頭を下げると、それに炊き立てを少し冷ましたご飯をよそい、ホウデンシコウの前に置いて、箸置きそして次に箸を置く。

「これは?」

「……お箸ですよ」

「箸?匙ではないのか?」

「あ~そういうのですね、分かりました」

 カイナはすぐに木の匙を取り出しホウデンシコウの前に置き直すと、最後に和え物を小皿に盛り付けて添える。

「どうぞ、食べて下さい」

「うむ、では――」

 ホウデンシコウが最初に和え物を口に頬張るのを見たカイナは、自身も両手を合わせて言う。

「頂きます――」

 その後は黙々と食事をして、二人が食べ終わった頃にはカイナは後片付けを始めていて、ホウデンシコウは茶を片手に呆けていた。

「久しく食事というものはしていなかったが、どうして、これはいいものだな」

「それはよかったです」

 洗い物をするカイナの背中を見ていたホウデンシコウは、聞こえない程度の声量で呟く。

「そそる背中だ、友人であるロウの妻でなければ、仙禁を犯していたかもしれない」

 仙禁とは、仙人に許されざる行為の諸々のことで、人殺しや罪深い行為、聖獣に下る行為が主である。女を抱く行為も仙禁に定められ、過去にも何人かの仙人がその禁を破っている。

 禁を犯した者は仙としての力を剥奪され、そのまま不老不死などを失う。


 カイナが片付けを終えて、もう一度ホウデンシコウの前に座る。すると、彼女はホウデンシコウが考えても見なかったことを言い出すため、その隻眼の目を見開いてしまう。

「では、続きを話すとするか――」

「いいえ、もう続きはいいですよ」

「――なんと……もういいだと?」

「だって、話を聞いても分からないですし、ロウが元気かどうかだけ教えて下さい、後は彼に伝えて欲しいことがあるだけです」

「ロウは元気だが、本当にあいつの物語を聞かなくてよいのか?」

 そう尋ねるホウデンシコウに、カイナは一度だけ頷いた。

「そうか……」

 ロウもロウだがその妻も妻だな、と彼は頭を軽く掻いた。

「ロウは元気だ、女に囲まれて日々呪いの解き方を探している。吾輩と出会ったのは最近でな、日の国のさらに北にある国に滞在していて、おそらくは今頃また西から回って今度は南へと向かっている頃だろう」

 そう言い終えたホウデンシコウの前で、笑顔なのに少し重苦しい空気を醸し出すカイナ。

「女……」

 そう言うと、深呼吸してからホウデンシコウに聞く。

「〝女に囲まれて〟というのは、いったいどういう意味かな?」

 カイナの雰囲気を察したホウデンシコウは、一瞬口を閉ざすと、正確な情報を彼女に話し始めた。

「女とはスイリュウの眷属の少女と、人間の少女だ。スイリュウの眷属の少女はマンタイの娘で名をシンジュと言い、人間の少女は奴隷商人から買った西の滅びた国の領主の娘だ。何でも、幼い娘を見ると自身の娘と重なって、ついつい助けてしまうのだそうだ」

 それを聞いたカイナは思わず顔を机に伏せて呟く。

「はぁ、よかった――」

 ロウの回りに自分以外の女性がいるかも、そう考えていたカイナはホッと安堵する。

「なんだ?ロウの回りに女と聞いて心配していたのか?バカな、ロウはお主以外に異性とは思ってはいないさ」

「……そんなの何の保障にもならないんだよ、だって、今はロウが私の傍にいないの、だから彼の傍にいられるのは私だけだって、そう思いたいから」

 ホウデンシコウはカイナの言葉に、ふむふむと言いながら何かを旨に定めて立ち上がる。

「よし、お前を奪おう」

「……え?」

「こんな事を思うのは初めてだが、お前を吾輩のものにしたい」

 座っているカイナの隣まで歩いて移動するホウデンシコウは、彼女の手を引っ張ってフワリと浮かせると、居間の奥に少し段差を越えるとある座敷に仰向けに押し倒す。

 カイナは少し驚いた様子でいるが、ホウデンシコウの目が本気だと気づいて言う。

「私は手に入らないよホウデンシコウさん」

「吾輩は仙である、仙とは知識の深い者であり、女が抱かれた男を好きになるように脳が作られているという事も知っている。何年もかけて吾輩に振り向かせてみせよう」

 顔と体を近付けてくるホウデンシコウに、カイナは怯えることなく。

「私は私が死ぬその時まであなたに屈することも、ロウへの気持ちも失いはしないわ……人の命は永遠ではないのよ、ホウデンシコウさん」

 そう言われ彼はピタリと動きを止めた、何かをじっくりと考えているような表情に、カイナは更に言葉を続けて言う。

「それに、私の娘に会っていないでしょ?カロナって言うんだけど、是非あの子に会ってあげて、そして、ロウにあの子の様子と私の様子を聞かせてあげて、そして、その様子を私にまた聞かせて、その時にはまた手料理を振舞うわ」

 サッとカイナを立たせるホウデンシコウは、スッと頭を下げると、悲しげな目をして言う。

「カイナが振り向いてくれる補償があるなら仙を捨ててでも、そう考えもしたが、カイナはそんな女ではないのは吾輩の見立てである以上、これ以上は理に適わない、すまなかった」

 ホッと一息ついたカイナは、カロナが帰るまでのつもりで泊まるように言う。

「それじゃ、カロナが帰るまでうちに泊まっていかないかな?ホウデンシコウさん」

「……いや、吾輩の気持ちは寝ているカイナを見て間違いを犯しかねない、毎日尋ねるとするさ、吾輩は仙人である野宿には慣れておる故」

「え?なら隣の小屋を使って、昔人が泊まっていたのをそのままなの、毎日掃除もしてるからすぐに使えるわ」

 ホウデンシコウは、カイナの言葉に背を向けて隻眼を隠して言う。

「言葉に甘えよう、姿さえ見えなければ間違いなどは起こさんだろうしな」

 ホウデンシコウがそう言うと、カイナは安心した様子で、悪戯心が擽られてしまう。

「私これからお風呂に入ろうと思うんだけど、一緒にどう?」

「……けしからん!」

 怒鳴ったホウデンシコウは頬を赤くして、カイナを一瞥すると口元を右腕で覆い隠す。

「吾輩はもう寝る!隣!借りるぞ!」

「はいはい――」

 ホウデンシコウをからかい終えたカイナは、満足そうにニマニマして最後に呟いた。

「頬真っ赤にして、カワイイ~な~」

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