六章ノ壱『成長』
カルの国が無くなって随分日が経ち、ジュカク州も新たに州長という形でマトのアシム王子の臣が治めるようになった。
カイナは、もうしばらくは二人きりの生活で、それもすぐに慣れて、日々を騒がしく過ごしていた。
というのも、三歳になったカロナが森の中を駆けまわることが増えたためで、獣の姿で駆けまわるカロナは人間のカイナでは行けないところも勝手に入ってしまうようになっていた。
「カロナ!もうお母さんお家帰るからね!おやつも勝手に一人で食べちゃうんだから!」
「う~あ~め~」
遠くの方で泣いて戻って来ている様子であるカロナは、何か言う時は人の姿で、移動中は狼の姿でと人狼の特性を活かして森を駆けまわる。
「きゃ!カロナ!」
体当たりのような飛びつきはいつものことで、何度尻もちをついたかカイナはもう数えていない。そのおかげで、今ではしっかり受け止めることができるようになったが、受け止める度に日に日に増える娘の重みを感じる毎日なのだ。
「ク~ン」
「ちゃんと話さないと分からないわ、お母さんは人狼じゃないんだからね」
そうカイナが言うと、腕の中の小さな狼が幼女へと変わってしまう。
「おやちゅたべゆの~」
「はいはい、一緒に食べようね~」
「たべゆ~」
もう食べてしまいたくなるような娘の可愛さに、その育児の疲労感など簡単に失せてしまうカイナは、もうすっかりお母さんをしている。
おやつをカロナと食べていると、不意に珍しく人が訪ねて来て、カイナは薄化粧のまま出迎えると、それはクウフ商会の商人アシュだった。
「どうもカイナさん」
「あら、どうもアシュさん、確か薬の配達は来週じゃなかったかな?」
「はい、今日はテンからの手紙を届けに来ました、これですどうぞ~」
「どうも、お茶飲んでく?」
「いいえ、これからマトへ行って人を運ぶ仕事があるので、そっちが本命の仕事だったりします。では、また来週ということで~」
足早に去るアシュは良くも悪くも働くこと優先な男で、だからカイナとしてはあまりに生真面目な彼を心配してたりする。
「手紙なんて久しぶりね、たしか、前はユイナさんの結婚式だったかな、今度は子どもできましたとかだったら嬉しいな」
手紙を開くと見覚えのある字体で、お久しぶりですカイナさん、そう最初に書き出しが目に入った。
お久しぶりですカイナさん、僕たちダブハ、ユイナ夫婦共々変わらず元気にいさせてもらっています。
国の変化や色々なことが重なり、今日まで連絡が遅れたことをまずお詫びします。
昨年、僕たち夫婦の間に子どもが産まれました。女の子で名前はハルヤと言います。
「あら、ハルヤちゃん、去年てことはカロナの一つ下ってことね」
ご存知と思いますが、ユイナとの間に生まれた子なので人狼であることは確かなのですが、ハルヤはまだ狼の姿になったことがなくて、両親へした説明もユイナさんの狼の姿を見せなくてはならず、思っていた告白とは違う形になってしまいました。
僕の両親は最初は驚いていたんですが、日の国では人と人狼が結ばれるのはよくあることだと、母が言ってくれて父も納得してくれました。勿論身内以外には他言できない秘密なのですが、いつ頃ハルヤが狼へと変わるか分からず、今はユイナと二人胆を冷やす毎日です。
「カロナは産まれて直ぐだったから、正直原因は私も分からないかな~」
あと、僕は去年からジュカク州にある薬学院の客員教諭をしています。正式な教諭ではないですが、客員教諭としての方が、家との行き来ができて、幼いハルヤと多忙なユイナを手助けできて今は良かったと思っています。
「そうか!夢が叶ったんだね!ダブハ!」
最後に、今度遊びに来て下さい、ハルヤは立って歩けるようになったので、カロナちゃんとも仲良く遊べると思いますし、ユイナがカイナさんとカロナちゃんに会いたいと言って、遊びに来てくれるのを楽しみにしています。
「カロナと遊ぶのはちょっと難しいかな、あの子の遊びは……かなり特殊だし」
それではお元気でいられることを願って、遊びに来る前に無事のお手紙を頂けたら幸いです。
「ダブハ、すっかりしっかり者のお父さんになって、ちょっと感動しちゃうな~」
カイナは手紙を読み終えると、早速返事の手紙を書き始め、気が付くと膝の上でカロナが指を口に銜えて寝ていたため、その指を引っこ抜いて口元を拭く。
手紙を書き終えたカイナは、カロナを膝から優しく寄せて、棚に置いてあった便箋を手に取り、ロウの服を視界に入れると徐にそれを顔に当てて深呼吸する。
「――は~ロウの香りがする」
寂しさはいつもそうして抑えているカイナは、その服を棚の上に置くと、手紙を便箋に入れてソワソワしながらそれを棚に置いた。
「来週出すとして再来週には久しぶりの旅行か……、楽しみだな~、そうだ!準備しよう!」
笑みを浮かべながら旅の準備を始めたカイナは、あまりに楽しみ過ぎて、その日の夜は寝付けないほどだった。
そして、旅の日になったが、その日、カイナは出発までに一時間の苦戦を強いられてしまう。
「い~や!」
「どうして?お母さんと一緒だよ?私一人でも行っちゃうんだから」
「い~や!」
カロナが行きたがらない、それも置いて行くと言っても頑なに行こうとしないのだ。
「どうして?教えてくれなきゃ分からないよ~」
楽しみにしていただけに中止にはしたくない、カイナは色々試したが、カロナは一切首を縦に振らない。
「……どうしてかな~?」
「まだっすか?」
「アシュさん、ごめんなさいね、こうなるとカロナは動かなくて」
「少し俺に任せて下さい――」
アシュは笑顔でカロナに近づくと、コソコソとカロナに耳打ちする。そうすると、カロナもアシュにコソコソと耳打ちする。
「なら、父ちゃんの代わりに母ちゃん守らないとだな、そうなると一人でカイナさんを行かせて構わないのかい?」
「……おか~さん!」
アシュの言葉にカロナは一瞬で心変わりしてカイナに抱き付く。
「いっしょ行く~、おか~さん、いっしょ」
「あれ~どうしたの急に、カロナはいはい、一緒に行こうね。驚いたな~アシュさんどうやったの?」
「簡単っす」
子どもとは話の初めに〝二人の秘密だよ〟とか、〝内緒話〟とか言えば、素直に話をしてくれるもので、理由を聞いてアシュはそれに対する問題解消を得た。
「理由は何だったのかな?」
「理由っすか?それはお父さんがカロナちゃんをカロナと分からないと困るからって、だからこの家にカイナさんといないとって感じっすね」
カロナの気持ちを聞いたカイナは、不意にカロナの内側が見えた感覚に少し驚いて、それと同時に母親なのにと思ってしまう。
「ごめんね、お母さんカロナの気持ち全然分かってなかった、そうだよね、カロナもロウが居なくて寂しいし、赤ちゃんの頃の記憶もないだろうし、辛いよね……」
「いや、そうでもないでしょう?カロナちゃんは父親がいないのが普通で、いる事だけ知っているから分からないと困るだけで、それが嫌でわがままを言ってたんですよ。でも、そうですね……この旅行で他の家族のことを知って、彼女がどう思うかは分からないですけどね」
今までは他の家族と接する機会がなかった。しかし、今回の旅行はユイナとダブハの二人との夫婦、ハルヤとの親子風景を見たカロナがどう思うかはカイナにも分からない。
「でもカロナちゃんなら大丈夫でしょう、たぶん」
「……アシュさん、かなり適当に言ってるけど、なんか不思議とそうなるような気がするからすごいなと思います」
アシュは舌を出すと、俺はただの商人なんで、そう言ってカロナを荷馬車に抱えて乗せた。
「行きましょうか?後の仕事も沢山あるのでね」
つかみどころのない彼に感謝しつつ、カイナはカロナとテンの街を目指す。
カルの国だった頃と比べて、テンの街はさらに商業が盛んになっていた。
荷馬車が行き来し、街へ入るのに門兵に荷物検査されるほどに物の行き来が多い。
「と~ってよし!」
カイナの乗るクフウ商会の荷馬車に限っては、その検査もパスで街へと入れる、それを知ったカイナはアシュにその理由を訪ねた。
「どうして顔パスかって?そんなのあの検問自体がクフウ商会の資金運営だからですよ」
人、人、人、その多さに、カイナは少し苦笑いで隣のカロナを見る。
「ひ~といっぱいいるの!おか~さん、ひ~といっぱいだお」
「そうね、カロナ、お願いだから興奮して狼に変わったりしないでね」
カロナは髪の毛こそカイナ譲りの淡い緑色だが、狼の姿になると、真っ白な白狼になってしまい、かなり目立ってしまう。
ユイナの狼の姿を見たことがないカイナは、勝手に女の人狼は白い毛なのだと思い込んでいるが、ロウの娘ということがその要因であることをまだ知らない。
そして、到着したのはユイナの店兼自宅の前で。
「カイナさ~ん!」
「ユイナさん!」
二人は休店中の店の中で久しぶりの再会をすると、互いの元気を確認した。
そして、カイナの後ろからカロナが姿を見せると、ユイナはキャ~と声を出して抱き上げる。
「キャ~!カロナよね?ユイナよ~覚えてないだろうけど、私があなたを取り上げたんだから~こんなに大きくなって!」
「はじめまちて、カロナでしゅ」
「キャ~挨拶できるの~カワイイわね~」
良かった、ユイナさんと普通に接してくれたってことは、人見知りはしていないようね。
そうカイナはホッとしつつ、ユイナの足元に気配を感じて目を向けると、ヨチヨチ歩きの幼女が現れる。
「あら~あなたがハルヤ?ほら~こっちにおいで」
互いの娘を抱き上げたカイナとユイナは、子どもを十分に可愛がると、ようやく子どもたち同士の挨拶の瞬間が訪れた。
カロナと違い話せないハルヤは、ヨチヨチとカロナに近づくとストンと尻もちをついて座り込む。
「カイナ、彼女はユイナさんの娘でハルヤちゃんって言うのよ」
「ハルヤ?」
「そうだよカイナちゃん、私もハルヤもカロナちゃんと同じで狼に変われるの」
「狼!」
そう言うと、カロナはハルヤの前で狼の姿に変わり、その白い毛並みをすぐに晒す。
「白い毛並み?ロウさんとは違うんだ……珍しいなカロナちゃんの毛」
「え?そうなんですか?てっきり女の人狼は白くなるものかと」
「いいえ、私はオレンジだし、うちの祖母ちゃんもオレンジで母もオレンジ、友だちの女の子もオレンジか黄っぽい色でしたよ」
それを聞くと、カロナが何か病気なのではと思ってしまうのは薬師であるためで、少しだけ心配そうにするカイナ。
そんなカイナの足元で、狼の姿のカロナがハルヤの鼻を舐めると、ハルヤが急に狼の姿に変わって、ユイナは驚愕して目を見開いた。
「キャ~!ハルヤ!あなたどうして急に変われたの?なんで?」
首を傾げるハルヤは、自身の変化に混乱することなく、四つ足でカロナの後ろをゆっくりとついて歩く。
「カロナ、あなたが何かしたの?」
カイナにそう言われたカロナは、すぐに人の姿になってそれに答えた。
「してないの、ハルヤもビックリしてるの」
それを聞いたユイナはハッとして、頭に手を置くと何かを思い出したかのように言う。
「そうか!私、ハルヤの前で狼の姿になったこと無かったんだっけ!だからハルヤも狼の姿になるってことが分からなかったんだ!そっか!だからか!」
カロナが人の姿に戻ったのを見たハルヤは、同じように人の姿に戻ると、ハイハイしながらカロナに近づいて行く。
「ハルヤ~ひとのときは~たってあるくの」
そうカロナが言うと、ハルヤは徐に立ち上がって笑いながらヨチヨチとまた歩き出した。
カロナとハルヤはまるで産まれてからずっと今まで一緒だったかのように、互いに離れようととせず、ダブハのいる奥の部屋に入る時も狼の姿のカロナの背中にハルヤ捕まって入って行くほどだった。
そして、ダブハの姿が見えた途端、ハルヤは狼の姿になりダブハに突進する。
「おっと!あ!もしかしてハルヤかい?そうか!狼に変身できたんだね!」
そう喜んで娘を抱き寄せた、それをカロナはジッとただそれを見つめていて、カイナとしては少しだけ心いたたまれなくなってしまう。
「や、カイナちゃん、僕はダブハだよ君のお母さんの弟子で、君のお父さんのお友だちなんだ」
「おと~さんのともらち?」
「ほらっこちへ来てご覧、昔も何度も君を抱いて寝かしつけてたんだよ」
そう言うとダブハは左手でハルヤを抱きつつ、右手でカロナを抱き上げた。
「お~大きくなったね、カイナさんに似て綺麗な美人さんになりそうだ」
初めて母以外の人に抱っこされたカロナは、小さい声で何かを囁くと顔をダブハの肩に押し付けた。
「……おと~さん」
まだ見ぬ父をダブハに重ねたカロナは、その瞬間からダブハに異常なほど懐いてしまう。
それから、ダブハの両親が来ると、カイナとの挨拶も早々に終えて、孫の狼の姿に夢中になっていた。
「あらあら!ユイナさん、この狼ちゃんはハルヤなの!カワイイわ~」
「……私は、犬は嫌いだが、孫のこの姿は何とも……ハルヤ!お祖父ちゃんですよ~」
と、もうベタベタの孫好きお祖父ちゃんお祖母ちゃんが展開されている。
ハルヤは祖父母に、カロナはダブハが面倒を見ているため、母二人はお茶を頂きながら菓子に手を伸ばして近況報告などに花を咲かせていた。
そんな中、ダブハが薬の仕分けを始めると、カロナもそれを手伝い始める。
そして彼が感心するほどにカロナは薬草学に博識だった。
「これはこの薬草と同じで、こっちも同じかな」
「ちあう!こっち!」
摘まれた薬草の中で、採取後に籠などの底に葉っぱや茎が落ちて残っていることが多々あり、それをダブハは自身の目利きの向上のために仕分けしていた。
だが、形もまばら、切れ端であるそれらは、長らく採取をしていたダブハでさえ間違ってしまうほどだった。しかし、カロナは三歳にして既に香りや見た目でそれらを完璧に把握してみせた。
「驚いたな、カロナはお母さんよりすごい薬師に成れるよきっと」
カロナはダブハに褒められて満足そうにデレデレに甘える。
祖父母からカロナを探してウロウロしていたハルヤも現れて、ダブハではなくカロナに抱き付く。
「う~ぁ」
「どうしたの~ハルヤ~」
カロナはハルヤを抱き留めると、ハルヤはカロナの頬をパクパクと唇を当て始めた。それを見たダブハは何かを察してカロナに言う。
「どうやらハルヤはお腹が空いたようだね、カロナもご飯を食べて来なさい」
「ここいたい~」
「じゃ、一緒に行こうか」
二人を抱えたダブハがユイナとカイナのところへ向かうと、二人は夕食の準備をしていて、ダブハの母もそれを手伝っていた。
「あらあら、本当においしいわこのスープ、ユイナさんのも美味しいけど、このスープはひと味違うわね」
「く~やっぱりカイナさんのスープはしつこくないんだよな~どうして私のはちょっとしつこいのかな~」
「たぶん火加減だと思うけど、あまり熱すぎるとそうなっちゃうのかも」
三人が調理をしている様子をカロナとハルヤを抱えているダブハはジッと待っていて、その間にハルヤはウトウトし始めて、カロナはダブハの腕で眠そうなハルヤの体をポンポンと寝かしつけるように触れていた。
そうしているとダブハも居間に腰かけ、ウトウトとしだし、カロナもウトウトして、カイナとユイナが料理を持ってくる頃には、ダブハの寝る腕の中でカロナとハルヤが寝てしまっていた。
「あらあら、二人ともお眠さんですね~」
「もうダブハさんってば~」
「カロナ、ダブハのことすごい気に入ってるみたいね」
三人の母が子どもの寝顔を見ている、それだけなのにカイナは何とも言えない幸福感に自然と笑みが零れていた。
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