五章ノ壱『ユイナとダブハ』
薬屋カイナ、その店はジュカクの森にあり、行商は勿論、今では一般の客も足を運ぶ店である。人気がある理由の一つは、店主が美人であること、そして品質と品数が豊富であることだ。
加えて言うなら、とても笑顔の似合う可愛らしい女性店員もいるからだ。
活発でいつも笑顔のユイナはどんどん評判になっていく。
カイナも人妻であり一児の母であるとは思えない美貌と若さで、やはりカルの村々の話題に上がらない日は無かった。
二人の女性で男性客が多く、カイナの作る薬膳のスープに女性客が絶えず人が集まる。
ユイナが働くことを心配していたカイナだったが、それは杞憂となっていた。
店の忙しさは店の繁盛を意味していたが、カイナは最近気落ちしている。
「どうしたのカロナ、ほら、飲んで、苦いけど飲まないと治んないよ~」
カロナが熱を出し、容体があまり良くないのに加えて、俺が〝魔の物がまた活発になった〟と言い残し、約二週間も森の奥から帰らないからだ。
せっかく娘が生まれたというのに、家族がバラバラで過ごさなくてはならないことが、カイナは少し残念な様子だった。それを見かねたユイナは人狼として俺を探して森の奥へと向かう。
「まったく!カロナちゃんが熱でカイナさんがいて欲しいって思ってる時に!ロウは!どこほっつき歩いてるんだか!」
魔の物の知識はあるユイナだったが、ジュカクの森の奥でそれに出会って驚愕を露にした。
「魔の物は人狼には手も足もでないって聞いてたのに!」
無数のクモのような魔の物に追われるユイナは、ロウにも出会えず帰り道も分からなくなってとても危険な状況に陥っていた。
狼の姿に代われば人狼の嗅覚で帰ることもできるのだが、着ている服を失うのを惜しんで頑なに変わろうとはしなかった。
「妙なニオイが混じっていると思えば!」
ユイナのニオイを追って来た俺は、彼女の脇を駆け抜け魔の物たちに突っ込むと、体で風を起こし木々で縛ったり突き刺したりと、明らかに特殊だと分かる力で次々に始末していった。
「ロウ、今のは?」
「この腕輪……キリンの力の一端だ、魔の物たちめ、どうやらこの腕輪の中のキリンに反応して数を増している」
そう言う瞬間、体に数体の魔の物が密着して噛みつく。
『ニクイ、キリン、ニクイ、ニクイ、ニクイ』
「……無へ帰れ!」
体が一瞬黒い影に覆われると、その魔の物たちの記憶がロウに流れ込む。
それは過去、キリン、エンコ、スイリュウ、フウチョウ、メイロウ、アンジャ、六つの聖獣と、それに従う者たちとの記憶。
キリンは木の輪廻、エンコは炎の虎、スイリュウは水の竜あるいは流、フウチョウは風の鳥あるいは蝶、メイロウは明の狼あるいは光の狼、アンジャは暗の蛇あるいは影の蛇。
それらは互いに縄張りを広げるために、自身の眷属を互いに送り出した。
キリンはその身を六つに分けて互いに守護として、アンジャは闇へ、エンコは火山へ、スイリュウは海へと縄張りを広げた。
聖獣の力はメイロウ、アンジャ、スイリュウ、フウチョウ、エンコ、キリンの並びで強弱があったが、今ではそのバランスすらも崩れている。
メイロウは人に近づくことで力を下げ、キリンは御霊を六つに分けたことで力を下げた。
他の聖獣もおそらくは人に近づくことで、その力を徐々に減少させており、やがて神と謳われていた聖獣は人となるだろう。
ニクイ、人へと近づく聖獣どもが憎い、我らはこんなにも成りたかった聖獣が、どうしてその力を捨て去るのか。
キリンは言う、〝うぬらの魂は穢れている、故に眷属として滅ぶことを我は望む〟などと。
「これがお前たちの恨みか?キリンの眷属だったものの御霊なのか?」
纏わりついた魔の物を風の刃でかき消すと、俺は身体から大量の血を流していた。
ユイナのはその様子を見ていて、何も言えず、何も動けず、俺が口を開くとその言葉の通りに行動した。
「ユイナはカイナとカロナの傍にいてくれ」
駆けるユイナは遠吠えをするが、それはただただ泣いているだけだった。
ロウの運命が、カイナやカロナの知らない事実に彼女は悲劇を見た。
森の入り口でその身を人へと変えたユイナは、まだ頬に流れる涙を拭っていると、その様子を最初から見ていた者がいて、ユイナは裸の体を両手で隠す。
「誰!」
ユイナがそう言うと、木影から姿を現したのはダブハ青年だった。
「すみません、ユイナさん、僕です……森に入っていくユイナさんを見て――心配で」
人狼だとバレた!ここにいられなくなる!
そんな考えが頭を過ると、ユイナはダブハ青年に懇願する。
「お願い、誰にも言わないで……何でもするから――」
裸の女に迫られる経験の無いダブハ青年には、そのユイナの姿は刺激が強すぎて、鼻血を吹いて仰向けに倒れてしまう。
慌てて抱きとめたユイナは、困惑して彼のその体を優しく支え続ける。
「ちょ、何?なんで急に――」
ユイナはダブハ青年とは同じ従業員であり、少し変わった感性を持ち合わせている人と感じていた。だが、そのダブハ青年に獣から人へ変わるところを見られてしまい、その感性が彼にどのような判断をもたらすのかを考えると、少し恐怖を持ってしまうのも仕方がなかった。
無理矢理体を性的な意味で要求するならまだしも、暴力や脅迫による悪事の強制も考えたユイナは、いっその事と彼を殺めることも脳裏に浮かんだ。
「……あ、ダブハさん、気が付いた?」
「……綺麗だった」
「はい?」
「狼の姿も、綺麗だったよユイナさん」
ユイナはこの時恋をした。
ダブハ青年はずっともう、出会った瞬間には恋をしていた。
恋の前には二人の種族の違いなどまるで無いに等しく、互いに求め合えば愛は深まる。
二人はカイナと俺には秘密で密に恋を育むことにした。
カイナは気付いていなかったが、俺は発情したユイナに気付いて、相手がダブハ青年であることも気が付いていた。だが、二人が話すまでそれに関しては一切他言せず、そっと見守っていることに徹していた。
右手にある木の腕輪、そのキリンの加護で周囲の感情も分かる俺は、二人があまりに燃え上る炎のように感じて、そのまま燃え尽きてしまうのではと、少しだけ心配もしていた。
そして、二人の関係はカイナにも知れて、二人はカイナに互いの仲を説明した。
「……分かってるのダブハ?ユイナさんを愛するという事の意味」
「はい、僕が彼女を愛するということは、人狼と人の将来の可能性を――」
「じゃなくて!彼女との間に子どもができるかもしれないのよ?!それについて分かってる?」
ダブハ青年はカイナを真剣な眼差しで見る。
「人狼の子ができるんですよね?」
「そう、だからその子のことをちゃんと考えているの?」
「大切に育てます」
「……んんんんん、本当に大丈夫?」
希望だけを聞かされているカイナは、本当は具体的な言葉を返して欲しかったが、ダブハ青年はいつまで経っても自分の気持ちしか話さないため、何度も聞き続けた。
「僕を信じて頂けないのでしょうか?」
カイナは、あなただから心配なんですけどね、とダブハ青年を見る。カイナがユイナにその話を振ることはなく、それはやはり母に成る者の決心は単純な決断ではない、そう同性だからこそ理解を示しているのだ。しかし、当のユイナは、愛さえあれば障害なんて、と考えているとは、カイナには分かるはずもなく。
その恋は燃えたロウソクの炎の如く、勢いのまま燃え上っているように見えてしまい、カイナも溜息とともに呟いてしまう。
「本当に大丈夫かな――」
殺す、殺す、殺す、殺す、そうして何が終わるでもない。
『キリン、食う、キリン、食う』
キリンを食ってどうなる?お前たちはそんなことで解放などされないぞ。
お前らを縛っているのはなんだ?
『ヘビ?アンジャ、アンジャ、アンジャいる、お前見てる』
影である以上アンジャが関わっているのは間違いない、が、どう関わってるかが分からん。
「俺を見てる……」
周囲に目を配るが、森の中でその気配はなく魔の物たちの言葉を信用できるわけでもない。
「魔の物を解放するにはアンジャをどうにかすれば……」
キリンの加護、それを持ってもアンジャの所在など分かるはずもなく。だが、キリンを食うと言う魔の物の言葉、やはりキリンが何かを知っているかもしれない。
「キリンと会うしかないのかもな……」
そう決意して、カイナとカロナの元へと向かう俺は、いつかは向き合わなければならないと考えていた。カイナが産んだカロナにメイロウが宿ったとしたら、カロナが今度は役目を引き継ぐ、そうなってはカイナが悲しむし、俺も気が気でない……何としても俺の代で問題を解決しておきたい。
そんな事を考えながら帰ると、出会い頭にユイナの怒号が彼に浴びせられた。
「ロウさん!どういうことですか!」
「……何がだ?」
「結婚式をしてないってどういうことですか!」
「ケ?コンシキ?」
それはユイナが何気なくカイナに、花嫁の衣装を貸してくださいと聞いたことから始まった。 カイナは勿論、そんなの無いけど?と言う。
「いいですか!女として花嫁衣装とは、一生に一度の幸せの想いを後世に伝えるための形ある唯一の物なんです!」
ユイナとしては憤慨してしまうのも仕方がないらしく、俺はその声量に少し驚いてしまう。
「私としてはカイナさんにはそれを着てほしいです!そして、それを私が着て!私の着たそれをカロナちゃんが着て!さらに私の娘か子の嫁に着せ!カロナちゃんの子にも!」
興奮するユイナを見てカイナは、俺を一瞥して立ち上がると、部屋の奥の自身の部屋から鮮やかな着物を持ち出してきた。
「本当は落ち着いたらと思ってたんだけど、出産したてだから、もう少し時間をおいてロウに相談しようって」
その言葉を聞いて、俺も今伝えるべきことをカイナに話す。
「丁度良かった、何かは分からないが、することしたいことは今言ってくれ、俺は少し遠くへ行くことになりそうだから」
「……え?」
それを聞いたカイナは、手に持つ大切な花嫁衣装を落としてしまうほど驚き、半日寝込んでしまうほど精神に衝撃を与えてしまった。
夜、カイナがカロナに母乳を与えていた時だ。
「すまない」
そう声をかけて出て行こうとした。
「ロウ、座って」
「……あぁ」
沈黙の中、俺はカロナの小さい足に触れる。
「この子が親に成るまでには魔の物の呪いを解きたい」
「それは確かにそうだけど……」
俺にメイロウの御霊とキリンの加護があることは、もう既にカイナには話していた。それを聞いていてもカイナは、それでもロウには今は傍にいてほしい、そう考えていた。
そして、俺もそれに気付いてはいて、それでも今旅立たなくてはいけない理由を話す。
「魔の物たちの発生が治まった今を逃せば、今後旅に出ることが難しくなる、だから、今旅に出なくては魔の物の呪いを解くことも難しくなる」
「それはロウがやらなくちゃいけないことなの?」
「今俺がやらなければ、カロナか、その産んだ子がその旅をしなくてはならなくなるかもしれない。その子は俺のように不死でもなければ特別な力もないかもしれない、俺がやらなくてはいけない使命なんだ」
カイナは胸の部分を正すと、俺の目を見つめて言う。
「一つ約束して、絶対に無事で帰ってくるって」
俺はカロナの頬に触れ、カイナの頬に触れて笑みを浮かべる。
「不老不死の俺が、そう簡単に死ぬはずがないだろ」
その言葉を信じたカイナは、旅をすることを許し、その前に結婚式をという話になった。
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