四章ノ参『日の国』


 カイナの出産を控え、俺は北の日の国で人狼の産婆を探しに行くと言うと、カイナはそれに反対した。

 その頃マトの国では、内紛が勃発していて、俺が森を通り北へ抜けるにはいいタイミングだと言うと、カイナは少しだけ不安がった。それは、マトの国での内紛は異例で、それを指揮しているのがあのカイナを攫ったアシム王子だったからだ。

 第一王子アシムが、第三王子を後ろ盾にして暗躍していた大臣ウジを斬首した、そんな情報を聞いたのは俺が旅立つ日の前日だった。

「ロウ、本当に大丈夫かな?私不安だよ、ロウが無事に日の国に辿り着けるのか不安でしかたないよ」

「別にのんびり過ごすつもりも無いし、通り抜けるだけなら数時間だけしかいないだろう、大丈夫さカイナ」

 カイナを一人残していくことが不安だが、俺が不安を見せたらカイナがもっと不安になる。

 出発から数日、マト国の王権は第一王子アシムへ帰属、第三王子は赤子も同然であるため、その妻ウジの娘とともに王家から追放され、第二王子は第一王子側について王宮は落ち着いた。

 ウジの失脚により、森の民に対する薬草学の締め付けが緩和し、流行り病で周知の事実となった信仰治療の迷信であることを第一王子が広め、民たちはそれを徐々に受け入れた。

 カルの国はウジの失脚を聞き、マトへと侵攻しようとするが、その最中でマトで流行った流行り病が急速に広がっていってそれどころではなくなった。

 だが、カイナの薬が商人を通じてが市場に出回り、マトよりも迅速にカルの国の人々は救われることになる。

 しかし、そのせいでカイナがカルの国にいると、アシム王子には感づかれてしまっていた。

「カイナはカルへ入ったのか……人狼め、必ずカイナは取り返す」

 そんな事を息巻いているなど、カイナも俺も想像もしないでいた。

 

 日の国は平和そのもので、実はマトとは国交を密に行い、さらに北側の国ゲッカとも商業で連携している。日の国の森、キョウリの森も豊で魔の物も数百年現れていない上に、一体のキリンがいなくなり、既にその魂は人の姿で生まれている可能性もあった。

 キリンは六体いると言われているが、その所在がつかめるのは日の国と、東にあるアマトの国のみと言われていて、他の四体は死んだとも森にいるとも言われている。

 日の国に到着した俺は、昔馴染みであるリナの子孫を訪ねた。

 彼女の子孫は、日の国人狼の里エゾにいて、そこには人狼と人が平和に暮らしているため俺は思わず感心してしまう。

「こんなに人狼がいるとはな」

 老人から子どもまで、姿はそれぞれで里の中で過ごしていた。

 そして、リナの子孫を探し歩く俺は、その姿を見るなり名前を言い当てる老婆に会う。

「あなたはロウですな?」

「……たしかに俺はロウと言う、マトの国人狼の里のリナの古い馴染みだ、だが、どうして俺がロウと分かった?」

「いつかロウが尋ねてくる、そうリナ婆ちゃんの言葉を聞いておったからな、ロウは人の姿で来るだろうとも伝わっとるし、絶対にリナ婆ちゃんの名前を使ってワシらを探すだろうとも云うとったらしい」

 俺はリナが約束した通りになっていて、今はもういないだろう彼女に感謝した。

「まさか本当に訪ねてくるとは思ってもみなかった、あたしの婆さんがえらくリナ婆ちゃんを信用していて生前〝絶対に来る〟と言うてたよ」

「リナが俺が来ると言い伝えておいてくれたんだな……」

「好きな男がどう行動するかぐらい、女だったら分からないと駄目!ってよく言うとったらしいわの」

 老人狼ミナと名乗ると、狼の姿に変わり案内し始めた。

 すぐに家に辿り着くと、ミナは土間から座敷へ上がり奥の部屋へと入って行く。

「もう長い時間人間の姿にはなれんで、出産にはあんたが助けんさいよ」

「もちろんだ」

 丁度その瞬間、人間の姿でミナの孫が現れた。


「ただいま、おばぁちゃん……誰このイケメン!何このイケメン!」

 ミナは顔だけ覗かせて、孫を見ると溜め息を吐いて言う。

「うるそうてすまんの、孫のユイナ、嫁入り前で男に飢えたオオカミ少女だわな」

 孫のユイナの紹介をする。ユイナはユイナでそんなことはと話を進めてくる。

「誰?名前は?いくつ?結婚してる?」

 俺はその質問攻めに困惑しながらも返答した。

「俺はロウ、歳は二百は軽く越えているくらいだ、結婚していて、妻は懐妊している」

 ユイナは俺の名前を口ずさみながら、何かを思い出そうとする。

「ロウさん?ロウ、ロウ、ロウ……ロウね、あぁ~あの!」

 リナからミナやユイナへと、永い歴史の中語られているんだな俺は。

「すごく若く見える、ねぇロウさんって一夫多妻ってどう思う?あたしは良いと思うな、妻たちは助け合い、夫はそれぞれの妻を代わる代わる愛する――どう?」

 少し笑みを浮かべ、俺が愛している者は一人に限るんだ、そう言ってカイナを思い浮かべた。

 さすがにそう言われたら誰もが諦めが付くはずなのだろうが、ユイナは少し違っていて、俺の腕にしがみ付くと囁くように言うのだ。

「愛さなくてもいいのよ、私が愛してあげるから」

 困惑気味の俺に助け船としてミナが、腕を引っ張って言う。

「ユイナ、ちょいと買い物を頼まれてくれるかい」

「ちょっと!おばぁちゃん!」

 人狼の数、そして人の数、日の国の人狼の暮らし易さは見れば分かるほどに平和そのものだった。そんな中、どうしてジュカクの森に移り住んだのか、それは俺が日の国に長く留まることができないという、カイナも知らない理由があったからだ。

「……こんなに豊かでも、キリンの領域にメイロウを宿す俺が数日いると聖獣同士の加護の力の反発で災害が起こるなんて、少し信じられないな」

 ツナム・ハジクの知識ではキリンには縄張りがあり、二体のキリンや聖獣が同じ土地の中に存在し続けると、互いの加護が反発しあい、結果的に土地が荒れたりする原因となる。

 それらの災害はキリンの知識でもどれほどのものかは分かっていないが、自然災害など目ではないとキリンはツナム・ハジクに伝えた。

「あまり長居して、この平穏を壊すのは申し訳ないからな」

 しばらくしてユイナが戻ってくると、なぜか少し小声になる。

「ロウさんごめんね、おばぁちゃんさ、ギックリで動けないらしいの、だからあたしが出産に立ち会うからさ、ま、産婆なんてババァじゃないけど知識と経験は結構あるのよ、ちなみにおばぁちゃん仕込みだから安心して」

 家の奥を窺ってみると、確かにミナが獣姿で伏せて唸っていた。

「人狼も腰を痛めるのか?」

 ユイナは出発を急かして家を出ると、大きな布のカバンで荷物を背負い、いざお産へ!と声を高らかに歩き出した。


 俺とユイナが人狼の里を出て少し経った頃、ミナがムクっと起き上がる。

「はて、昼寝してしもうた」

 そう言い待っているはずのロウがいないことに気が付くと、玄関先の手紙を手に取る。

 内容はユイナが勝手にお産の手伝いに行ったことが書かれていて、舌打ちをすると、置手紙を破り捨ててもう一度寝転がってしまう。

「あの子も街を出たがってたし、無理なお見合い結婚にはあたしも反対だからの、ま、いいだろの」

 そう考えるミナは、再び寝息を掻き始めた。

「ロウ!ちょっと待って!」

 人間の姿のユイナはオオカミの姿の俺にそう言うと、渋々その場で立ち止まる。

「どうしてオオカミの姿なの?歩いていけばいいじゃん」

「そんな速度では出産に間に合わないぞ、しっかり俺の背に捕まれ」

 ユイナをオオカミの姿で背負う俺は加減なしで走り始めた。

「速!速すぎ!もう!」

 普通の人狼ではない俺のその駆ける足は、走るというよりも飛ぶというのが適切だと思うほどに、あっという間にマトの国に入る。

 一方、俺のいないジュカクの森では、カイナが最近雇った青年に注意していた。

「いいこと!ダブハ!あなたは森を舐め過ぎよ!空ばかり見てると足元がおろそかになるの!でも!足元ばかり見てると頭をぶつけることだってあるの!ちょっと聞いてる?」

 真剣に怒るカイナにダブハ青年は見惚れている。そうとも知らず、長々と説教するカイナは、腕を組んで睨んだ。

「ね!分かったの?」

「はい、分かりました」

 ダブハ青年はカイナの元に修行しにきた薬師で、初めは断っていたカイナも俺がいない間だけならと、指導経験のために彼を雇っていた。お腹が膨れて動き辛いカイナの代わりに薬草を採取する意味でも、誰かは雇う考えだったが、彼を選んだことを少し彼女は後悔していた。

 彼は注意力散漫で、さらに、熱中すると一切他に目もくれない。そんな彼をカイナはいつも心配に思っていて、正直自身の身では面倒見切れないと考えていた。

「はぁ~、妊娠していなければまだ私がしっかりすればなんだけど、正直、今はお腹の子の方が大事だからあなたの面倒ばかりは見れないのよダブハ」

 カイナの言葉に、ダブハ青年は頷く。

「ごめんなさいカイナ師匠」

 歳はダブハ青年が上で、カイナの方が年下であるため、何だかこそばゆい呼ばれ方にカイナは少し照れくさくなる。そして、カイナは自身が引き受けた以上、立派な薬師の前に立派な人間になってほしくて、彼女なりにダブハ青年を教育しようと決意する。

「ちょっといい?ほら、私のお腹に耳を当てて」

「え?!……はい」

 さっきまでの見惚れていた視線とは違い、真剣にカイナのお腹に耳を当てるダブハ青年。

「ほら、聞こえる?」

 脈動する音、それを聞き入るダブハ青年は急に話を始める。

「女性の子宮にある卵子、それに男性の精巣から生まれた精子が受精することで、一つの生命が誕生する……カイナ師匠、僕は今生命の神秘に触れているんですね」

 少し抜けているだけで、彼はとても純粋な探求者、決してその行動心理に嫌気がさした両親に邪魔扱いされたわけではない。

「僕も妊娠してみたいです」

「お、男は妊娠できないと思うけど」

「……単なる希望ですよ師匠」

 決してその行動心理に嫌気がさした両親に邪魔扱いされたわけでは――ない。

 ダブハ青年がカイナのお腹に耳を当てていると、丁度薬を求めて訪ねて客がくる。

「あ、いらっしゃいませ」

「……お邪魔だったかしら」

 カイナはその言葉に慌てて否定して、ダブハ青年を突き飛ばした。

「ダブハ、接客してきて」

「はい、師匠」

 カイナが村の大工に立ててもらった小屋は、少し改装して品物を置ける店のようにしていた。


 カイナがダブハ青年と客の対応をしている頃、俺は人狼の森で不可解な物を手にしていた。

「ロウ!ちょっと!休憩させて!」

 森に入ってすぐ、ユイナの言葉で休憩をすることにした。

 そして、人狼の森のキリンの寝床であり、弟の墓でもある大きな切り株の中で俺は何かを感じて足を止めた。

『キリン、それは木の輪廻、元は大樹なりて、大地に根をはり生にしがみ付く者だ、汝エンコ、炎の虎に遭いし時、またそれも炎に宿り、生にしがみ付く者なり』

 しばらく意識を失っていたのか、目覚めると腕には謎の木製の腕輪が付いていた。

 腕輪は決して外れない、そして、俺自身も外そうとはしない。

 いつもこういう夢を見ると大体は理解できた。そして、これに関しても俺は素直に受け入れてしまえた。これから自身の身に何が待っているのかを、メイロウを宿すがゆえに、俺は知らず知らずのうちに聖獣の運命に引き込まれていたのだから。

「ロウ?もうそろそろ」

「……あぁ、分かってる、ユイナ、キミの名前は誰が付けたんだ?」

 ユイナは首を傾げると言う。

「おばぁちゃんだけど」

 ユイナの名前をミナが付けたと俺は知っていた。いや、全て知ってしまったのだ。

「これもメイロウの力なのかもしれないな」

 無駄話はそれまでで、再びユイナを背に乗せて俺はジュカクの森へと駆け出した。

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