四章ノ壱『愛のカタチ』
私が王宮に囚われて四日が経っていた。
第一王子のアシムのメイドたちは、廊下の窓を拭きながら噂話をする。
話題はもちろん私の話。
「聞いてる?あの子、森の民の女の子の話」
「あの子ね、知ってるわよ、毎日媚薬入りの薬湯に入って媚薬入りの食事に飲み物を食べているのに、いつになっても王子がものにできないでいるらしいわね」
王子のその手の話は、メイドの中ではどうやら既に常識であり、その噂が立つのも必然だった。そして、若い美しいメイドであれば、一度は王子に抱かれているもので、その体験から、四日経っても王子に抱かれていないことに驚きと感心を抱いていた。
だけど、私自身は何度もアシム王子に抱かれかけているが、最後の一線を王子が何故か越えないようにしているように感じていた。
女として、ただただ気力で耐えるのももう限界を迎えていた私は、王子の私室で一人、自分の手に噛みついて、布で体を巻いて膝を抱えていた。
そんな私を、王子はベットの上から楽しそうな笑みを浮かべて眺めている。
「けな気だなカイナ、俺はいつでもお前を受け入れてやるぞ?」
「……したい……」
その言葉に王子は、ならと身体をベットから起こし私の傍へと向かう。
「この手を握れば後は俺が楽にしてやるぞ」
私は王子の伸ばした手を虚ろな目で見て、歯型がくっきりと浮かんで血が滲んだ左手をギュッと握りしめてもう一度言う。
「あなたじゃない……私が子どもを作るとしたら、それはあなたじゃない、私はあなたには屈しない」
別に王子は子どもが欲しかったわけではないと、後から思えばそう分かる、でも、その時の私の性の知識は子どもを創る行為としか認識していなかった。
その言葉にさすがの王子も不満を露にして、でもすぐにベットに戻ってまた笑みを浮かべる。
「まぁいい、誰も助けにはこないぞ~」
そう言って視線を私に向ける王子は、再び手を噛み体を震わせる私を見て思う。
どうしてそこまで、そんなにその男が良いのか?
そして、ウトウトして王子はそのまま寝てしまう。そして、日が傾いた頃に目を覚ました王子は、視線を周囲に向け私の姿が無いことにようやく気が付く。
「どこへ行ったんだ?」
その時私は、朦朧とする意識の中で、ロウの遠吠えが聞こえてくる、そんな気がして、王子の私室から布のロープを作り外へと出ていた。王宮は城下街を見下ろすような高い位置にあり、私が歩く場所は、崖のように侵入者を防ぐ反り返る崖になっているところだった。
フラフラとロウの姿を追って行く、あの尻尾を掴めばもう放さない。
「あなたが獣でもいい、私はあなたが好き、ロウ、待って」
私は感情の抑制ができないまま、幻覚のロウに愛情の全てを捧げようと後を追っていた。
そんな私を王子が見つけた時には、もう意識を殆ど保てていなくて、限界を越えて幻を見ながら城下街を見下ろしていた。
「カイナ!馬鹿な真似はよせ!」
王子が声をかけると、私はフッと我に返った、視界に映る城下町、さっきまで目の前にいたロウが消えた。そして、私は凛とした瞳と表情で振り返ると王子に言う。
「私はあなたの物はならない」
その表情に、王子は一瞬ゾクゾクと支配欲を擽られる。
しかし、次の瞬間には私が崖に身を投げると、くっそ!とそれを掴もうと走る。
が、あまりに位置が遠く、私の体は直ぐに落下し始めた。
王子は崖の上から這いつくばって見下ろしていると、その隣を人影が走り抜けて勢いよく壁伝いに落下していく。
「あ、あれは、人か?いや、狼!人狼か!」
私は落下しているその瞬間、あまりに切なく、あまりに恋しい、その名を呼んで自身の前に再び現れた幻影を抱きしようとする。
「ロウ……」
その時、突然頬に何かが触れて、私は自分が目を閉じていることに気が付いて目を開ける。
すると、そこには頬を舐めるオオカミが一匹。
幻影でもなんてもいい、ロウ、大好き。
私はロウの舌を銜えて、自分の舌で舐め返した。
地面が迫ってくる瞬間にロウは人の姿に変わり、崖を蹴って次に建物の屋根を蹴り、地面に着地した。二回の蹴りで勢いは殺され、地面に着地する時には反動はなかった。
私は二回の軽い衝撃で目を瞑っていたが、「カイナ」と名前を呼ばれると、まだはっきりとしない意識の中で言う。
「誰?あなたはロウ?ロウなの――」
「……カイナ、もう安心だ、もうお前を離しはしない」
音に驚いて出てきた母子が私たちを見て、子どもが指を指して言う。
「かあちゃん、裸の人が――」
男の子がそう言うと、母親は急いで子どもの眼を覆う。
ロウは私を抱いたままその場から走り去るけど、それを崖上から見ていた王子は私の無事にホッと安堵し、舌打ちすると、苛立ちを露にして声を上げた。
「人狼め、カイナを攫うきか!」
立ち上がり駆け足で王宮に戻ると王子は叫んだ。
「侵入者だ!衛兵!衛兵を呼べ!」
一瞬にして王宮内は騒然として、大臣であるウジも部屋から出てくる。
「どうした?何事だ」
メイドを呼びつけて事情を尋ねたウジは事情を聞くと言う。
「女?あぁ薬師の女か……」
娘が助かったのはあの薬師と一緒に届いた薬のおかげだ、どこの薬師かしらんが……。
そう考えたウジはメイドに囁く。
「衛兵に伝えておけ、女が南に逃げて行ったとな」
ウジは私を私と知らずに手助けをした。
そのウジの虚言もあり、ロウと私は追手に追いつかれることはなかった。
街を出たロウは狼の姿に成り、私を背負って風よりも速く駆けて行く。
森の入り口に入った時、私は少し思考を回復し、少しだけ理性的に頭を働かせる様になっていた。
「……ロウ?あぁロウ、私、あなたが好き、あなたが好きなの」
ロウは、足を止めると人の姿になり私を抱きしめて言う。
「俺もカイナが好きだ、この世界の何者にも渡したくない」
抱き合う私はロウが人の姿である事実に驚きはしない。それは私の中でロウが人の姿になれるのではないだろうか?という考えがずっとあったからだ。
「ロウ、私もう我慢できないの、抱いてよ、私我慢したよ?ずっとロウの子をこのお腹に欲しいって思ってたよ、ロウじゃなきゃやだよ」
「人狼は人の姿では子どもができ辛い……、獣の姿の俺は受け入れられないだろ?」
そう言って、ロウは私を一層力強く抱きしめた。
私はロウが狼の姿で隣で寝ている時、頬を舐め始めると、少しづつ自分の顔をずらして口元
へ来るようにし、初めてロウの舌が唇に触れた時は、心臓の鼓動でロウが起きるのではないかと思ってしまうほどに鼓動がうるさくて、満足感なのか幸福感なのか分からない感情で満たされたのを今でも覚えている。
今思えば、その時に初めて想ったのかもしれない、ロウが好きだって。
「バカだな――」
穏やかな表情で私はロウに言う。
「私が好きになったロウは、狼の姿のロウなんだよ」
それが私の嘘偽りのない本音だった。
「例え他人に何を思われようと構わない、それで人の世界から外れても、それでも私が好きなのは狼のロウなんだよ」
ロウの頬に触れ、額と額をくっ付けて私はそう言う。
祠までロウに運ばれ辿り着くと、寝台の上で私はロウに両手を伸ばす。
「ロウ、元に戻って、そして……私を愛して――」
ロウは姿を変える前に私に優しくキスをした。
「カイナ、愛している」
狼の姿に変わったロウはカイナと舌を絡ませる。
ロウの視界には、祠の窓から月明かりに照らされるカイナの姿が艶っぽく見えている。
カイナの視界には、獣姿のロウが息を荒くしてゆっくり覆い被さってくる。
ロウの低い唸り声と、カイナの高い喘ぎ声が森に微かに鳴り始める。
人狼と、片や人間。
二人のそれは愛ゆえの営み。
森も、草も、動物も、虫も、それを見るでもなく、かといって関わらないわけでもなく。
自然に、ただ自然に、二人の行為を見守るでもなく、ただただ自然の一部として受け入れていた。
「ロウ……私、幸せ、こんなに幸せで、こんなに満たされて」
ロウはその言葉を静かに聞いている。
これから待ち受ける困難からカイナの全てを守ると心に刻みながら、もう一度カイナ頬を舐め、気持ちをその身に重ねていく。
『巫子を成す、メイロウの名において、カイナが産む子、その子が産む子、その子の子の子の子が産む頃には我の御霊が人と成っていること願う』
そんな耳障りもロウは気にせず、運命と戦う宿命を受け入れた。
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