三章ノ伍『大切な人』
奪った者、奪われた者、与えられた者、与えた者、それらは交わる。
メイロウ、アンジャ、キリン、エンコ、スイリュウ、フウチョウ。
聖獣の中でメイロウとフウチョウは雄、または男と呼ばれる側の存在。
それら以外は雌、または女と呼ばれる側の存在だった。
メイロウは優しく等しく触れ合った、だが、フウチョウは空ばかり見上げて何もしなかった。
そうして、アンジャやキリン、エンコやスイリュウはメイロウに恋し愛し触れ合った。
それを高見の見物を決め込んだフウチョウは、その様子をジッと見ていた。
メイロウはいつしか人という生物の誕生とともに、自身も人へ成りたがった。
それは、人という生き物が子孫を残し、愛を育む様子が羨ましく思えたから、それにその見た目の毛も羽もない美しさを羨んだからだ。
そうしてメイロウが人に成りたがると、アンジャやキリン、エンコやスイリュウも人に成ってメイロウと愛し合うことを誓った。だが、フウチョウだけはそれに一切見向きもしないで、空を悠々と飛んでいたのだ。
……夢か?
メイロウが宿っているせいか、最近訳が分からない夢をよく見る。
「ロウ、どうしたの?」
カイナ、そう彼女と暮らすようになって、もうしばらく経つ。
俺を覗き込む顔は少し大人になって、カイナの母のように美しくなってきた。
カイナが料理をしている、カイナが薬草を摘んでいる、カイナが薬を作っている、カイナがカイナが、そうして俺はあっという間に数年彼女の傍にいた。
これ程まで穏やかな心で過ごせたのは彼女のおかげだ。
俺はカイナが好きだ、だから人狼の姿は絶対に見せない。それは、彼女には普通に人間として暮らしてほしいから。
その人生を最後までただの獣として傍にいられたら、それはどれだけ幸せだろうか。あぁカイナ、お前はどうして俺をこんなにも救ってくれる。長く、永く、俺を蝕んでいた苦しみを痛みを、癒してくれるのはお前をおいて他にはいない。
俺は彼女と一緒に寝ることを、最近は悪いことだと思うようになった。気が付けば彼女の体を舐めている。それが、欲求からくるものだと自覚している。
カイナが拒絶すれば、俺は二度と一緒の寝床では寝ない。だが、彼女は拒絶するどころか獣の俺の舌を舐め返す。
心が、体が、カイナを一人の女として扱うのが怖い。俺はカイナに背負ってほしくない、俺を、メイロウの願望その呪いを彼女には。
「ねぇロウ……ロウが人狼なら好きになってもいいのかな?」
やめてくれ、俺を好きにならないでくれ。カイナが俺を好きになったら、俺はカイナを他の誰にも渡したくなくなってしまう。お願いだから、ただただ幸せになってほしい。
「私、変なのかな?人じゃなきゃだめなのかな?」
そんな葛藤、獣である俺には無用なものだ。
いらない、いらない、いらない、いらない。
「ねぇロウ……キス――しようか?」
俺は初めて寝床から逃げた。
森を駆けて、草を踏みつけ、小枝を折り、森の奥の池に飛び込んだ。
俺は獣だ!
化け物なんだ!
人間を愛してはいけない!
人間を欲してはいけない!
カイナを求めてはいけない!
どうして、こんなにも愛おしい存在がいて、相手も想ってくれるのに。
死にたい、カイナを傷つける前に、死にたい、カイナに傷つけられる前に、死にたい。
それが叶う可能性があることが、こんなにも、こんなにも、苦しい。
水に溺れ、死ねない俺は気が付くと浮かんでいた。
朝日に照らされた花が咲く池が、あまりに綺麗に視界に映る。
「ダメだ……俺は――カイナが好きだ」
人の姿で俺はそう吐いた。
無理だ、この気持ちはどうしようもない。どうにもできないんだ。
俺は悟った。
きっと、俺はカイナを諦められない。
それから、いつカイナに俺の真実を話すかをずっと考えていた。
「もう、話そう、いや、でもな……俺なんかが――」
ブツブツ呟きながら森の中を進む。
「……!こ、これは――」
森の中で不吉な動物の死骸を見つけて悪寒を感じた。
人の顔に身体は鳥、所謂人面鳥だった。
人面鳥は不吉の前触れ、それは古くから伝わる言い伝えで、俺は死骸を埋葬して祠へと戻った。村へ出かけたカイナが帰るまで、俺は今日話すか、どうするかを迷いながら待っていた。
でも、いつまで経ってもカイナが村に出かけて帰らない。
俺は、嫌な予感とともに村へカイナを探しに行くと、以前、俺を犬呼ばわりした老婆が、まるで俺が来ることを分かっていたかのように入り口の辺りで待っていた。
「ごめんよカイナちゃんを護れなくて」
老婆はそう言って泣いていた。
「ダンやテルも抵抗したにはしたんだけどね……相手は国の兵士、カイナちゃんを守れんかった」
カイナがマトの国の王子に連れ去られた。
カイナはこの国に母と父を奪われた、俺はそう話しを聞いていた。
今度はカイナ自身を……、そんな事は許さない。
あぁ、これは久しぶりの感覚だ。
人間に父を殺された時、血が全身で煮えるような感覚。
でも、大丈夫、カイナは死なない、死なせない。
ようやく俺の心が決まった。
カイナ、お前のためなら何だってできる。
相手が国だろうが王子だろうが、俺の全てをかけてお前を助け出す。
そうしたら伝えよう、俺の事を、俺の気持ちを。
俺は駆けた、まず祠に、その天井にはずいぶん前に隠していた気密性の高い木箱がある。
それを人の姿で取り出すと男用の服が入っている。それは、カイナが村に行っている時、祠に置いてある金貨でいざという時に備え買っておいた俺の服だ。
当時、行商は半裸の俺を見て金が無いのではと疑ったが、金貨を見せたら簡単に売ってくれた。人というものは身形よりも金貨を信用する変な生き物だと思ったが、実際には人ではなく商人がそういうものなのだとカイナの商売を見てたら思えてきた。
俺は、数百年ぶりに人間の姿で服に袖を通す。人狼は髭などの体毛が殆ど人の姿では伸びない。二足歩行が久しぶり過ぎて、ヨロヨロとふらつき壁に凭れかかると、俺は自分に慌てるなと言い聞かす。
「俺は古き守杜の一族だ……落ち着け、冷静に冷静に対処するんだ」
怒りに任せて行動すれば、それはカイナの身を危険にさらすだけだ。服は靴まで一式で揃えていたが、靴を履こうとすると、あまりに違和感が強かったため、結局裸足で向かうことにした。人の姿で人に紛れ、カイナの元まで行くことが大切だ。
カイナを救うため、俺は初めて森から出て無数の人間が住むマトの首都へと駆け出した。
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