三章ノ参『流行り病』
ロウの病は二日で完治した。二日間、カイダレの茎とキリン草の葉で煎じて作った薬をロウに飲ませ、ようやく彼の容体は落ち着き元気を取り戻した。
安堵、ただそれだけが私に訪れ、ふと、自分の事を一切していないことに気が付いた。
食事、睡眠、していたのは身体を拭くくらいで、新しくした祠の掃除もさっそくサボってしまっていた。それでも、ロウから少しでも離れるのが嫌だったから今はロウが優先だった。
「そうだロウにご飯作ってあげよ――」
私はロウのための粥を作ろうと米櫃の栓を開けて、そのまま自分の口も開いてしまう。
米櫃から数粒のお米が出ると、それ以上は何も出てこなかったからだ。
いつもなら無くなる前に上の蓋を開けて中を確認するけど、その時はそれどころではなかったし、下の取り出し口からザルに少しだけ零れた米が現れる様子は、まだ祠で暮らし始めて間もない頃を思い出させる。
「村でお米買ってこよう、……それに何か精のつくものも」
私は干し芋を食べながら村へと向かった。
村に着くと、いつもなら誰でも入れるはずの入り口のところに、村長さんの孫さんや息子のダンさんが立っていて、私が近づくといつものように笑顔で挨拶してくれる孫さんに比べて、息子さんの態度は明らかに違い、何か気が立っているような気がした。
「おはようございます」
「おはよう!カイナ!」
「……おはよう、こんな朝早くどうしたんだ?」
私は事情を少しだけ嘘を混ぜつつ話した。
「その知り合いの病気……治ったのか?」
「ええ、かなり危なかったですけど何とか――」
息子さんは目を閉じて何かを考え込む。
「少しカイナに助けてほしいことがある、村に入ってくれないか?」
「……何か、あったんですか?」
ついてくるように、そう言って私を村へと案内した息子さん、そこで見たのは息子さんの奥さん、それに娘さんが病で寝込んでいるところだった。
「ここだけじゃない、この村中こんな状態なんだ」
他の家でも何人かが、同じ症状の病を発症していることから伝染病だと息子さんは判断した。
「親父も亡くなっちまってな……、もうどうしたらいいかわかんねぇんだ」
「そ、村長さんが!」
始まりは、旅の行商人から買い付けをする仕入れ屋の店主から、その次は私たちの祠を修繕してくれた大工さんとその息子さんで最後はヒノさんだった。
その発生と広がり方から、私はロウにもそれがうつったのだろうと考えた。私はもう何人かその症状を見てロウと同じ病と確信を持つ。
「少し待ってて下さい!」
そう言って例の薬を家まで取りに帰った。
潜伏期間の長く人によってその時間が違う病、その時はそんなことも分からなかったけど、何となく息子さんとお孫さんが、当時数週間村から出ていたことを考えてみても、二人も直ぐに発症しそうだった。
私が発症しなかったのは、ロウの看病で薬を何度も飲み込んだからだろう。予防にも完治にも使える薬、私は迷わずそれを村の人たちに使った。
「この薬で治るはずです!」
「本当かい!」
「でも量がそんなに無くて、吐いたら困るので口移しであげて下さい!奥さんにはご自分で、娘さんには私が口で与えます」
その時は眠気と空腹で、よく考えずにがむしゃらしたけど、今考えると少し抜けていた。
誰かれ構わずに口移しで薬を私が与え、後からその時のことを男の人や男の子たちは、今死んでも構わないと思ったと言うくらいで、朦朧としている男の人にはこれからは例え治療でも口移しはしてはいけない、そう誓ったのはその時だった。
「カイナ、ご飯を食べなよ、身体に良くないよ」
「そうですね……ごめんなさい、頂きます」
奔走した結果、四日で村の人たちは全快した。
毎日様子だけ見ていたロウも、食事も食べていないだろうにすっかり元通り元気になり、私はようやく一心地つけた。
「明日、じいちゃんの葬儀なんだ」
孫さんにそう言われ、私は少し悲しかった。
村が落ち着いて直ぐに村長さんの葬儀が行われ、私は泣いてしまいアリユさんが頭を撫でながら、カイナちゃんはようやった!そう言われて私は少し気が晴れた。
葬儀が終わり、私はヒノさんにしてもらった化粧とアリユさんに借りた喪服姿で立っていると、村長さんの孫さんや若い村の男性が続々と集まって互いに、まさかお前もか!と言い合いながら近づいてきた。
「……カイナ!俺と結婚してくれ!」
彼らはそれぞれに想いを私にぶつけて、結婚してください!と言う。
けど、私は彼らの想いは一切胸がときめくことなく。
「テルさん、ごめんなさい」
そう言って頭を下げ続けた。 私はその病が治まると、その後はこれ程の出来事が起こることはしばらくないのではないだろうか、そう考えてしまっていたけど、実はその病はただのきっかけにしか過ぎなかった。
私がようやく日常を取り戻した頃、東国と呼ばれる国の一つ、マトの国の南にあるカルの国では、その病の噂で一つの大きな異例が決定していた。
「大臣!大臣!」
大きくて力強い歩きをする男は、そう叫びながら広い長い廊下をノシノシ歩いていた。
「大臣!大臣!」
彼の名前はサンボ、カルの国の全軍の大将。元々狩猟の民族だったカルの国は弓兵や弓騎兵に長けていて、そのカルの国の全軍大将のサンボが、大臣を呼び何を話すかは誰もが想像できることだ。
「マトの国で流行り病だ!今すぐ国境を封鎖しろ!戦争どころではないぞ!」
カルの国は、毎年この時期にマトの国に小競り合いを行うお隣さんで、実質は外部に武力を見せつけるだけの行為だったけど、この年は病の所為でマトの国には迎えず、狙いをさらに南のテイの国へと変える決断を下していた。
マトの国としては、今カルの国に攻め込まれれば損害どころか、侵略され王都も陥落するかもと噂されるほどに、流行り病によって人が倒れ死んでいた。
そして、マトの国ウジ大臣の前にも平伏する部下の姿がある。
「ウジ大臣!信仰深い民が病に伏せております!何卒!民が助かる術をお教え下さい!」
部下の一人にそう言われたウジ、彼はマト国の大臣になり王宮内の人事を好きに変え、祭りごとは彼の立てた王がまだ幼い第三王子であるために行えず、彼の考えのみで行われていた。
そして、彼の意向で薬草学をマトの国では禁止していたため、流行り病に対する明確な治療法が見つからず、民が大勢死んでしまっていた。
一週間前は健康だった人も、今では病に伏せてしまう、誰もがそれに恐怖していた。
始めは、信仰によって病は治るでしょう、そう言っていたウジも、甥が病に伏せると秘密裏に森の民らの知識を借りて治療に当たっていた。
そうとも知らず、首都の民たちは信仰で治るという言葉を信じて病に立ち向かった。
それに比べ、首都外の辺境では徐々に治療薬が普及していて、それが私の作った薬の噂を聞いた商人たちがリユイ村まで来て、実際に使い効果を確認すると薬を買って広めてくれた。
「カイナちゃん、あのお薬売ってくれ」
それは行商のおじさんで、私の薬一人分で銀貨十一枚で買ってくれる。薬の評判を聞きつけて、沢山の行商人が私がリユイ村にいる時間帯にやってくるようになった。
アリユさんに言われ、唇に薄い紅をさすようになって、さらに美人になったと噂されるようになった私は、行商人の人にも度々求婚されたりしていた。
気温の温かさに服も袖の無いものを選び、ズボンも短く涼しいものを選んで穿いていた。
そんな私に高価な服を持ってくる行商人も多かったが、基本私は受け取らないようにしていたけど、その理由は、一度村で男の人から服を一式手渡され、そのまま持って帰ると、いつ着てくれる?と催促され、着れば着たで、俺の贈り物をカイナちゃんが着てるんだぜ、と周りに自慢するため、それ以来男の人からの服の贈り物や飾りの贈り物は貰わないようにしていた。
行商人から行商人へと私と薬の噂が広まり、それが首都へと届くようになるまでそれほど日はかからなかった。
その日、噂を聞いて首都から貴族が数台の荷馬車を走らせて村へ来た。
「薬師のカイナはどこか!薬師のカイナを知らぬか!」
たまたま薬を売りに来ていた私は、少し戸惑いながらも商人にしては雅な服装の男に話しかけることにした。
「カイナは私ですが……」
貴族は私の薬を買い付けに来たらしく、私に威圧的に話しかけてきた。
「お前がカイナか!薬を買ってやる!よこせ!」
「すみません、薬は行商に売ってしまったので、そちらと話をして下さい」
その言葉を聞いた貴族は次に言う。
「マトの国では薬草学は用いてはならぬ決まりがある!お前は罪人として捕らえられるだろう!だが、私の妻になれば!私の力で何とかしてやるぞ!」
腕を強引に引っ張り、体を無理やり抱き付かせた貴族は、その口元をニヘラと緩める。
いつかと同じで女の私は力では敵わず、止めて下さい!と言葉で抵抗した。もちろん、そんな言葉では貴族は退こうとはしない。
新しい村長となったダンさんやその息子のテルさん、村中の人が貴族の行いに怒りの表情を浮かべる。だけど、貴族に手を出すと首都にいるマトの兵士が黙ってはいないため、彼らが飛びかかることはなかった。
「私がお前を満足させてやろう!貴族の子を孕むのだ!嬉しいだろ!」
貴族がそう言い終えた時、黒い影が村人の足下を素早く駆け抜け貴族に体当たりした。
「ぐはっ」
黒い毛は、日の下で濃い藍色であることがはっきりと分かる。その毛並みの持ち主は、唸り声を鳴らすと牙をむき出しにして貴族に詰め寄った。
「オ!オオカミ!ヒィ!」
ロウが現れて、貴族は直ぐに馬車の荷台へ飛び乗り、馬車は村から立ち去って行った。
私は直ぐにロウに抱き付いていた。
「ロウ……怖かったよ、すっごく怖かった」
ロウは唸ってはいないけど、なぜかまだ気を張っていた。
その理由は村の人たちの視線で、恐れを表す彼らにロウは警戒され警戒していたのだ。
「ロウ、村から出よう、私と一緒に」
私はすぐにロウを連れて出て行こうとした、けど、ゆっくりと一人の村人が私たちに近づいてくると状況は思いもしない方へと変わった。
「賢い犬だね、ありがとねカイナちゃんを守ってくれて」
そう言ったのはアリユさんで、その言葉がきっかけで村長のダンさんやヒノさん、他の村の人たちも恐れは少し残しつつもロウに声をかけてくれた。
「ありがとうな犬!」
それが優しさであることは、私もロウも分かっていた。だからこそ、ロウは一歩前に出て頭を下げる素振りをして森の中へと駆け戻って行った。
私はロウに貴族から守ってもらえたけど、貴族の危うさは今回体感できたことで、金輪際関わることはやめようと旨の留めた。
そんな事があった後、マトの国の王宮では、ウジの配下の兵士がある噂話をしていた。
「ウジ様は第三王子と娘さんの結婚を上手く手配したようだ」
首都ではその結婚の話が、流行り病とその病が治る薬と美しい薬師の話題で関心が少なかった、だけど、知らない者はいない事実として噂されていた。
それ以前に、第三王子の母はウジの姪であり、ウジの娘との結婚は所謂親戚同士の結婚であると周知されていた。互いに赤子と二つ三つの子どもであることで、ウジが地固めしていることは明らかすぎたことも関心が少ない原因ではあった。
「しかし、娘さんが例の流行り病にかかっているらしいぞ」
ウジの娘が流行り病にかかったのは、殆ど病の完治が首都に訪れた時で、薬は既に在庫もなく、新たに買おうにも行商人も手に入れられなくなった時期だった。
その当時、私は貴族の眼から逃れるため、祠周辺に籠って生活していたため薬も祠にはあったが、それを行商に売ることはなくなっていた。
ウジは娘のために薬を密に探していたが、噂だけで薬師を探し出すのは無理に等しい状況だった。
そんな時、第一王子の母が流行り病に遅れてかかり、第一王子が自ら薬師を探しているのを知って、部下を通じて情報を流していた。
ウジにとっては第一王子は邪魔な存在であり、第一王子にとってはウジと第三王子が目障りで互いに牽制し合う仲だったが、ウジの部下から薬師の噂を聞いた第一王子は、すぐにウジとは違う方法で薬師を探し始め、リユイの村に薬師がいることを商人から聞きつけると兵士を連れて自ら出向いて来た。
「おい、そのリユイ村というのはまだか?」
「はい、まだです」
王子と側近の話を聞いていた護衛の兵士は隣の同僚に言う。
「さっきも聞いてたよな?」
「ああ、ついさっきな」
「なんであんなに何回も聞くんだ?」
「お前も母親が病気になったら焦るだろ?たぶん……そういうことだ」
「……うち、母ちゃん死んでるから分からないな」
「……じゃ、父親だ」
「なら、死んでくれって思うさ」
「……悪かった、俺が全部悪かったから、もう黙ってろ、な?」
「……ほいほい」
神輿に揺られながら、王子はリユイ村を目指して行く。
「おい、リユイ村というのはまだか?」
「はい、まだです王子」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます