三章ノ弐『薬師』


 ロウと暮らし始めて五年くらい過ぎて、私は成人の年を迎えていた。

 マトでの成人は十六歳で、森の民での成人が十四歳だから二度目の成人になる。

 髪の毛も伸び、前髪と左右の部分を後で結んでいるけど、それは母の髪型を真似ている。

 母は十四で里を出て、それ以来マトの村々で薬師として暮らしていたと言っていた。そう考えると、母はとても凄い人だったのだと改めて私は誇らしく思う。

「ロウ、私、これから村に行ってくるね」

 私はリユイ村で薬を売らせてもらえるようになり、身形を整えて毎日お米を食べるくらいの収入を得ていた。そして、ロウと住む祠の修繕を村の大工さんに頼むために費用を溜めていた。 元々傷んでいた祠は、私が住み着いてさらに破損個所を増やしていたからだ。

 まだ成人もしてない頃の私は、薬を溢したり、燻しに失敗したりもした。

 とりわけ、風呂の代わりに湯を沸かして体を拭いて、それを溢すことも多々あり、床が傷んでしまったのが一番痛い、つまりは私の責任。

 ロウでも祠の修繕は無理、私もそんな技能があれば新しい祠を建ててしまえるし。

「お土産はヒノさん特性のハチミツ酒ね」

 声を発すこと無くロウは私を見送る。その心配そうな顔も、少しハチミツ酒に期待していることも、もうすっかり分かってしまうようになっていた。お土産と言っても、ハチミツ酒は私のご褒美でもある。飲むわけではなく、飲んだロウが酔うとイチャイチャできる、そういう意味でご褒美なのだ。

 森を少し南に移動し、東向け抜けるとそこにはリユイ村がある。

 リユイ村の村長は森の民の家系で、森に住む私には友好的だった。ただ、私は少し苦手な部分があって。

「やぁカイナちゃん、また来てくれたのかい?」

「おはようございます村長さん、今日も良い薬がありますよ」

 村長はその後、ワシの孫はどうかね?と言い始めると話が長い。

 村長の孫は私より五つ上で、お嫁がいないためか、村に行くと大体この話が出てくる。

 後から考えると分かるけど、当時の私は母譲りの容姿で、お孫さんは一目惚れだったのだろう、と勝手ながら思っている。それに、当時よく男の人に声をかけられていた気がするし、おじいちゃんなんか毎回体に触れてきていたような……気のせいかな。

 その頃からだろうか、私も異性というものを徐々に理解し始めていた。

 その日、いつも特別な薬を買ってもらっているアリユさんというお婆さんに、いつものように薬を渡してお金をもらったあと、カイナちゃんちょっといいかい?と声をかけられた。

「なんですか?」

「これ貰っていきなさい」

 手渡されたのは、私が普段は身に着けていない胸の下着だった。

「その大きさで無防備に揺らしているのは、この村の男たちには毒気だよ」

 そう言われるまで気にすることもなく今まで過ごしてきたけど、私の胸は普通の女の人よりも少し大きく、大きくなっていた気がしていたけど、わざわざ下着を買うお金さえ節約する私は、胸用の下着は買ったことも着けたことが無かった。結果、私が少し動くと、胸は自由に動き回り、それを見た男の人たちはそれに視線が行くのだそうだ。

「男は煩悩の生き物、悪いことは言わん、それを着けんさいカイナちゃん」

 私はアリユさんの気遣いによって、無用な諍いを生まずに済んだんだけど、その時はあまりに異性に興味がなく、ただただその下着を付けた時の動き易さに驚いて満足していた。

「あれ?!カイナちゃん……胸――」

 そんな声のかけられ方をしたのは、その日限りだったような気がする。村の子どもたちも、カイナの胸が揺れてない!と驚いたことに私は驚いた。

 胸が揺れる様子は自身では見えないため、もしかすると、物凄く恥ずかしいことなのかもしれないと思い、どうしてお母さんは教えてくれなかったんだろうと疑問に思ったが、小さい子どもに、大きくなったら胸が揺れないようにしないといけない、とは後々考えるとまず言わない。

 それから、私は大工さんのところへ行き、祠を見てもらう約束をしておくことにした。

「お!カイナちゃんじゃないか!あれ?!胸……」

 その時の大工さんのガッカリした顔は、きっといつまでも忘れそうにない。

 祠の話をすると、大工さんは月末には見積もりに行くと約束してくれた。その日の薬の売り上げは銅貨十二枚、話からすると見積もりは銀貨二百三十枚程、貯めたお金は総額銀貨百六十四枚と銅貨五十八枚、とてもじゃないが足りない。だから私は考えた、どうやって残りを稼ぐかを……そして。


「お手上げだよ~、ちょっと無理かもしれないよ~」

 こればかりはロウにはどうしようもできない、けど、困っているのが何となく分かる。

「そう言えば、若い娘は街では稼げるって商人さんが言ってたっけ」

 そう呟いた私に、珍しくロウが唸って、ウオォン!と吠えた。

「ど、どうしたの?冗談だよ、ロウを置いて出てくわけないよ」

 私はそっとロウに抱き付いて、私はロウとずっと一緒だよ、と言うとようやくロウは唸るのを止めてくれた。しかし、どうにかお金は稼いでおかないと、そんなことを考えて、その日はゆっくり眠りに付いた。

 朝、まだ日が昇る前、ロウが私の顔をペロペロと舐めてくる。甘えたいのだろうと、私はペロペロしてくる舌をペロペロするとロウが慌てて飛び退いた。

「……どうしたの、そんなに驚かなくても」

 ハチミツ酒を呑んだロウとは、ほぼ毎回している愛情表現の一種だった。私にとってロウは誰よりも、人よりも信頼のおける存在だったから、恋人にキスするのと同じ感覚で。

 ロウは私について来て欲しそうに尻尾を立てて向けて、私はアクビをしながら体を起こした。

 ロウが私を起こしたのは、ある物を見せたかったからで、私は最初それが何なのか分からずに、ジッと凝視して落ちていた枝を拾い突っつく。

 見た目は古いツボで、土やコケでとてもじゃないけどタダの古い割れたツボ以外のなにものでもなかった。

 ロウはそのツボに水を口で吹きかけ、何度も吹きかけるため、洗いたいのだろうと思い、私はそのツボを拾い、水を入れた洗濯用の広い桶に浸けた。

 しばらく泥を取り続けて、ようやくロウの言わんとすることが理解できる物を見つけた。

「これって、砂金?」

 ツボに付いた泥が水の中で溶け、キラキラと輝く物を出し始めたのだ。砂金は量にもよるけど、少量でも価値の高いものであることは、子どもの私でも知っていることで、私は塩をこすための網の荒いザルと細かいザルを持ち出して砂金を回収した。ロウはその様子を満足げに横で眺めていた。

 数時間かけ砂金を集めた私は、それを薬を入れるための安紙にサラサラコロコロと置き丁寧に折ると、「換金してくる!」と朝餉も忘れて、換金屋がいるマトの街の傍にある商人溜まりまで駆けた。


「まいど!何用ですかい?」

 そう言う換金屋に砂金を見せると手に取って確かめて言う。

「ほーこれなら金貨三枚と銀貨四十三枚、いや、お客さんベッピンさんだからもう銀貨十枚色付けとくぜ」

「き、金貨三枚!ん~……ありがとうございます!」

 喜びを抑えて、換金屋からお金を受け取ると、換金屋さんは鼻の下を伸ばしていた。

 いったい何だろうとも思ったけど、帰りに数人の商人から声をかけられて、同じように鼻の下を伸ばしているのに、その理由はまったく分からなかった。

「お嬢さんこれ持ってきな!」

 そう言って商品を渡されたことで、儲けた!くらいの感覚で私は上機嫌でロウのところへ戻った。だが、帰り道でようやくどうして鼻の下を伸ばしていたのか分かった。

 寝起きで、私は普段薄い肌着に下は下着一枚、そのままの状態で換金に出かけていたのだ。

「私!何て格好しているの!」

 あまりの恥ずかしさに、足早に獣道に入ったのは当然の判断だった。

「ありがとうロウ!砂金のおかげで祠の修繕ができるよ!」

 その時は嬉しさでそう言ったけど、後で、一生懸命頑張って稼いだお金の大事さと、砂金で手に入れたお金の大事さが、私の中で複雑な思いを抱かせた。

 そして、一日が経過した時にある事を思い付いた。

 修繕は砂金のお金で、余ったお金は祠のこれからの修繕に使うことにした。そして、頑張って稼いだお金は、ロウと自分のために使うことに決めた。

 私には新しい下着と服を、ロウには古くなった櫛の代わりに、その毛を梳くための少し高めの良い櫛を買った。おそらく、そんな事をしなくてもロウの毛並みはとても良いのだけど、私としてはノミとシラミだけは許せないため、少し嫌がるロウを無理やりに櫛で梳いた。


 数日後、祠の修繕が始まり、ひと月かけて私が住み始めた頃よりも中も外も綺麗になった。

 大工さんに、もっと家らしいものも建てれるよ、と言われたが、私にとって家とはこの祠だけであることは間違いない。母と父が生きていた頃は荷馬車か宿かで、一所で休むような家は無かったから。

「本当に森の中に住んでるんすね」

 大工さんの息子さんがそう言うのは無理のないことで、女の子が一人きりで薄暗い森の中で生活しているのは、俺と結婚すれば村で住めるぜ、と成人している彼が言ってしまうほどのことだ。でも、その言葉で何となくそうかなと思ったけど、姿を隠しているロウが唸っているような気がした。私が丁寧に断ると大工さんが息子さんの頭を殴りつけた。

「バカ野郎が!お前にカイナちゃんはもったいね~!俺が欲しいくらいだ!」

「ちぇ……母ちゃんに言いつけてやる」

「ば、ばかやろう!か、母ちゃんには内緒だ」

 大工さんは慌てて冗談だと言う。その様子を見てた私は悪戯心が擽られ。

「ですよね、ちょっとドキってしちゃいました」

 そう、わざとはにかんで見せた。

「「な!」」

 と、二人して驚いた顔をさせてしまったのは、少し悪ふざけが過ぎたかもしれない。

 そんな二人がふた月後にあんなことになるなど、その時の私には予想さえできなかった。

「新しい家!新しい台所!ここに大工さんが寝台を作ってくれたよロウ!」

 床にワラ寝は体に悪いと言われ、大工さんの案でその寝台は作られた。床で寝るのと違い寒い日には寒すぎず、暑い日には涼しい。布袋に安い羽毛を詰め、それを敷けば寝心地がいいことも教えてもらえた。


 祠を新しくしてひと月、その日はロウが朝から元気がなく、一歩も動こうとしなかった。

 最近、魔の物がいないからロウが森に入らなくなったと考えていた、だから今は、ロウにも少し休憩する機会が来たのだろうと思っていた。

 でも、それから二日、三日、四日、と徐々にロウが元気がなくなっていくと、私は本当にゆっくりと大切なものを引き裂かれている感覚で堪らなかった。

 そして、それが病気であると分かったのは、ロウが食事中に甘えて舌で頬を舐めてきた時、彼の舌を舐め返したことがきっかけだった。

「ロウ!あなたの舌すごく冷たいわ!」

 体は熱いのに舌が冷たい、堕熱(風邪)かと思い、それ用の熱冷ましを飲ましたけど、具合は悪くなる一方で、私はロウが死んでしまうのではと半泣きになりながら、色々な薬を飲ませて少しでも良くしようとした。

「やだよロウ、元気になってよ」

 私はロウの傍で一日中ついて、泣き続け、泣き疲れて寝てしまう。

 どれ位寝てたのか分からないけど、ハッして目を覚ますと傍で寝ていたはずのロウの姿がなくて慌てて祠を飛び出た。

「まさか、魔の物を退治しに?あんな身体で――」

 私は薬草採取用の鎌を持ち森へ向かおうとしたけど、森からロウが帰ってくるのを見つけるとホッと鎌を手放し傍に駆け寄った。

「ロウ!大丈夫?!」

 ロウはヨロヨロと歩きながら、その口に何かを銜えていた。口に銜えていたのはキリン草の葉、それとカイダレという根に毒のある草の茎だった。

 ロウが何の意味もなくそんなものを取りに行くはずがない。私はロウのことを信じて、その二つを煎じて飲ませようとした。でも、ロウは自身で飲む力もない様子で、私はすぐに自分の口からロウの口を開いて牙に頬を当てながら無理やりに飲ませた。

 ロウが人ならもっとちゃんと飲ませられるのに、そんなことを考えつつ、薬を全部飲み終えるまで、私はロウの口に顔を入れて少しづつ舌の奥へと流し込んだ。

 今思えば、煎じた薬草の汁を集める抽出器(スポイト)を使えばよかったんだけど、正直私はロウのこととなるともう周りが見えなくなってしまう傾向にあるらしく、その時はまったく考えもつかなかった。

 寝たきりになったロウに付きっ切りで介護し続ける私は、手元にある量だけで足りるのかだけが不安で仕方がなかった。

 これでロウの病が治る確証もない、そう考えると祈る事だけが私にできる唯一のことだった。

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