三章ノ壱『リユイ村』


 数日くらい森の周辺を歩いて村を探していて、ある村を見つけた。

 名前はリユイ村と言い、数十人の村人と数人の行商人行き来している村だった。

 私は身形も気にせず、村を見つけたことをただ喜んで入ろうと近づいた。

 すると、村の前で男の人に声をかけられて戸惑ってしまう。

「あんた、この村に何か用か?」

 男の人は村の人らしく、何をしに入るのかを私に聞いてくる。

「あの、私は薬師をやっているカイナと言います、薬、薬を売りに来ました」

 男の人はそれを聞くと溜め息を吐いて言う。

「たぶん無理だろうな、見たところあんたは森の民何だろうが、この村にも商人はちゃんといるんだ、そこの人との交渉次第ではこの村で商売はできないと思うことだな」

 私はそれもあると思って覚悟はしていた。

「ぜひ紹介だけでも!」

 男の人は頭を掻きながら、ついてきな、そう言って村へと入って行く。

 村へ入ると子どもが沢山いて、朝から家の手伝いか何かをしている。

 男の人について行くと、村の中で一つだけ造りの違う建物の前に着く。

「ヒノ!ヒノ!いないんか~」

 その建物は観音開きの入口に長い棚がいくつか置かれている。その上に商品が色々と並んでいて、奥の棚には薬のようなものが置かれていた。

 ヒノと言うのが店主の名前だと分かってすぐに覚えた、商人と言うのは知識の量で成否が分かれる、これは父の教えだ。

 そうして、出てきたのは胸の大きな女の人だった。 

 正確に言うなら、胸〝も〟大きな女の人で、その身体の大きさは本当に人なのかと思ってしまうくらい大きくて、私は緊張して一歩後ろに下がってしまう。

「何だいダン、こんな朝早くにあんたが店を訪ねるなんて、どういう風の吹き回しだい?」

「この娘がちょっと商談があるそうだ」

「商談?……見ない顔だね」

 ヒノさんはそう言うと、腕組みをして私の前に来る。

「で、何だい?」

「私、薬師をしているカイナと言います、初めましてヒノさん」

「へ~挨拶ができるとは感心だね、それで薬でも買えってかい?」

「はい、お腹の痛み止め、堕熱(風邪)用の熱冷ましに傷薬に季節病の薬、あと小さな傷に効く止血薬があるんです」

 ヒノさんは右手を出すと、見せてみなと言う。

 私は葉っぱと布で作ったカバンごと手渡すと、ヒノさんは眉を顰めた。

「何だい、こんな物に入れて、それにシブの葉で包んでるのかい、えらく古いやり方だね……だけど、薬の質は中々いいね……で、いくらだい?」

 私はこのヒノさんの問いに両手を胸の前で祈るように組んで言う。

「逆に、いくらだったら買ってくれますか?」

 これは商談する人なら誰もが、絶対に止めておいた方がいい、と言うだろうやり方だけど、私はこの時、どれだけ安くても少しだけでも売らないといけない、と考えていた。

 ヒノさんはさらに眉を顰めると、私の薬を突き返すように渡してきた。

「帰んな、こんなのタダでも要らないよ!」

「え?……」

 タダでも要らない、その言葉は私にとって考えもしてなかった現実だった。

 安くても少しづつ薬を売って、お米や食器を買って、ロウの櫛なんかも買って、そんな描いていたものが簡単に壊れてしまった気がして、思わずボロボロと泣いてしまった。

「……うっ――」

「……ヒノ、言いすぎだろ?」

「ダン、これは商談だよ、自分の商品の価値を自分で決められないような相手とはタダだろうが取引できない、まったく、親の顔が見てみたいよ!」

 その瞬間、無言で泣いていた私が震える声を振り絞って出た言葉は言うつもりのなかった言葉だった。

「私……両親は死んでいるので――」

「……え?」

 私はそう言って、自分のカバンを抱きしめてその場を逃げ出してしまった。

 色んな考えがボロボロと崩れて、その時誰かしらの声が響いていたけど、あまりに必死に逃げてたから結局誰の声かも分からなかった。


 気が付くと祠の前で、私は泣き疲れて走り疲れて祠に入ると、ロウが出迎えてくれた。

 ただただロウに抱き付いて、心配そうにしているロウに何度も謝った。

「ごめんね……薬売れなかったの……ロウに櫛を買おうって思ってたのに――」

 枯れたと思っていた涙がまた溢れてきて、ロウは抱き付く私をジッと受け入れ続けてくれた。

 気が付くと夜になっていて、もう半日以上もロウを同じ体勢で拘束していたんだと思うと申し訳なくて、顔を擦りつけながら謝った。

「ごめんなさい――ご飯にしようか」

 私は優しく見つめるロウに励まされながら、米櫃の栓を開けると、お米がサラサラと落ちて来て、お椀に半分くらいでそれが止まる。

 米櫃の上の蓋を開けて中を覗き込むと、そこにはまばらに散らばる米粒と米櫃の底が見えて、まるでこれが現実だと突き付けられているような事実を確認した。

 グッと悲しみと一緒に溢れようとする涙を堪え、私は最後のお米を洗い、お釜でお水多めのご飯を炊き始めた。

 ロウはその間に外へ出て、いつものように処理された肉を銜えてくる。

「ありがとう、ロウ」

 いつもはそれで終わりだけど、その日はもう一度外へ出て何かを銜えてロウは戻って来た。

「これ、お魚?どうしたのロウ」

 ロウが銜えていたのはちゃんと腹を処理した川魚で、私はどうやって――と思ったけど、その時は素直にありがとうって言葉が出た。

「ありがとう」

 人生最後になるかもしれないお米を食べながら、何の見通しもない明日に私は戸惑っていた。

 でも、そんな時にロウは私の傍にいて、優しく寄り添ってくれたことが、唯一の救いだった。

「……お米は無くなっちゃうけど、ロウがいればいいや――私にはロウさえいれば大丈夫」

 自分に言い聞かせるように私はそう口にした。


 翌朝、お米の無い朝なんて、荷馬車で過ごしていた時には何度もあったのに、何となく切なさが込み上げてきて食欲が無くなってしまった。

 いつも薬草を摘みに行く時間になっても、私は薬が売れないんだと思うと、道具の前で足を止めてしまう。

 ロウが拾ってきた鎌にロウが拾ってきたその他道具、それらの意味ももうないのかもしれないと考えると、私はその場に座り込んでしまうしかなかった。

 いつもは出かけるロウも、その日は私の傍にいてくれた。

 昼頃になると急にロウが立ち上がり、慌てるように祠を出て行った。

 ロウ?小用(トイレ)かな、そんな事を考えていると、不意に聞きなれない声が響いた。

「薬師のカイナ~おらんかの~薬師のカイナや~い」

 それが村の人だと私にはすぐに理解できた。薬師の~と私を呼ぶ人なんてリユイ村の人しかいない。でも、立ち上がった瞬間、もし、村の人にここを追い出されたら、そう考えると私は不安で、恐る恐る祠の入り口から顔を覗かせた。

「……どちら、様でしょうか」

「ほぅ、薬師のカイナはキミだね、可愛らしいの、ワシはリユイ村の村長じゃ」

 お爺ちゃん、見た目通りの歳を重ねられた男の人が私の前にいた。

「カイナは私です……」

「うん、いや、様子を見に来たんじゃ、本当に森に一人で住んでおるんじゃの」

 祠の中を覗いた村長さんは笑顔でそう言うと、私は中に手を向けて祠の中へ招いた。

「お話なら中で、お水しかないですけど……」

「いやいや、たいして手間はかからん、ただ、薬を売ってくれと言いに来ただけじゃて」

「え?」

 村長さんは頭を下げると、私はそんな事をして欲しくなくて、少し慌てて止めに入った。

「止めて下さい!頭なんて下げなくてもいいんですよ」

「いや、ワシではなくヒノの謝罪じゃ、もちろんあいつ自身が今度謝罪もするだろうが、あいつがの、カイナちゃんの薬を村で買ってやってくれと頭を下げにきたんじゃよ」

「ヒノさんが?どうして……」

「ヒノが言うとった、最初は親の使いで押し売りしに来たと考えて、いくらで買うか、そう問われた瞬間試されてると勘違いしてしもうての、親がいないと泣いて帰って行ったカイナちゃんをずっと心配して、後悔しておったよここ二日」

 その瞬間私はハッとした。私は村から帰って一晩しか経っていないと思っていたけど、実際にはいつの間にか丸一日の記憶がなかったのだ。ロウの傍でいた時か、寝ていた間なのかはわからないけど、精神的にそれだけ追い詰められていたのかもしれない。

「ワシはカイナちゃんと同じ森の民での、その場にワシがいたら詳しく話は聞いたんじゃが、ヒノは元々根っからの商人での、悪気があったわけじゃないんじゃよ」

 村長さんは両手を前に出して私に笑いかける。

「ところで~薬を見せてくれんかいの」

「待ってて下さい!すぐに持ってきます!」

 葉っぱのカバンに入れっぱなしだった薬をそのまま村長さんへ渡す。

「これは良い薬だ」

 中身を自分の持っていた袋に入れ、何か指折り計算し始める。

「お腹の痛み止めが銅貨一枚、堕熱(風邪)用の熱冷ましが銅貨一枚に傷薬も銅貨一枚に季節病の薬も銅貨一枚で傷に効く止血薬がそうだの……銅貨二枚かの」

 そう言うと村長さんは銅貨十五枚を私に手渡して、カバンにあった全部を買ってくれると言う。

「今マトの国じゃ薬の制作や売買が商人の間で禁止されていての、村で常備薬が不足しておったところじゃ、定期的にこの量を売りに来てくれるとありがたいの」

「は、はい!ありがとうございます!」

 私はただただ頭を下げ感謝した。

「後の、ヒノからの言伝だがの、一度顔を見せろと言うとった、何でも薬師としてやっていくなら必要なもん全部揃えちゃる、そう言うとったぞ、かかかっ、詫びのつもりなんじゃろうがの」

 そう言うと村長さんは私の頭を撫でて、いつでも村にきんさい、そう言ってくれた。

「行きます!今日の昼前に行きます!」

「かかかっきんさい、きんさい、じゃ、ワシは帰るでの――」

 そうして、村長さんが帰るとロウが祠へ戻ってきて、私はロウに抱き付いて鼻にキスして喜びを表した。

「売れたよ!お薬が売れたんだよ!ロウ!ありがとう!ロウ!」

 私がそう言うとロウは、組み付くように前足を肩に乗せてきて、私はその重さで尻もちをついてしまったけど、それが抱き締められている感じがしてとても嬉しかった。


 その日の昼前、私はリユイ村にお米を買うためと、ヒノさんに会うために向かった。

 村に着くと、村長さんがダンさんと一緒に立っていて、ふと思った疑問をすぐに口にした。

「おはようございます」

「来たかいカイナちゃん」

「おはよう、よく来てくれたな」

「……ダンさんは村長さんの息子さんですよね?どうして髪の毛とか目の色とか、緑じゃないんですか?」

 この質問はとても失礼な質問なのかもと、後々考えれば思ったけど、その時の私はまだ知りたいという気持ちが先行する子どもだったから、それを口に出してしまった。

「あぁ、俺と親父は血が繋がってないんだ、義父とかではなく、養父でな、ま、珍しくもないだろ?お互い様で」

「あ……すみません、不躾で」

「いやいや、カイナちゃんはよう両親の教育を受け取るよ、うちの孫にもそれくらいしっかりして欲しいもんじゃ」

 挨拶が済むと、私はそのままヒノさんの店へと向かった。

「……おはようございますヒノさん」

 私は少しオドオドしながら、店の前で品物に触るヒノさんに挨拶した。

 ヒノさんは私を見るなり、その表情に驚きを表して、一瞬で近づくと力強く抱きしめられた。

「ごめんね!カイナちゃん!」

「あわわわわぁ、ど、どうしたんですか?ヒノさん」

「最近子どもを使って同情を買って商品を押し売ろうって商人が多くてね!カイナちゃんのことも同じだと思っちまったのさ!でも、村長が言うには本当に一人暮らしらしいじゃないかい!私ってばそうとも知らず!あぁ、ごめんよ!カイナちゃん!」

 私が戸惑うくらいに何度も謝罪するヒノさんは、何度も何度も気が済むまで謝り続けた。

「そうだ!カイナちゃん、これ貰っていきな!薬を入れるビン、洗えば何度も使える、こっちは粉末を入れられる安紙だよ、それとこれ、布のカバンだよ、あんな葉っぱのカバンで大事な商品を落としでもしたら大変だからね、それとこれ、薬の抽出に使う抽出器(スポイト)さ」

 私はヒノさんの好意に罪悪感を感じ、受け取れないです!と言ってしまう。

「お金、これだけしかないけど、買わせて下さい!」

「いいや!これは私の気持ちの問題さ!それにこれは使ってない中古品をもらってるから元値はタダも同然なんだよ」

「でも、タダより高いものは無いって、お父さんが言ってたし」

「……亡くなったお父さん、商人だったのかい?」

「……はい、いつも優しく商人の知識を教えてくれました。私が一人でも生きていけるようにって」

 重くなった空気に、ヒノさんはカバンにそれらを摘めて私の手に持たせた。

「これは受けとってくれ、これは良い薬を売ってもらうための前金替わりってことでね。このお金は、買いたいもんをうちで買っていくといいよ」

「……はい、ありがとう、ございます」

 そうして、私は銅貨十五枚で、お米二合とハチミツ酒を買おうとすると、ヒノさんはお酒はまだ早いと言って止めようとする。

「私が飲むんじゃなくて……、お供え物に――」

 本当はロウにあげる物だったけど、ヒノさんはそれを聞くと、そうかいと言ってハチミツ酒を売ってくれた。

 こうして私はリユイ村での定期的な薬の売買するようになる、おかげでお金を稼げるようになって将来に希望が湧いてきた。

 祠に帰るとロウが待っていて、私の顔色を見て一安心したのか、心なしか笑みを浮かべているように見えた。

 それから、ロウにヒノさん特性のハチミツ酒を飲ませると、ベロベロに酔っぱらって、顔をペロペロと舐められた。

 その時が初めてだった気がする、ロウの舌を舐め返したのは。

 ロウが酔っていることをいいことに、その日私は何度もロウの舌を舐め返し、幸福感や何とも言えない感覚に幸せを感じて、ロウのことを堪らなく愛おしく思えた。

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