二章ノ壱『カイナ』


 人狼の森、その森は古くからあった。森には人狼が住み、人や普通の獣を襲う厄介な存在と認識されていた。人は知性のある聖獣キリンに人狼に対する対策の教えを請い、キリンは人に森の番人となるよう命じた。それ以来、森に人狼が現れることは無くなり、人は森に入れるようになったと伝う。

 それから、人々の中で人狼の森は豊かな自然で溢れ、薬草や食物を得るのに重要性の高い場所になった。人狼は狩られ姿を消し、人は豊富な資源を手に入れた。


 マトの国。

 癒しの神を信仰する民の住む国。その国は他国への侵略くもなく、平和そうに見えた。

 しかし、歴史に記された争いの中に、人狼の森に住む森の民が王を暗殺し、首謀者とともに一族が罰せられた記録が残っている。


 カイナの母は森の民、父は行商人だった。

 森の民はキリンの眷属と人間との間に生まれた子孫で、薬草学に秀でていて容姿が等しく美しい。

「ソナちゃん、大変だでや!商人さ具合悪かとね」

「はいはい、少し待ってて下さいね、今薬箱持っていきますから」

 そんなカイナの母ソナは、ある日、腹を下した行商人を治療することになるが、それがカイナの父だったのだ。

 森の民の中でも特に美しい容姿のソナは、修行の一環で村々を転々としていて、数多くの村人に嫁に誘われるほど慕われていた。

「あだぁだぁだだ」

「はい、はい……下痢ですね」

 呆れた顔の周囲とは違い、真剣な表情で看病するソナの姿に好感を持つ人も多い。

「あの、先生、俺カズマと言います、独身です」

「ソナです、先生は止めて下さいね、恥ずかしいので」

 カイナの父カズマの旅の話を何度も聞くうちに、ソナは魅了されて、彼女の容姿と優しさに彼は魅了され二人は直ぐに結ばれた。

「ソナ!俺と結婚してくれ!必ず幸せにするから!」

「……はい、カズマさん」

 二人は結婚した時、各村々の男たちが悲鳴を上げたり泣いたりしたのは有名後日談だ。

 結婚したソナは直ぐにカイナを授かり、カズマはその才覚で行商人として成功を収めていく。

「この子の名前は?」

「カイナです、私の祖母の名前と同じなんですけど、とても美しく優しい方で健やかな人生だったと聞いているので名付けました」

 ソナの緑色の髪を少し薄めたような髪の色に、明るい緑の瞳の女の子だった。

 そして、その頃マトの国ではある病が流行り、癒しの神を信仰するこの国では、薬などより祈りで治ると妄信していた。

 だから森の民はマト国に近づくことは珍しく、国内にいるのはソナだけだった。

 そして、カイナが五つの時マトの王が病に伏した。

 神に祈ることで病を治す信仰治療が主流のマトでは、数年経っても王の病が治ることはなく、側近の臣下が噂を頼りにソナに救いを求めた。

「どうか王をお救い下さい!お礼は何なりと用意いたします!」

 その臣下は大臣であり、ソナはあまり王家に関わりたくない様子だったそうだ。

「カイナもまだ小さいし、傍にいて面倒を見てあげたいの、だから私断りたいの」

「だが!今王をお助けすれば、この商会は王家の覚えも悪くないはずなんだ」

 ソナは最初は関わることを避けたかった、が、カズマが王家との繋がりを持つという欲を出して、ソナは仕方なく王の治療のため王宮へと一人向かった。


 それから数か月、ソナの渾身の介護で王の治療に成果が現れた。

 民は喜びを露にし、カズマも喜び、カイナもソナが帰ってくると思い喜んだ。

 しかし、その吉報と同時にソナからの便りがピタリと無くなる。

 カズマはカイナを連れ王都へ向かいソナを探した。ソナの居場所はすぐにカズマの耳に入るほどの噂になっていた。

 王が森の民を妻に迎えるらしい。王は献身の治療とその容姿に惚れこみ、歩ける身となっても傍から放さなかった、そんな噂を民たちは話していた。

「若い森の民の女だそうだ」

「まぁ森の民は男女とも美しい容姿をしているらしいから、王が惚れるのも無理はないわな」

 カイナは当時のことをよく覚えていて、街に着いたその日には、カズマは直ぐに王宮へ向かい大臣と会った。

「大臣!妻は!ソナを返して下さい!」

「……すまぬ」

 門前で大臣にそう言われ、手元に小さな袋を受け取り、それを開けてカズマは目を見開いた。

 金貨五十枚、それがソナを身受けする金であるのは、カズマが商人ゆえに簡単に理解できた。

 その時代、森の民はよく貴族や王家に身受けされることがあった。だから森の民はマトの国には近づかないようにしていたのだ。

「母さんな、金貨五十枚だとさ」

 そう宿で待っていたカイナに言い終えたカズマは、泊まっていた宿屋の壁にそれを叩きつけて泣いていた。彼はそれからどうにもできないと諦め、酒に逃げ溺れた。

 その間カイナは帰らぬ母を待ちながら、父がまき散らした金で宿代を払い、食事をし父の酒代を出した。成人にもなってないカイナは働くことはできないが、手元にある金貨を極力使わないように、できるだけ節約しながら日々を過ごしていた。 

 優しかった父は面影もなく、母もいつまで待っても帰ってこない。

 そんなある日、カズマはある一人の男と出会う。

「やぁ探しました、あなたがソナさんの旦那さんですね」

 その男は、信仰治療の大神官ウジという男だった。

 信仰治療の大神官と言えば、国の大臣に匹敵するほどの権力者である。それを知っているカズマは、どうにかソナを救えないかと尋ねた。

「王家は女性を薬漬けにし抵抗できなくさせるのです、ですが、私があなたに協力することで何とかなるかもしれません」

 ウジはカズマに、ソナさんを外へ逃がす手助けをしましょう、と希望を与えた。

 その日カズマは、宿へ帰るなりカイナを抱き締めた。

「必ず母さんと帰ってくるからな」

 そう告げウジと宿を出て行く父の背をカイナは見送った。

 その時はカイナも、これでいつも通りに父と母と暮らせる、そう思っていたに違いない。


 翌日、王暗殺の報が王都中に広まり、その犯人は森の民とその夫と発表された。

 処刑台に集まる人だかり、カイナは人混みをかき分けて一番前へと向かった。

 高い位置に立つウジの姿、ウジは民衆に声をかける。

「昨日!王が崩御成された!事もあろうに!王を誑かし!信仰治療を貶めた森の民が!夫と共謀し!王の身を害したのである!!」

 子どもながらに、その場でその話が嘘であると分かったカイナ。しかし、民衆にはそれが真実となってしまい、父と母は悪しき者として認識された。

「死刑だ!」

「森の民を根絶やしにしろ!」

「森の民を許すな!」

 父が兵士に連れられて、口を塞がれ何も言えずに泣いている。

 カイナの眼の前で絞首台に押し付けられた父は、数秒待たずに首を吊るされた。

 体を誰かに押さえつけられているかのような、そんな感覚にカイナは襲われ、頬に自身の両手の爪が軽く食い込む。

 そして、次に引き摺られて出てきた母を見ると、カイナは思わず声をかけようとするが、一瞬目が合った瞬間、ウジ自らの剣で胸を貫かれ地面へと突き落とされた。

「罪人は罰せられた!民よ!これから十日!王を偲び!新たな王を待つのだ!」

 カイナは目の前に倒れた母を見ながら腰を抜かし、肩を震わせ頬に爪を喰い込ませていた。

 いつか最後に見た母の笑顔は、本当に死とは無縁な笑顔だったのに、そう思い返しつつ両親の死体をただただ見つめていた。

「森の民には改めて罰を下す!」

 最初からウジは信仰治療の地位を崩さないため、森の民であるソナと森の民が目障りで王を殺したのだろう、それにカズマは利用された。もちろんその時のカイナには分からないことだ。


 母の前で腰を抜かしたカイナは、群衆がいなくなっても捨て置かれた母を見つめていた。

 すると、そこに母を抱き上げる数人の男と、母に王の治療を依頼した大臣が現れ、カイナの前で膝を突いた。

「すまない、私が無力だったばかりに、ウジにより王だけでなく、お前の父と母を殺させてしまった。だが、この命に代えてもお主は無事に王都より逃がす!それがお前の母との約束だ」

 母との約束、そう聞いてようやくカイナは涙を流し、声を殺して泣いた。

 その時には大臣もウジに命を狙われ、追手に追われながら逃げることになる。

 それから人狼の森に逃げ込んだ大臣は、袋のネズミも同然だった。

 一人、また一人、大臣の部下がいなくなり、森の半ばほどで大臣も矢で射抜かれてしまう。

「ウジ!貴様!」

「ホウ大臣……あなたの所為だぞ、あなたがあの夫婦を巻き込んだ……ん?その子は?」

 大臣はカイナを庇い背を向けた。

「守ってみせる!」

 そう言った大臣は背中を貫く数本の矢に倒れた。

 震えているカイナが骸と化した大臣の腕から離れると、ウジはソナを殺した剣を向けて言う。

「あの夫婦の子だな、……楽に死なせてあげよう」

 ウジが剣を振りかぶった瞬間だった。

 遠吠えが聞こえ、唸り声とともに現れたオオカミ。

 姿を見た途端、矢を射た兵士はその喉元を噛み切られ、ウジは悲鳴を上げて逃げ出した。

 カイナは一人残されて、近づくオオカミから逃げる気も湧かず身を任せた。

 食べるなら食べてしまえばいい、父を母を失った痛みが無くなるのならそれでも構わない。

 そんな事を考えながら、カイナはオオカミに銜えられ引き摺られて森の奥へと行く。

 古いとても傷んだ建物に到着すると、そこには骨が落ちていて、あぁ食べられるんだ、そうカイナは思った。が、驚くことに、オオカミは焼けた肉を彼女の前に皿に乗せて差し出した。

 伝わるはずもないのにカイナは言う。

「私を食べて、この痛みごと……私を食べて、お願い」

 カイナの言葉の意味を理解しているのかいないのか、オオカミは再び姿を消す。

 そして、もう一度オオカミが建物に入ってくると、オオカミは果物を銜えていて、再びカイナの口元へと近付ける。

「……いいよ、あなたがお食べ」

 オオカミは果物をカイナの口元へと無理矢理近付けるが、彼女は一切食べようとしなかった。

「……私はもう要らないの、だからあなたがお食べ」

 結局、その果物をカイナが食べることはなかった。

 疲れて寝てしまったカイナに、翌朝オオカミは食べ物を用意した。

 だが、オオカミが持ってくる食べ物をカイナは食べず、ゆっくりゆっくり衰弱していった。  

 カイナがもう動く気力もなくなり始めた時、このまま死ねるだろうと考えた時だ。

 オオカミが目の前で涙を流したのだ。

 生きて欲しそうに、カイナの為に食べ易い木の実を集めて来て、お椀に水を汲んできて。

 すると、どうしようもなく、カイナはそのオオカミのために生きたいと思えた。

 そうしてカイナは六日ぶりに食べものを口にする、渇いた唇と喉に水を通すとオオカミは不思議と笑っているように見えた。そんなオオカミを抱きしめ、カイナは感謝を口にする。

「ありがとう、私の為に泣いてくれてありがとう」

 それがカイナとロウとの出会いだった。

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