一章ノ伍『めぐり逢う』


 あれから数十年経った頃だ。

 いつもの朝、だが、随分前にここら辺に妙な人里ができ、人里の者は商人から森の民と呼ばれていた。

 緑色の髪、美しい容姿、明らかに彼らはキリンの眷属の末裔で、森にいるだけで森が騒がしく懐かしい感覚を感じさせていた。

 森の民と俺とが出会うことはまずない、何せ森の入り口から森の奥まではそれなりに深い茂みで、林道が潰れ獣道しかなくなってしまった今では誰も寄り付かない。

 そんな時だ、母と子だろうか、森の薬草を集めている様子で、俺は暇すぎてその様子を離れたところから見ていた。

 母親は人狼の俺から見ても容姿が美しく、不意に頭で、あの人間に子どもを孕ませて適当にメイロウの巫子を生んでもらうか、と考えたりしたが、あまりに幸せそうな二人の親子に、そんな考えも失せて俺はただただ眺めていた。

 しばらく眺めていると、子どもが一人でテクテクと森の奥へ入っていく。母親は薬草を集めるのに夢中で、子どもが歩いていくのに気が付かない様子だった。俺は仕方なく、子どもを遠目からついていって見ていることにした。

 それ以上奥へ行くと、危険な蛇や獣の縄張りに入ってしまうぞお嬢ちゃん。

「あぅう~おかぁさん……おかぁさん……」

 心細そうにそう言う子ども、今にも泣きだしそうだった。まったく、何をしているのか、そして俺は何を考えているのだろうか、子どもを助けたいなどと。

 オオカミの姿で子どもの視界にゆっくり姿を見せると、子どもは俺を見て言う。

「ワンちゃん!」

 内心、俺は犬ではないぞと思いつつ、子どもに背を向け尻尾を振る。それは弟が……ムロが幼い頃によくそうやって遊んでやっていたあやし方だ。人間の子どもが喜ぶかは分からんが、俺はそれしか子どもの扱いを知らん。

 俺の尻尾に興味を持った子どもは、掴もうとするがそうはさせない。

「ワンちゃん!う~」

 そうだ、そのままついてこい、そう思いつつ母親のところまで案内する。

 茂みの中を意外と素早く歩いてついて来る子ども、しばらくして元いた場所に戻ると、母親が血相を変えて子どもを探していた。

「カイナ!カイナ!どこにいるのカイナ!!」

 まったく、心配するくらいなら目を離さなければいい話だろうに。

「つかまた!ワンちゃん!」

 おっと、俺としたことが、一瞬の隙を突かれて尻尾を掴まれてしまった。それと同時に、母親が俺と子どもに気が付いたようだ。そんな化け物を見るように見なくてもいいだろうに、子どもをどうにかするならとっくにどうにかしているさ、そう思いつつ俺は子どもから離れた。

 母親は子どもに駆け寄り、俺を見ると深々と頭を下げた。

 なんだ、人間側によってしまったキリンの眷属では俺に気付けないか。そんな事を思いつつ、俺はもう一度姿を隠そうとする。

「ワンちゃんまたね!」

「またね……か、ま、もう二度と会うことはないだろうな」

 独り言のようにそう呟いた俺は、それ以降母子を見るのはやめた。

 俺はどうしたらいいのだろうか?人間との間に子を成すと、やはりその子どもは間違いなく人狼で、それに人の姿では人狼は人間と子どもができ辛いと父も言っていた。母と父も互いに獣の姿で俺を、人の姿でムロができたが、その期間は明らかに長くかかったと聞く。

 ツナム・ハジクの娘も結局人間姿の巫子と子が長らくできず、結局木の姿とで行為をすることでようやく身籠ったと言っていた。触手のような生殖器がどうのと彼は言っていたが、彼は、自身の娘と巫子の行為も直に見たんだろう。正直、正気とは思えない。見る父も父なら、それを見せることを了承した娘も正気ではない、さすがにハジクと言うわけだ。



 それから九年過ぎた、相変わらず俺は魔の物を狩っているが、最近その量が増えた気がする。

 キリンの祠は、ツナム・ハジクが泊っていた頃からまた少し朽ちてきてしまっている。

 俺はそれほど祠には寄り付かないため、それはそれで構わないと思っていた。何せあの祠はムロの墓と言えば墓なのだから。

 そう言えば、森の民と呼ばれる者たちが最近森の中で見かけることも減った。

 森の入り口に入ってきた形跡も見えないし、ま、それなら構わないかと思っていた。

 彼らが住み着いて少しだけ森が豊かになった気がする。

 なんて思っていたその日の夜だ、森の入り口付近がやたら騒がしい。それに漂う臭いも鼻につく、この臭いは血の臭いだ。俺は妙な感覚に襲われながら、その血の臭いの元へと向かった。

「ウジ!貴様!」

「ホウ大臣……あなたの所為だぞ、あなたがあの夫婦を巻き込んだ……ん?その子は?」

 二、三、四、五人?いや六人か、人間同士で争っているようだった。

「守ってみせる!」

 そう言った人間が斬られた瞬間、その腕の中から小柄な人が転がり出てくる。

「あの夫婦の子だな、……楽に死なせてあげよう」

 俺は目を疑った、その容姿、それは九年前に森で見た母子の面影があった。

 頭で考えるより早く、俺は遠吠えを響かせていた。

 人間の一人、兵士のような奴が弓を射るが、俺はその矢の横をすり抜けて、生まれて初めて人間を殺意を持って噛みついていた。他の人間はそれを見て悲鳴を上げて逃げて行く。

 残されたのはいくつかの死体と少女が一人。

 俺が少女に近づくと、少女は以前の無垢な表情を失い、全てを失ったような顔をしていた。

「私を食べて、この痛みごと……私を食べて、お願い」

 少女の言葉に、かつて全てを失った自分の姿を重ねて、自暴自棄になって死のうとしていた頃を思い出す。俺は、少女の上着を銜え森の奥の祠へと引き摺って行った。

 俺の家だったところは作りが雑だったらしく、今はもう崩れて形状を保っていない。

 だが、祠はボロになっているが、今でも雨風はしのげる。

 祠に連れ込んだ少女は、確か、名前はカイナ……そう呼ばれていた気がする。

 少女に食事をと思い、生肉では何だろうからと人の姿になって火を焚き、肉を焼いた。

 再びオオカミの姿でその肉を少女の目の前に置く。しかし、少女は一切それに反応しない。

「……いいよ、あなたがお食べ」

 俺は食事なんてしなくてもいいんだ、お前のために作ってきたんだ。

 そう言いたい気持ちを抑え、もしかすると果物ならと前に出すが、少女は口にしなかった。

 それから数日、この数百年で一番必死になったのは、この少女に対してが初めてだった。

 終いには、自身の無力さと少女の死に急ぐ姿に情けなく泣いてしまっていた。自分が泣いていることに俺は少しだけ、人間のために?と思う気持ちもあったが、このまま少女が死んでしまうことが、少女が死んで独りで生きていることが怖くなったのかもしれない。

 ただ泣き喚くしかないとは、どこまで俺は無力なのだろうかと、そう思っていたのに、少女は俺が何をしても食わなかった肉を、俺が泣いている姿を見て簡単に口にした。

 自分のために食えなかったのに、他人のために食べて生きようとする。

 この子は絶望しても自分のためではなく、誰かの為に生きることを選択できる。

 その瞬間、俺は産まれて初めてこの少女のために生きる、そう決意した。

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