一章ノ参『襲撃の日』


 人間たちが人狼の里へ襲撃してきた。それ自体は想定していた通りだったが、父が戻ってこないことは想定外だった。人狼は人間よりも力も体力もある、だが、メイロウとの盟約を守って人間には手を出さずに森の中を獣の姿で逃げ回っていた。

 俺は戻らない父を心配して母に探しに行くと言う。

「ムロ、母さんのことをよろしく頼む」

「ロウ……うん、分かったよ」

 この時、ムロの表情はいつもの母想いの優しい弟のものだった。

 母とムロを残し、森の中を駆ける俺は、父のニオイを追うために狼の姿へ変わった。

「父さん、一体どこまで行ったんだ?」

 森の入り口付近にも父の姿は無く、ニオイはそのまま人間が陣を作っている場所へと続いていた。陣は人間が戦いにおいてたむろするところで、そこには食料や寝床があって、休息するための小さな町のようになっている。

 陣の外にいる兵士は一人、この数からして俺たち人狼が人を襲わないのは、人間にとっては周知の事実なのだろう。俺はその一人の兵士を気絶させて、服と鎧を奪い身に着けた。

 殺さなければ盟約に反してはいないだろう、その考えで俺は父のニオイを追った。

 兵士たちに紛れ、陣の中を進んで行くと、途中で兵士たちの会話が耳に入って、俺は自然にその場に混じり話を聞く。

「おい、聞いてるか?人狼ってのは神の御使いという話だ、殺したら呪われやしないだろうか?」

「臆病風か?人狼がいて、人狼がいるから森の資源をとれない、だから殺す、それだけだろ」

 人間の兵士の会話を聞きながら、そこよりさらに奥に父のニオイがするため、俺は身を隠さず逆に堂々と兵士の前を通った。通り抜けると一息吐いて身を屈めて隠れながら、暗がりの中を父のニオイを追う。

 暗いのは曇りであるためで時折雷が鳴り響く、人狼の力が弱まる月が隠れる曇りの日を狙って人間は森を攻めたのだ。俺たち人狼のことを人間はよく知っている。

 父の臭いが強まって、俺がようやく辿り着いた場所には、獣の姿の父と里長が、皮を剥がされ、首を落とされ、胴を分断され、手足をもがれている姿があった。

「父さん!そんな!どうして!……クソッ」

 俺は怒りで奥歯を噛み締めた。震えるその身の奥から湧く感情は、人を人間を全てことごとく引き裂き噛み砕きたい、そんな衝動だった。だが、盟約のせいかそれらの感情は何故か俺の旨から無くなって、今は人間との話合いは無理だという結論と、父の死を母に伝えるために怒りを抑えこみ村へと戻ることにした。

 人間を殺したい感情と父を失った悲しみを天秤にかけ、俺は悲しみを取ったのか、父の死を母たちに伝えることを優先したのかは自分でも分からない。

 人間の中を歩いている間、奴らの食料庫を見かけ火をつけるために入った。だが、そこにあるのは小さなジャガの実だけだった。

 彼らの食料がどうして少ないのかは分からないが、森の資源を求める理由はこれなのかもしれないと俺は考えた、が、それでだけが森を攻める理由かはまだ決めつけられなかった。


 森へと帰り着くと、里の周囲は火がくべられ、人狼は森の北側に逃げているようだった。

 里の中には既に誰もいない、人影も見当たらないとなると、諦めて陣へ戻ったのだろう。

「リナたちは逃げられたのか……」

 俺は母とムロのもとへと向かう中、不意に妙に血のニオイが鼻を覆う感覚に足を止めた。

 そこは家と里の間で、母さんがそんなところにいるはずがないのに、血のニオイに混じって母のニオイは間違いなくその近くでする。

 母のニオイを辿り、俺はそれを見つけて人の姿へ戻ると、そこには真っ赤に染まった母が人の姿で横たわっていた。

「ど、どうして!母さん!」

 俺は気が動転して両膝をついて母に触れる。

 母が赤い理由は腹から大量の血を流していたからで、その傷は獣に噛まれたからだというのは間違いなかった。

 巫子で俺の弟か妹になるはずだった存在がいた腹から、おびただしい量の赤い血が流れて、母は死んでしまったということを理解させられる。

「そんな……こんなことが……ムロは!あいつは大丈夫なのか!」

 母を守るためにムロは傍に付いていたはずだ、母がこうなった以上、ムロも危険かもしれない。俺は不安にかられて、母の遺体を近くの木の下へ隠し血の跡をを辿った。

「とにかくこの血を追いかけるしかない!」

 その場からは血のニオイが強すぎて、母の微かなニオイ以外は掻き消えているようだった。

 人間が来る上に母が死んだ、俺は、父の死と母の死の所為で混乱して思考できたのは、せめてムロの無事を確認することだけだった。

 俺は血を追いかけると、徐々に嫌な予感がして足が重くなる感覚に陥る。

 血は家へ向かっていて、一度家へ入るとそこから祠の方へと向かっていた。

 いつも母と父とムロと、何度も何度も通ったこの道が、まるで血のニオイでできた道の様に変わってしまっている。母のニオイと父のニオイとムロのニオイ以外には、血のニオイ以外しないのもきっと気のせいだ、そう言い聞かせながら俺は祠のある切り株へと入る。

 祠へと向かう血の跡、背中のソワソワする感覚が無くならない。

 俺は恐る恐る祠の扉を開いた。

「お、お前、ムロ?無事だったのか!」

「……やぁロウ」

 その時、ムロの眼は既に黒く濁っていた。

「見てよ、巫子をさ……殺したんだ。それでボクが食べたんだけど、ボクはこれで不老不死になれるかな?メイロウの加護が得られるのかな?リナ凄いって言ってくれるかな?ロウじゃなくボクを見てくれるかな?ボクを好きになってくれるかな……ねぇロウ、ロウはどう思う?」 

 壊れていた、いや、ムロを壊したのは俺だった。

 長い間、気付いていて気にしない振りをしていた。リナを好きなムロ、俺はそうと分かっていてリナを遠ざけもせず、かと言って彼女の想いに答えなかった。そんな俺の存在がムロには邪魔だったんだ。

「ねぇ、ロウこれ見てよ、ボクの右手変なんだ」

「……それは魔の物の――」

 ムロの右手は黒い影のような、得体の知れない物に覆われ、ウネウネとしてまるで魔の物のそれだった。

 母の腹を裂き、巫子を喰らったのがムロだと分かった俺は、ただただ混乱の中で考えた。

「どうして、どうしてお前が母さんを――」

「ねぇ、これは不老不死の証なのかな?ロウ」

「巫子を食べて不老不死になれるなんて……どうしてそんな考えを持つ?」

 ムロは右手を見ながら、二ヘラと笑みを浮かべると口元の血がタラリと地面に落ちる。

「この右手が言うんだ〝食べたい〟って〝不老不死〟って〝キリン〟って」

 理解できない、理解しようがない、どうしてムロが母さんを殺して巫子を喰うんだ?その右手の影は一体なんだ?なぁムロ答えてくれ。

「ねぇ父さんはどうしたの?ボクも役目をできるよ……きっと今ならロウなんかよりもずっと強いから!」

 兄弟喧嘩は今まで一度もしたことがない、牙を交えることももちろん。なのに、俺はムロとこれから殺し合う。

「何故だ――ムロ……」

 獣の姿のムロは見たこともない速さで俺を蹴ると、俺の体は吹き飛んで祠から飛び出て転がる。爪が皮膚を引き裂き、牙が肉に食い込む。

 昨日まで死んでも守ると誓った家族が死に、弟に肉を引き裂かれている。

 死んでしまうのもいいかもしれない、そう考える俺は、不意に目の前に光る何かを見る。

 白く光る獣の姿だ、その瞬間、俺は反射的にムロに組み付いた。

 ムロは確かに強くなっている、だが、一度組み付いてしまえば、人の姿の俺は人狼の強靭な肉体と長い腕によって、その獣の姿の首を締め上げることは容易だった。

 バタバタと苦しむムロの首を。

「おぉぉ!」

 今まで何度も撫でて抱いた腕で。

「ろぉぉお!」

 絞殺さなくてはならないなんて。

「おぁああああああ!」

 これは何だ?俺は何なんだ?

 泡を吹き、グッタリとしたムロを抱いたまま、俺は涙を、止めることのできない涙を、失った命の重さだけ流し続けた。

「どうしてだ!どうして!どうしてこうなるんだ!」

 どうして、父も、母も、ムロも、皆、あんなに。

「人間が!人間が!人間が!」

 俺は人間の所為だと言いつつ、魔の物の所為でもあると考えていて、俺自身の所為だとも考えていた。

『人間を恨むな、眷属よ、メイロウの名において、加護の元死ぬこと叶わず、使命において新たな巫子を人間に孕ませよ』

 何を言っているのか分からなかった。

 メイロウの言葉は俺に向けられていたのだろうが、その時の俺は全てを失い絶望していて、もう生きる気力も無くなってしまっていた。



 それからどれほど経っただろうか。

 俺は一人森に残り、何も食わず、何も喋らず、ただただ、魔の物を退治して、ただただ水だけを飲み過ごしていた。気が付けばムロの骸は骨となり、母の骸も骨になっていた。

 あれだけ人狼を追いたてた人は、結局森の奥までは入ってくることはない。

 それがどうしてかは分からないが、今はもう何だっていい。

 何も考えず、ただただ死ぬ時まで役目を行い、俺は死ぬ。

 そんな日々の中、唐突に眼の前に現れた人狼、獣の姿のそれは酷く年老いていて衰えているように見えた。

「……ロウ?ロウなの?」

 狼の姿の俺を見て名を呼んだその人狼に見覚えはない、が、俺を知っているということはこの里から出て行った誰かから俺の話を聞いたに違いない。俺はそう考えて答える。

「確かに……俺はロウだ」

「あぁやっぱり、ロウなのね、私よ、リナよ」

 リナ、リナ?そう言ったのか?

 俺の知るリナはまだ少女の可愛らしい娘だ、こんなよぼよぼな婆さんなわけがない。

 最初は冗談だと考えていた俺は気力の無いまま返事をする。

「何を言っている?からかっているのか、俺の知るリナはまだ若い娘だ」

 そう俺はそのリナを語る人狼に告げた。

「芋を焼いたの!」

 そう言われハッとする。

「ロウに芋を焼いたの、ムロが自分にもっていうから、私、好きな人にしか作らないって」

 バカな、そんなまさか、本当にリナ?まさか、まさか、そんなはず。

 受け入れられない事実を前に俺考え続ける。

「私が最後にロウに言った言葉覚えてる?」

 リナが最後に俺に言った言葉、目の前の老狼がそれを言おうとするため、俺は同時にその言葉を口にする。

「「私はロウの子どもが生みたい」」

 その言葉は、リナが里から逃げるその日に俺に言った俺しか知らない言葉だった。

「本当にリナなのか?」

 その事実を受け入れるにはあまりに突然すぎて、とにかくまずリナの話を聞くことにした。 

 こうして誰かと話をすることも当分してなかった気がする、人の姿をしなくなってどのくらい経っただろう。

「あれからもう百二十三年も経っているのよ、私もひ孫の孫もいるわ、でもずっとロウの事とムロの事が忘れられなくて、お墓を建てようと一人でここまできたの」

 百二十年以上、俺はそんな時間の間、何も食べず水だけで生きてきたというのか?

「まさかロウが生きてるなんて、考えもしなかったわ」

 あの時、メイロウが言った言葉、〝死ぬこと叶わず〟その意味をようやく俺は理解できたのかもしれない。

「そろそろ、どうしてこうなったのか、話してはくれないかしら」

 リナの言葉に、俺は事実を話そうとした。けど、年老いて人の姿にもなれなくなった彼女に、本当のことを話す事はできずに、メイロウが俺を不老不死にしたと言い、後はただただ俺は人の所為にし嘘を吐いた。

「そう、ムロもお母さんもお父さんも人間に……」

 リナは俺に身体を寄せて、でも人間を恨んではだめよと言う。

「私たちが逃げた北の日の国では、人間はとても友好的なの、良い人もいっぱいいるの」

 その話は俺には関係ない、俺は人を恨んでいないからだ。憎みもしない、恨めしく憎いのは自分自身だけだったからだ。

 リナは俺の無事と里の顛末を伝えるために、もう一度北の日の国へと戻ると言う。

「私はもう年老いてしまって、ここへ来るのにも周囲に反対されてね、でもね、それでもあなたに会いたかったの。今でもあなたの事を想っているわ、亡くなった夫には内緒だけどね」

 リナは俺のオオカミの姿に頬擦りすると、声を抑えながら涙を流した。

「それにしてもメイロウがあなたに宿るなんて、これからどうするの?よかったら私と日の国へ――」

「いや、俺はここに残るよ、ここを守る役目が残ってるから」

 リナは俺の言葉に、辛そうな表情を浮かべて言う。

「無理……してはだめよ。私、あなたのこと心配なの、だから、いつでも頼ってね。私はもう長くないけど、孫やひ孫、ううん、もっと続く子孫にもあなたのことを話しておくから」

 そう言った彼女に感謝を言い、久しぶりに森の入り口へと見送りに出た。

 去っていく彼女を見送った後、周囲の変化に時の流れを感じつつ、俺はまた自身を責める日々へと戻った。


 リナと別れてどれだけ経っただろう。

 俺が獣の姿でしか過ごさなくなって、もうずいぶん経つ気がする。

 最近では、森の民と呼ばれる人間たちが、森の入り口に住み着いて、俺の獣の姿を見て人狼の末裔と勘違いした。

 人狼同士なら獣の姿のまま会話できるが、人と話すには人の姿にならないといけないが、俺はもう人と話すのが面倒になっていたんだ。

 だからだろうか、俺は脳で考える前に獣の本能に任せて森で生きるようになった。飯を食わずとも生きていられるのは、そう言う意味では非常に便利だった。

 そんなある日、一人の人間に出会うことになる。名前はツナム・ハジクと言う、人狼やメイロウやキリン、魔の物に興味を持った奇妙な人間だ。

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