一章ノ弐『人狼の里』


 俺たちメイロウの加護を宿す一族は守杜モリトと呼ばれ、キリンの祠だった場所を住処にしている。

 古の大樹の切り株が長年かけて皮だけになった場所だ、そこには小さな井戸と古き良き祠が置いてある。

 置いてあると言っても祠はそこそこ大きな建物で、中に元々祀られていたものはもうない。

 キリンの祠であった頃は、キリンが宿った存在がここで暮らしていたと聞く、が、正直信じられない、ここにはあまりにも生活していた名残が無さ過ぎる。

 俺たち守杜の家は、この祠から数十歩ほど離れてはいるが目と鼻の先だ。

 これを立てたのは人らしいが、正直こればかりは人に頼らなければ俺たち人狼にはできない。

 それは、新しく学という考えが無く、学ぶという習慣が無いからだ。人の中に入れば一緒に学ぶことができるが、迫害は免れないと聞く。場所によっては、日の国という場所では、キリンの眷属や人狼も人と一緒に暮らせるというが、正直商人の嘘だと俺は思っている。

「ロウ、里で少し買い物してきたいんだけど、ついてきてくれない?私だけじゃ荷物が多くなりそうだから――」

 母さんが言う里というのは人狼が群れている村のことだ、俺たちがいる森の奥ではなく、森の入り口付近にあって、そこには百近い人狼がいる。

「いいよ、俺も久しぶりに里の様子や……人の様子を聞いておきたいから」

 俺も時々足を向けて人の国の状況を把握している。そうでないと、いざって時に不安でしかたがない。

「いいな!いいな!ボクも行っていい?」

「ムロも?いいけど退屈だと思うわよ?」

「行く行く行きたい!」

 そう言えば、ムロはよく母さんについて行ってるけど、里に誰か友だちでもできたのか。


 里はいつも静かだ、だが、そう思っていたのは俺がいつも外から見ていたからなのかもしれない。

「ムロちゃんようきたねこれもらっていき」

「ムロ、また来たんか、ほれ、母ちゃんにこれを渡しといてくれるか?」

「ムロ~久しぶりだね~」

 ……以外というか、俺はムロが里のみんなと仲良くなっていることを初めて知った。

「久しぶりリナ!」

 小さい人狼、女の子がムロの目当てだろうか、そう言えば昔から何度か見かけていた。

 母が商人と買い物をしている間に、ムロとリナがそうして挨拶をする。俺はそれを少し離れて見ていた。

「ロウ!この子リナっていうんだ、ボクの友だちだよ」

「……ああ、そうか、その子自体は昔からよくみかけて――」

「初めまして!リナ!リナって言います!」

 食い気味でそう言うリナに、俺はもちろんムロも困惑する。

「私、昔からロウと話をしたかったの!でも、ロウはとても近づき辛い空気を纏っているから今まで声をかけられなかったんだよ!」

「……分かったから、あまり興奮するな、獣化しているぞ」

 少女の姿だったリナは、興奮のあまり狼の姿へと変わっていた。

 俺は殆どの時間を人の姿で過ごす、これは人の姿の方が利便性があるためだ。それ以外に理由をあげれば、ノミやシラミが殆ど寄り付かないことくらいか。

「あわわわわ、私興奮するといつもこうなんだよね~」

「……あ~そうなのか、なら落ち着くことから頑張るべきだぞ」

 そうして、俺がリナを構っていると、俺の気付かないその瞬間、ムロはどんな表情をしていたか、自分の友だちが自分以外と楽しそうにしていることをどう思っていたんだろう、今となってはそう考えなくもない。


「ロウ、リナのこと知ってたんだ」

「ん?知ってて当然だろあの子のことはお前よりずっと前から見知っている。何せああ見えてリナは俺の一つ下だからな」

 ムロは少し沈黙してから、驚いた拍子に小狼へと姿を変えた。

「え!ボクと同じ歳くらいかと思ってたのに」

「そうか、母さんに聞いていないのか」

 人狼の女は基本老けずらい、それは幼い時間も長く、老けた姿より若い姿でいる方が長くなる。リナは見た目幼いが、俺が生まれた次の年に生まれたのは間違いない、だからムロとは実際にかなり離れていることになる。

「まぁ、俺やムロが少しだけ老けるのが早いってのもあるけどな、だいたいリナの胸の大きさに違和感がなかったか?」

「……大きかったね」

 そう、年齢はそれなりで既に子を成す身体である以上胸も必然に膨らんでいる。

「人狼に関しては母さんが教えてくれたけど、ムロにはまだ教えてなかったのか、なら驚いただろ?」

「うん、でもそうか、だからボクじゃなくてロウなんだ」

「……なんだ、何か言われたのか?」

 そう聞くとムロは足早に俺の前を歩き、何でもないと言う。

 帰りにムロにも持ってもらうつもりだった母が戻ると、オオカミの姿で先に駆け足で帰ったムロに、母はなんでよ~と両手の荷物を俺に手渡す。

「ムロに何か言ったの?」

「いや、言ってなかったからこうなったんだ、つまり母さんの所為」

「……どういうこと?」

 家に帰った母は、ムロに何度も謝り人狼の話をしていた。

 俺は父が帰るのを待っていたが、その間ムロは何度も母に言う。

 別に母さんには怒ってないよ――そう何度も言っていた。だけど、俺はそれを聞こえない振りして、いつものように家の傍の大きな木の太い枝で人と人狼の将来を考えていた。


 翌日から俺たちの日常は少しだけ変化した。

 朝早く役目に出て、帰るとリナがムロと一緒に待っている。

 楽しそうに遊びながら待っていたが、俺が顔を出すとリナは俺に駆け寄ってきて、ムロは少し悲しそうな目でこちらを見ている。

「あのねあのね、今度焼き芋持ってきてあげる!私が焼いたやつだよ!」

「……そうか、それはムロが喜ぶな、あいつ好きだからな焼き芋」

「違うよ!ロウに食べて欲しいの!」

 少し離れたところにいるムロは、俺とリナが話しを終えるのを待っているが、その姿は一度も見たことがない。この時の俺は別に気に留めることもなく、ただリナをあしらうことだけを考えていた。

「分かった、ムロにも作ってやってくれるなら受け取るとしよう」

「本当に!分かった!任せて!」

 リナの好意は俺たちが守杜だからだと考えていた俺は、少しだけ線引きしようとしていたのかもしれない。守杜は役目を担うため、人狼内でも一目置かれる立場だったから。

 ムロはその後、リナと楽しそうに話していて、俺はいつものように木の上からその様子を眺めていた。数十分後、父が慌てて帰ってきて家へ入って行くのが見えて俺は木から降りる。

 どうして慌てていると思ったのかというと、いつもは人の姿で帰ってくる父が狼の姿で帰って来たからだ。

 俺も慌てて家へと入ると、父が母に事情を話している最中だった。

「里の商人が国の兵士に捕まって処刑されたようだ――」

 父は母が持ってきた上着を着ながら言う。

「これから里の長と一緒に人間の王と話をしに行く」

「止めておいた方がいい」

「ロウ……どうしてだ?」

「人間の王……この国、マトの王は亜人嫌いで有名だ、街中には亜人は入れないし、昔はいた森の民も全員国外へ追放されたんだ」

「どうしてお前がそこまで知っている?」

 そんなものは商人との話で誰でも手に入れられる。里へと来てくれていた商人も人間ではなく人狼で、人里隠れて人として暮らしていた、でもそれがバレてしまったのだろう。

「商人のベトとは友人だった……この前会った時、今回が最後かもしれないと言っていた」

「そ……そうか、彼の家族がどうなったかも聞いたか?」

「ベトの家族は日の国へ移り住んでいるよ、俺がそうした方がいいと言っておいたからな、本当はベトにも逃げる様に言っておいたんだけど、あいつなりにこの里を守ろうとしてくれたんだ……、父さん、今回の交渉は俺が行くよ、母さんのこともあるし」

 母さんは巫子を孕んでいる、だから父さんが今危険を冒すことはして欲しくない。

「ロウ、そうか知っていたのなら話しておくとしよう。我ら守杜の家系には時折巫子を孕む女が生まれる、お前の母さんがそれだ。……メイロウの御霊を宿す子は、以前の巫子からもう数十年は産まれていないがようやく現れた、これでメイロウの加護も増し、不老の巫子によって我らが役目も重要性を増すだろう」

「メイロウの宿る巫子は不老であっても不死ではなく、知恵者になるのは間違いないって聞くけど、もし母さんが殺されでもしてお腹の巫子が死んだ場合はどうなるか父さんは知ってるのか?」

 父は俺の目をまっすぐ見ながら、知っていると答えた。

「仮に産まれた巫子が死ねばそれを生んだ親が不老不死になると聞く、次の巫子を孕むまでの時間を稼ぐためにメイロウの加護がそうさせるらしい。だが、親諸共巫子が死ねば、その加護は〝定められし者に委ねられ、再び巫子が生まれるまでその者に託される〟と言い伝えられている」

 父はそう言うと、結果的にどうなるかは分からないと言った。

「定められし者……確かに誰になるかは検討もつかない」

「だが、交渉に行くのは私が適任だ、ロウは母さんを守って巫子を守れ、それがお前の役目であり、私の望みでもあるのだ」

「父さん……」

 父に託された言葉はそれが最後だった。


 数日後、父は里の長と一緒にマト国の国王に会いに向かった。

「ロウ!ロウ!」

 ムロに呼ばれ、俺は寝ていた太い木の枝から地面へと飛び降りると、満面の笑みを浮かべるムロがそこにはいた。

「どうした?ムロ」

 ムロは狼の姿で、人の姿の俺の前に寄ってくると言う。

「聞いた!母さんがメイロウ様の巫子を産むんだって!」

 俺たち人狼にとってメイロウは神だ。

 そんなメイロウの世話役は人狼内でも秘密の事柄だった。

 俺たち人狼にとって巫子は、メイロウそのもので大事な存在、メイロウは巫子となり何度も転生を繰り返すことで人へと近づいていく。

 つまり、聖獣は不老不死を捨ててまで人に成りたがっている。それ自体は俺はどうでもいいが、どうしてムロが母さんのことを?そう思ってしまい焦りを隠せなかった。

「ムロ!誰がそんな事を!」

「父さんだよ」

 俺は巫子のことはムロは知らなくていいことだと考えていたから、ムロに父が話したこと自体に不満を持ったが、知られてしまった以上は、仕方がないムロにも理解させよう――そう考えた。だけど、俺の考えとは違う感情でムロが巫女に興味を持っていたことに、その時の俺は気が付けなかった。

「いいかムロ、母さんが巫子を孕んでいることは知られたらメイロウの命を狙っている人間に襲われてしまう、だからこれは俺たち守杜が隠して守らなくちゃいけないことなんだ」

「分かってる」

「だから、巫子の話は誰にもしてはいけない」

「うん……分かってるよ」

 その時のムロの表情を全て理解できていたら、俺はおそらく〝良い兄さん〟として今もいられたのだろうか。


 人狼を森から追い出し、最後に森の恵みを得る、それが人間が目指す処だった。だが、人狼がいなくなると同時に、人は魔の物に滅ぼされてしまうだろう。

「人間ってなんだろうな」

 そう呟いた俺は、いつものように森の奥へと向かって行く。魔の物は生じてから日々力を増すため、倒し続けなければならない。

 俺は父より強いが、それはまさに加護ではなく、知識による魔の物に対する対策だ。

 魔の物は次の日には八倍は強くなると言う。だから、俺たち守杜は夜を通して退治し尽くす必要がある場合もある。

「人間は盟約を忘れてしまったんだ、俺たちのこの姿は人間じゃなくて人狼としての姿だ、だが、どう見たってこの姿は人でしかない」

 水溜まりに映る自身の姿に俺は途方もない失望感を持ちつつ、この姿でしか魔の物を退治できないことを受け入れてる。

 人の姿は狼の姿にはない間合いがある、拳から腕、肩までの長さが魔の物を退治する時には牙よりも便利なんだ。

 役目を終えた俺が家へと帰ると、父はまだ戻っておらず、ムロと母が心配そうに待っていた。

 人を嫌いながら、それでも人の姿で魔の物と戦う、そんな風に矛盾を抱えていた俺はムロの異変に気付くことはできなかった。 


 翌朝、明け方すぐに外へ出るとリナがいた。

「あのね、ロウ!コレ食べて!」

 そう言って俺に焼いた芋を人間の姿で手渡してくるリナ。

 リナに懐かれているのは気付いていたけど、少しムロに悪い気がして俺はそれを受け取らなかった。

「悪いな、俺じゃなくてムロにあげてくれ」

 リナは少し頬を膨らませて、ロウに持ってきたのに!と言うと、俺に押し付けて姿を変えて帰って行く。俺は仕方なくリナの芋を持ち、森の深くの入り口に行く。

 そこにはいつもはいないムロが待っていて、俺は丁度いいと声をかけた。

「ムロ、これリナがお前にって」

 そう俺が言うとムロは無表情で、「嘘つくなよロウ」と少し怒りの籠った声を出す。

「それはリナがロウのためにって焼いていた芋だ……、ちゃんとロウが食べてあげなよ」

 この時の俺は、ダメな兄のダメな優しさと気遣いで、リナとムロを傷つけているなんて考えもしなかった。その芋をムロが受け取るはずがないのに、俺はしつこく渡そうとした。

「いいからお前が食べてくれ」

「うるさいな!いい加減にしろよロウ!」

 初めてだった、これまでこんなケンカはしたことがなかった。俺はムロの心を傷つけてリナの心を傷つけていた、が、結局その気持ちに気付けなかった俺はバカだったのかもしれない。

 ムロはそう言って走って家へと帰って、俺は役目に向かう中でその芋を口にした。

 別に普通の焼き芋だったのだろうが、その時は何故か一口一口特別な感覚を覚えながら食べたのを今でも覚えている。

 そして同時に、ムロの悲しげな表情もいつまでもはっきりと覚えていた。

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