第142話 鷹の目の愛羅ママ

「あ、あの……それは冗談なんかではなく本気です……? 自分を雇いたいって……」

 提示してきたことを疑うことは大変失礼だが、確認を取らなければにわかに信じられないこと。


「もちろん。人の人生がかかることだから軽はずみなことは言えないわ」

「そ、そうです……よね」

『本気』だと行動でも伝えるためか、柔らかい目つきが一瞬だけ鋭く変わった……気がする龍馬だ。


「愛羅ちゃんはこんなこと言わないでしょうから今のうちに弊社のことも説明させてもらうけれど……ジングウ家具工業。それが私たちの持つ事業体なの」

「っ!?」

「そこで龍馬さんの力を貸してほしくて……本社の方に勤める形になるから引っ越しをする必要もないわ」

しれっと『ジングウ家具工業』の会社名を口に出した愛羅ママだが、その会社は龍馬が通っている大学に求人が出る年もある大手企業だった……。

 それも、かなり絞られた定員数で頭の良い就活生がこぞって狙うほどの人気企業。

 大学二年のうちから就職先を調べていた龍馬はこの会社がどれだけの年商を誇っているのかも知っている。人並み以上の資格を取っている龍馬でも、それを超える者達が応募するほどの企業。

 そんな有名企業から直接雇ってもらえる機会は人生に一度あるかないかだろう……。


「ママ、いくらなんでも強引すぎだって……。ふつーは順序みたいなのがあるでしょ」

「この先にない機会だもの。それに愛羅ちゃんは嬉しいでしょう? 龍馬さんが働いてくれたら」

「マ……そだけど……」

「それじゃあ見守っていなさい」

「う、うん」

 賢い愛羅は引き抜こうとしている理由を理解している……。口を挟めば挟むだけ、ソレ、、が遠ざかることも含め。

 両親の会社で働いて欲しいからこそ、愛羅はママの意見をすぐに聞く。


「この流れでお給料のお話もさせてもらうのだけれど、大学卒業後、一年目の平均年収が250万円から300万円ほどなのは認識として間違いないかしら?」

「そ、そうですね。300万円は行かないかと思います」

「なるほどなるほど〜……。うーん、そうね。今回は龍馬さんを引き抜くこともあって、年収はそこからプラス100万円以上をかさむということでどう?」

「ちょっ、そ、そんなにですか……!?」

「ええ、働くとなった場合は他の社員さんには内緒にしてもらうけれど」

「……」

 大卒の一年目で年収が350万円を超えるなんてことは他にないだろう……。これだけもらえれば姉のカヤに学費を返すこともできる。目指していた銀行員よりも良い条件が出されていることに脳が左右に揺らされる。


「もちろんこれは大学を卒業してからのお話になるけれど、龍馬さんにとっても悪いお話じゃないと思うの。もし勤めていただけるとなれば就活のお時間も必要なくなるでしょうし、余ったお時間で車の免許を取ったり、時間の調整をした後に弊社でアルバイトをすることも可能よ」

「…………」


 そう。大学で苦労するのは学業だけでなく就職活動もだ。

 4年生の大学では3年のうちに就職活動が始まる。その期間はちゃんと就職ができるのか、そんな不安を抱える。それだけ負担のかかる活動をせずにやりたいことができる。

 全くもって断る要素がない。断る要素はないのだが——龍馬は目先のことでは動かなかった。


「……すみません。この件は一旦持ち帰らせていただいてもよろしいですか?」

「あら、即決できない内容だったかしら……」

 頰に手を当て、不思議そうに首を貸しげる愛羅ママ。持ち帰る理由は当然に教える。


「いえ、条件を見ればすぐに頷きたいです。でも……愛羅にお世話になっていることもあって、特にみなさんの生活にも関わることなので迷惑をかけられないんです。本来ならその枠に自分よりも優秀な方が入ると思いますから」

「……」

 お金を稼ぐ企業には大きな見返りがあるために優秀な社員が就く。龍馬の言い分は間違っていない。

『自分はまだ青い』それが正しい言葉だろう。


「このままでは断らせそうだから、お持ち帰りをする前に一言だけ。誰だって最初は経験不足よ。それでも龍馬さんに将来性があるから愛羅の件で信頼をしているから声をかけさせてもらったの。経験があっても実力があっても、信頼がなければ意味がないもの」

「ありがとうございます……」

 これで面接のような硬い話が終わる。

 空気を変えるために龍馬は一旦下がることにする。


「すみません、お手洗いはどこにありますかね?」

「ふふふ、愛羅ちゃん案内してあげて」

「うん! りょーまセンパイこっち!」

「助かるよ」

「扉開けた瞬間にフタが開くんだよねー、ここのトイレ」

「えっ、マジで!?」

 二人がリビングから離れる際に愛羅ママが聞いたのは、先ほどのような真剣な声色ではなく、子どもっぽく興奮した龍馬の声。


 そこから1分後のこと。


「ママ! アーシあんな話一度も聞いてなかったんだけど!」

 龍馬をトイレに案内し終わった愛羅はリビングに走って戻る。すぐに二人っきりになったタイミングでママを問い詰めていた。


「ごめんなさ〜い」

「ごめんなさいじゃないっての!」

「はぁ〜。それにしても愛羅ちゃんの力になれなかったわ。すぐに頷いてくれると思っていたのに」

「そっ、それ言わなくていいって!」

「話に聞いていた通り一筋縄ではいかないわねぇ〜。私としても無理を通した条件だったのにそれを断ろうとするなんて」

「りょーまセンパイはそうなんだって。すぐ人のこと考える性格だから餌出しただけじゃ釣られないから。マジでバカ」

「ふふっ、今回のことで身に染みたわ。愛羅ちゃんが惚れちゃった理由もね〜?」

「だ、だからそれも言わなくていいって!! りょーまセンパイにバレたらやばいんだって……」


 ジングウ家具工業本社の面接官を担当している愛羅ママは、今までにたくさんの人間を見てきている。


 普通ならあの条件に喰いつかないわけがないのだ。言葉は悪くなるが尻尾を振ってラインを繋いでくる。

 しかし龍馬は違かった。『自分より良い人材が入るのは間違いない』……と、会社のために断ろうとした。

 断り文句だと捉えてもおかしくはないが、『お世話になっている』『条件を見ればすぐに頷きたい』この言葉に嘘は含まれていなかった。


 つまり、就きたい気持ちを持ちつつ会社の効率を考慮したということ。

 内気だ。やる気がない。そう判断すればそれまでだが、前者と後者では印象も全然違うと捉える愛羅ママだ。

 初動の効率だけを考えれば前者に取る方が確実だが、将来性や伸びしろ、信頼、貢献度。その全てを考えたのなら、後者を取るのが当たり前。面接のような形で龍馬という人間をこの目で見えているわけでもあるのだから。


「初めてのタイプに当たったわね〜。お父さんにも詳しく説明しなくっちゃ」

「大人でしょ? りょーまセンパイは」

「ふふふ、大人すぎて怖いくらい。あれでまだ20歳なんでしょう?」

「そうそう」

「う〜ん、どうしよう愛羅ちゃん。私、本当の本当に龍馬さんをウチに招き入れたくなっちゃった」

「う、うっわぁ……。もっと本気の目してるし……」


 ふわふわした声色を見せている愛羅ママだが、その双眸は異なっている。獲物を狩る鷹の目のように鋭く変化させていたのだ……。

 もう愛羅のためという気持ちは消えていた。会社のために逃したくない人材として見た愛羅ママだったのだ。

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