第131話 お家の中からバイト先へ

「愛羅ちゃん、もうちょっと落ち着いたらどう? 今から緊張していたら体が持たないわよ」

「そ、それは分かってるけどどうしようもないって言うか……。家にオトコあげるの初めてだし……!」

 今日は土曜日。龍馬が愛羅家にお邪魔することになっている日。

 自宅にはホコリ取りを持った愛羅と洗濯物を干している母がいた。


「あーもー、ホコリ取っても取ってもあるんだけど! なにこの忙しさ! めっちゃ暑くなってきた」

「ふふ、あちこち動き回っていたらそうもなるでしょうね」

 12月の季節なのにも関わらずルームウェアのショートパンツの履いている愛羅は小麦色の細い脚を露出させた格好で掃除に勤しんでいる。ドタバタドタバタと騒がしい足音を室内に響き渡らせていた。


「愛羅ちゃんは必死ね。ここまで頑張ってる姿を見たのは久しぶりかも」

 そんな一生懸命な愛羅を微笑ましく見ながら母は衣服のシワを伸ばしてハンガーにかけている。


「ひ、必死って言い方なんかヤなんだけど! なんかアーシがりょーまセンパイのために本気出してるみたいじゃん」

「あら……? 実際にはその通りでしょう?」

「ち、違うし! 友達が来る前に掃除するのと一緒!」

「顔を赤くしながら言われても説得力がないのよねぇ。愛羅ちゃんがそんな顔をするのは龍馬さんのお話をする時だけだもの」

「恥ずかしい話する時とかもするし!」

「でも今は恥ずかしがる要素はないでしょう?」

「っ、こんなに動いてたら赤くもなるっての! もう二時間くらい動いてるし!」

「うーん。じゃあそう言うことにしてあげる」

「だ、だからなにその含み……」


 細い顎に手を当てて微笑を見せる母。

 愛羅の言うように全てを見通していると言わんばかりの表情である。


「まーあ、洗濯ものが終わったらわたしもお掃除手伝うわね。龍馬さんに汚いお家は見せられないでしょうから。……特に愛羅ちゃんが」

「だ、誰が来ても一緒! 特にとかそんなんじゃないってホント!」

「素直になるのはいつ頃かしらね。龍馬さんが来た後かしら」

「あー! もーしつこい! もー掃除戻る!」

「はーい、行ってらっしゃい」


 朝から騒がしい愛羅家。ガーっと文句を言う愛羅だが楽しい時間を送っていた。愛羅としては母が久しぶりに帰ってきているという点も大きいのだ。そして、今日龍馬が家にお邪魔することも含めて。


 ——そこからさらに30分。

 玄関掃除とトイレ掃除を終わらせた愛羅は、肩に空色のスポーツタオルをかけてキッチン周りを掃除をしている母に駆け寄った。額にはうっすらと汗をかいている。


「ねー、ママ。このぬいぐるみソファーの上に置いててイイ? これあった方がオンナっぽい家に見えるでしょ?」

 愛羅は両腕にスライムのぬいぐるみをぎゅっと抱えて聞く。このスライムは自室から持ってきたものである。


「確かに女の子っぽい部屋になるけど……もう十分だと思うわよ。小物もあちこち置いているし、ソファーにはリボンクッションもあるでしょう?」

「このままでも女っぽく見られる?」

「親バカな意見かもしれないけど愛羅ちゃんの容姿があれば異性として見られてるはずよ。お部屋の主張は抑えていた方が愛羅ちゃんに注目するんじゃないかしら」

「じゃあ戻してくるー!」


 愛羅が意見の一つも言わないのは母に信頼を寄せているから。

 また、そんな母から褒められて嬉しいのだろう。声色が明るくなる。

 背後を向けた愛羅はるんるんとした足取り階段を上り、元の位置にスライムのぬいぐるみを直す。


 その後、再度リビングに戻った愛羅の両手には二つの芳香剤があった。


「ね、ママ。玄関の芳香剤が切れてたから昨日買ってきたんだけど、どっちの方がイイかな」

「愛羅ちゃんの好きな方で良いんじゃないの?」

「そ、そうじゃなくってオトコが好きな方って意味!」

「か、かなり難しい質問するわね。うーん……」

 愛羅の言う『オトコが好きな方』もっと詳しく言うなら、『龍馬が好きな方』になる。リビングにスライムのぬいぐるみを置こうとしたのも龍馬に良く見られるため。

 口には出さないが、愛羅の母はもちろんこの件に気づいている。


「良い匂いでも相手を不快にさせたりするから……わたしはラベンダーを選ぶわね。馴染みのある方が外れを引くことは少ないでしょうし」

「じゃあラベンダーの方置いとくね!」


 そんなことがありながら昼前には満足いくところまで作業は終わる。

 掃除で汗をかいた愛羅は早めのお風呂を済ませ、今現在、母と一緒にテレビを見ている最中である。


「あっ、そう言えば……」

 突と愛羅の母が口を開く。


「愛羅ちゃんって龍馬さんの嫌いな食べ物は分かる? せっかくお邪魔してもらうのだから好物を食べさせたいの」

「あーごめん。それアーシも分からない。でもりょーまセンパイってあるもの全部美味しく食べてる感じあるからなんでもイケるはず」

「なんでも……か。うーん、それが一番困るのよね……」


 愛羅の母は整った眉をハの字にする。このような経験をする者は多いだろう。


『買い物行くけど何か欲しいものある?』

『お菓子』

『どんなお菓子?』

『なんでも』

 そして選んだ物に対して文句を言われたりする。指定されなければ選んだ側も貰う側も嫌な気持ちになってしまう。


「うん。だからアーシ的に王道でイイと思う。カレーとかパスタとか。りょーまセンパイって優しいからちょー不味くても文句言わないし」

「一品だけ塩と砂糖を間違えた料理出してみる?」

「故意的はダメだかんね? りょーまセンパイ可哀想だしアーシが怒る」

「分かりました」


 愛羅の目は本気。大切な相手だからこその当然の想いである。


「それにしてもカレーにパスタ……か。愛羅ちゃんも成長したわね」

「どゆ意味? アーシ昔からどっちも大好きなんだけど」

「そうじゃなくって——」

 子どもの頃に食べられなかった物が食べられるようになった。そういった事への成長を感じたなどではない。


「——衣服が汚れそうな料理をチョイスしたから。願わくば洗濯物を回すことになって龍馬さんと一緒にいる時間を増やそうとしてるのかなって思って?」

「ちょっ!? なわけないでしょ! ってかそんな手もあることにびっくりしてるんだけど!」

「こうした考えも持っておかないと龍馬さんは落とせないわよー?」

「うっさいしー!」


 軽口に軽口で返す愛羅だが形の良い耳が赤くなっている。お風呂に入った後だからなのか、それ以外からか。これは分かりやすい問題だろう。


「ふふっ、じゃあそろそろわたしは料理を作り始めようかしら。愛羅ちゃんを思う存分からかえたから」

「ならアーシはりょーまセンパイのトコ行ってくるーっ!」

「えっ、もう行くの? 龍馬さんがバイト終わるまでまだまだ時間あるでしょう?」

「ママにからかわれた分、りょーまセンパイをからかってくるわけ」

 八つ当たりと呼ぶにふさわしい発言である。


「あ、あんまり迷惑をかけちゃダメよ? 龍馬さんはバイトしているんだから」

「はーい!」

 そうして化粧ポーチを取りに行った愛羅はいつものようにおめかしを始めた。

 

 この数十分後、愛羅はとんでもない現場を目撃することになる。

 コミケで会いに行ったこともある、Twitterもフォローしている有名漫画家があの書店で意中の相手に絡んでいるところを……。

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