第123話 龍馬の決意と姫乃とお話し
『姫乃、昨日貸してもらった折りたたみ傘持って来てるんだけど今日時間ある?』
大学の休み時間、龍馬はTwitterのDMでこの内容をでびるちゃんに送っていた。
『シバの時間割は?』
『俺は夕方まで入ってる』
『姫乃も一緒』
『じゃあ放課後に会うって感じでも大丈夫? やっぱり渡せる時に渡しておいた方がいいと思うから』
『ん、わかった。あとシバに聞きたいことある』
『聞きたいこと?』
『だから放課後に時間ちょうだい』
『了解。じゃあとりあえず最後の講義が終わったら連絡取り合おうか』
『うん』
流石は仕事用のアカウントと言うべきか姫乃の返信時間は早く、このメールは昼休憩中に済んだこと。
——講義も無事に終了し、現在は放課後に入っている。
姫乃から先に場所の連絡を受けた龍馬は、その空き教室に到着していた。
(先に教室見つけてくれたのは嬉しいな……)
オフ状態で過ごしている龍馬だからこそ、姫乃と一緒にいるところはあまり見られたくはないのだ。
この大学には合法ロリン団という姫乃を狙う男を狩るガチムチ集団がいる。
穏便に大学生活を送りたい龍馬からして、そこに目をつけられるのだけは勘弁なのだ。
有難い、なんて素直な気持ちを抱きつつ閉じられた教室の扉をゆっくりと開けば——居る。
空っぽの教室に一人だけ、繊細な銀髪を持つ姫乃がちょこんと椅子に腰を下ろしていた。
毛先まで整ったツインテールは黒のリボンクリップで留められている。
「……」
「……」
音を立てずに扉を開けたからだろう。龍馬から見えるのは姫乃の後頭部と小さな背中。こちらに気づく様子はない。
来た時同様に扉を優しく閉めた龍馬は、足音を立てずに姫乃の近付いていく。
驚かせるなんて目的はなく、今何をしているのか単純に気になったから。
一歩一歩距離を縮め……龍馬はバレることなく姫乃の観察に成功した。
もぐもぐもぐもぐ——。
食べたいという衝動を抑えていたのだろうか、かなり大きく頬張ったのは間違いない。ひまわりの種をため込んだハムスターのように頰を膨らませている姫乃。
その両手にあるのはホワイトチョコが掛かったバームクーヘン。机上には
「お、おぉ……。相変わらずだなぁ」
「ん!」
感嘆の声を漏らす龍馬と、そこで入室に気づく姫乃。
「今日のお菓子はバームクーヘン?」
『コク』
視線を合わせながらも口を動かし続けている姫乃は小さく頷く。
「それ美味しい?」
『コクコク』
ここまで喋らないのは口の中が見えないように考慮しているから。そしてこの対応は失礼だと思っているのか、もぐもぐを早めて飲み込もうとしている。
相変わらずの姫乃で、こんな様子を見たら悪戯を仕掛けてみたくなるもの。
「そのバームクーヘンってどんな味?」
「……っ!?」
その問いに目を丸くした姫乃はむしゃむしゃを止める。そう、首の縦振りや横振りの『うん』『違う』ではどうしても答えられない壁を龍馬が作り出したのだ。こうしてフリーズしてしまうのも無理はない。
「あれ、姫乃無視してる?」
『ふるふる』
意地悪なことを続ける龍馬は今の状況を楽しんでいるような顔だ。
姫乃は大きく首を横に振った後、焦ったようにカバンの中をゴソゴソする。
「……お?」
そこから取り出したのは空色の小さな水筒。
ボタンを押して飲み口を開けた姫乃はお茶を口に流す。そして、ごくんと喉が動いた瞬間である。
「……甘くておいしい」
口の中を空になったのだろう。律儀に返してくれる。
「な、なんかごめん。ちょっと変なスイッチ入ってた」
「ううん、平気。まだいっぱいある」
もう少し味わわせてあげるべきだった……と、今になって反省する龍馬は悪戯のスイッチを切る。
「って、それにしてもお菓子のレパートリーが豊富だよなぁ姫乃は」
「美味しそうなの見つけたら買う」
「ハハッ、そうか」
子どもの頃と比べ、この年になれば好きな物はある程度買うことが出来る。
姫乃の場合、大好物のお菓子に全力投球しているようだ。
「あっ、先に折りたたみ傘渡しとくね。渡し忘れしたら本末転倒だし」
「ん、ありがとう」
「いやいや、俺のほうこそ助かったよ」
家に帰る途中で雨は止んでいたが、そこをツッコむのは姫乃の気持ちを踏みにじるような行為だ。貸してくれたことを一番嬉しく思う。
丁寧に袋に包んだ折りたたみ傘を返し、姫乃の正面側の席に座る。
もう慣れつつある放課後の話し合いだ。
「それで早速だけど……メールで言ってた話したいことって?」
今日の目的は互いにある。
龍馬は折りたたみ傘を返すこと。そして姫乃は聞きたいことを聞くこと。
「姫乃、昨日電話した」
「それは……会社にってことだよね?」
「ん、
「ありがとう。依頼は24日で間違いなかったよね」
「うん。でも、電話した時に変なこと聞いたの」
「へ、変なこと……? それって?」
姫乃はこの本題を直接龍馬に聞いておきたかったのだ。それほどに重要な内容。
「シバ、このお仕事
「んっ!? や、辞めるってどう言うこと!? お、俺が?」
「そう。会社の人からシバがやめるかもって。だから念頭に置いててって、姫乃言われた」
「……」
「今、代行を休止してるってことも、聞いた」
「休止……? ち、ちょっと待ってね。……状況整理するから」
額を人差し指で掻きながら険しげな顔で考える龍馬。姫乃から聞いたことは全て初耳。
摩訶不思議な状況ではあるが、代行会社が『休止』や『辞める
何かしらの手が加えられたのは間違いのないこと。
「……」
「……」
姫乃を前に5秒ほどの無言。
そして——
「あっ! あ、はは……。そう言うことか……」
熟考した結果、しっくりくることが一つ。むしろこれしか考えられないこと。
「心当たりあった?」
「ん、ちょっとね」 龍馬の頭の中にはとある光景が浮かび上がっていた。
数日前、姉のカヤから問い詰められたあの日のこと。話が終わったその最後、
『……リョウマ、ちょっとアタシは
そう言って玄関から出て行ったカヤ。この電話先が龍馬の所属している代行会社だったとしたら全ての辻褄が合う。
この付近に拠点を置く代行会社は一つだけ。特定は簡単なこと。
血の繋がりのあるカヤから直接の伝言があり、問題がないと判断したなら会社側は条件を呑むだろう。
「……姫乃の言う通りだよ。今は休止してる」
姉のカヤと揉めたことは姫乃に伝える必要がない。話を合わせることに徹する。
自然なやり取りを生ませるために嘘も交える龍馬だが、その内心では頭の上がらない思いを抱えていた。その相手はもちろんカヤである。
龍馬の知らぬところで、考える時間を与えるために休止という手を打っていた。
取り返しのつかない問題だと判断したからこその行動力。
『もう個人のことじゃなくなったからアタシはどうしようも出来なくなったよ』
そんなセリフを裏腹にした行為。……カヤの気遣いに胸が温まる。
ただ、龍馬は知る由もない。
カヤは電話一つで社内を騒がせるだけでなく、社長にまで取り繋いでもらえることに……。
一つ一つの発言力は凄まじく、経営の
社長すら恩を持つ代行の先駆者。辞める際には全力で止めにかかられたほどの伝説の女性なのだから。
「シバ、このお仕事やめないで……」
小さな口元を縛る姫乃は机の上にあるバームクーヘンを全部龍馬の方向に近づけた。
姫乃が考えた龍馬をやめさせない為の賄賂である。
「もー、そんな心配そうにしないでよ姫乃。俺はこのバイト辞めるつもりないからさ」
「ほんと……? うそじゃない?」
「本当。俺の休止って今日まででもあるし」
龍馬の中でこの仕事を続けると言う答えが決まっている。あとはカヤと真剣に話すだけ。
「だから、24日はちゃんと遊べるよ」
「よかった……」
心の底から安心している様子が伺える。それくらい姫乃の心を掴んでいる証拠でもある。
「遊べるからこそ言うけど風邪引かないようにだけ頼むよ? 最近の
そう言いながら優しく微笑む龍馬はバームクーヘンを1つ手に持ち、姫乃に見せた。
「約束出来るなら一緒に食べよっか」
「……ん、約束する」
そこから小一時間、バームクーヘンを小腹の足しにしながら楽しく雑談する二人だった。
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