第113話 元カレの救いの手
「花音ちゃーん。いつものお願いできる? 大盛りで」
「か、かしこまりました。オムライスですね」
「確認をしないでいいくらいに覚えてて欲しいんだけどなー。そんなところ僕きにするからさ?」
「す、すみません……」
来店するごとにグイグイと攻めてくるタケルに苦手意識を覚えている花音だが、これはお金をもらっている仕事。
こんな積極的なアピールを嬉しく感じるのは意中の相手だけ。残念ながらタケルではない。
「他はよろしいですか?」
「
「あ、あの……メニューにあるものでお願いします……。そ、そう言ったことはとても困りますので……」
一歩後ろに下がる花音の面はみるみるうちに硬くなっていく。一番嫌な時間がやってくることを悟っていた。
「じゃあお金あげるから教えてよ。あ、まずは花音ちゃんの言い値を教えてもらわないとだね」
「お、お金はいただけませんから……。すみません」
「またぁ? ボクってこの店に結構お金落としてるんだよ? ちょっとは優遇してくれてもいいじゃん」
「そう言われましても……。規則は規則です……ので」
客から接客を良く褒められる花音であるが、今はもうその面影もない。愛想笑いが消え、『苦』の一文字が顔に現れている。
「あのさぁー、言わせてもらうけど接客業してるんだし、時には大人の対応ってもんをしてくれないと好きな人にも嫌われるよー? 花音ちゃんが原因で喧嘩したって言ってたけど、まさにそんな頑固なところがあるからじゃないの?」
「……っ」
「ね? もう大人なんだから悪いところは改善しなきゃ。それで今度ボクと一緒に美味しいランチでも食べに行こうよ。そのために連絡先教えてよ。早く」
「…………」
この喫茶店の制服であるエプロンを握りしめる花音は、前髪を浮かせるように深く俯いていた。
(やっぱり、辛いなぁ……)
心の中の叫び。だが、花音は閉じ込めたままにする。
(でも、わたしが我慢しなきゃ……。マスターも動いてくれてるからこれ以上は迷惑かけられないよ……)
花音は損をするくらいに優しいのだ。パンクするまで自己犠牲を働かせるくらいに。
「お、観念した? メアドが嫌なら電話番号でもいいよー!」
自分勝手なタケルは花音の気持ちなんてわかろうとはしない。自身の目的のために、そして、私欲を満たすためにしか取っていない行動だからだ。
一方的な展開を繰り広げているタケルと花音。その現場を見る二つの顔。
予め警戒をしていた龍馬と姫乃はそちらに注意を向けていた。
「シバ、お姉さんが」
「……だな」
「早く助けないと……」
「……」
姫乃の言い分はもっとも。助けられるなら救いの手を伸ばす。これが普通の人間としてあるべき心だ。
あの様子を見るに、花音が毎日のように我慢する性格を利用し常連がしつこく連絡先を聞き出そうとしていることは明白。
全ての辻褄を合わせている龍馬だったが、姫乃にように動くことはできなかった。躊躇という障壁が前に出ていた。
無闇に首を突っ込めば過激化させてしまうかもしれない。なんてリスクを背負うのは無論、元カレの立場でこんな問題に触れて良いのか……と。
一度別れた関係であり、真面目すぎる性格なだけに余計なことを考えてしまう。
「シバは……何もしない?」
「……」
「シバ?」
「…………」
姫乃の問い掛けにピクリと眉を動かすだけの龍馬。時間が惜しい今、こんな反応は無視したも同然。
「……なら、姫乃一人で助ける」
姫乃は本気なのだろう。木製の椅子を引いて立ち上がった。
「姫乃、お姉さんとの関係知らない。でも、知らんぷりするのシバらしくない」
「——ッ!!」
気持ちのこもった姫乃の訴えが龍馬の全身に響き渡る。
今の今まで尻込みをしていたが、この一瞬で馬鹿らしく思えた。
「待って姫乃」
花音の方に踏み出した姫乃の手首を掴み、ストップをかけた龍馬も立ち上がる。
「離して……」
「そ、それを含めてごめん。もう目が覚めたよ」
先ほどの対応に負い目を感じていた龍馬は申し訳なさそうに謝った。
どんな関係であろうと助けた方がいいに決まっている。花音の性格が分かっているならなおさら。
姫乃のおかげで導火線に火をつけることができた龍馬はもう迷わない。
「姫乃、ここからは俺に任せてくれないか? あんな反応してなんだけど、こんな時こそ男の出番だから」
「……でも、姫乃もいく」
「駄目。あんな自分勝手な奴って可愛い子が絡みに来たらすぐ調子に乗るんだから」
「っ!?」
姫乃の容姿は大学で有名になるほど。可愛いと視線を集める姫乃が助けに行けば、タケルが取りそうな行動は目に浮かぶ。
『じゃあ花音ちゃんは諦めるから、君の連絡先教えてよ』
なんて肩代わりするような案を出してくることなど。
一人でも助けに行こうとした姫乃はこの条件をすぐに呑むだろうが、それでは問題の解決にならない。今度は姫乃が被害を受ける番になり、庇われた側の花音の立場がなくなる。
ただ、例外もあり同性の龍馬が行けば起こりえないこと。
「姫乃にはカッコいいところ見せてもらったし、次は俺が姫乃に良いところ見せる番。嫌でも譲ってもらうよ」
口八丁に言いくるめる龍馬。
空手を習っている花音なら抵抗する手段をいくらでも持ち合わせているだろう。だが、姫乃は違う。押されただけでコケてしまいそうな華奢な体で、力も弱い。
抗う術がないからこそ姫乃を干渉させるわけにはいかない。全てを考慮した上で、一人で乗り込むのが正しい道だと思えた。
時間が押している今。花音を助ける上でこれ以上の話は無駄である。
姫乃を安心させるように口角を上げた龍馬は、掴んでいた手首を離して優しい声で言う。
「じゃ、ちょっと話し合いしてくるから姫乃はゆっくりパンケーキでも食べてて」
「う、ん……」
そうして姫乃に背中を見せたすぐ、龍馬は面構えを変化させる。
道中をすれ違えば振り返ってしまうくらいに怖い顔を作ったまま、二人の元に歩み寄っていく。
こうしたことに手慣れているわけではないが、怖さを感じたりしてはいなかった。
むしろ花音と付き合っていた当時を思いださせるような、そんな懐かしさを覚えていた。
「あの〜」
そして、花音とタケルの間に入り込むような投げかけの声。
——次の瞬間に啖呵を切った。
「俺の大事な人に手を出すのはやめてくれ」
花音を守るように腕を伸ばす龍馬は、タケルを睨むようにして仲介に入ったのである。
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