第101話 姫乃と花音と常連(イケメン)

「お金……いいの? 姫乃、ほんとにある」

 パンケーキを食べ終えた姫乃は小さな両手に1300円を置き、店員の花音に見せながら遠慮がちに聞いていた。

 本当に払えるんだよ、そんなアピールを見て微笑ましく思いながら花音は接客を続けていた。


「うんっ、お金は全然大丈夫だから。パンケーキ全部食べてくれてありがとう」

「ぺろりだった」

「そう言ってくれると嬉しいなぁ」

 月並みの感想を言う姫乃であるが、もし花音に尻尾がついていたらそれはもうブンブンと振っていることだろう。


「じゃあ、お金をお財布に直そっか」

「ん……」

 姫乃の両手にあるお金を一度預かる花音は、財布を出すように催促し中に入れていく。


「姫乃ちゃんはこれから買い物に行くんだよね?」

「行く」

「気をつけて行くんだよ? 道路を渡る時は右と左の確認をしてね」

「ん、わかった」

 コクリと頷く姫乃。


「自転車が後ろからくるかもだから、前と後ろの注意もするんだよ?」

「頑張る」

 再度、大きめに頷く姫乃。


「あとは……お財布はバックに入れて落とさないようにしてね」

「今、入れる……?」

「そうしてくれると嬉しいなぁ」

「ん」


 お母さんのような世話焼きぶりが発揮している花音だが、姫乃はうざったく思うわけでもなく、忠実に従っている。

 姫乃の年にもなれば心配されていると身に沁みて理解していること。この気持ちを無下にすることはしない。


 花音が見ている前でエナメル質の財布をバックに入れた姫乃は、最後にお礼を伝える。


「……ごちそうさまでした」

「うんっ! また来てね!」

「次はお友達と来る」

「お友達!? お、お金は大丈夫かな……? 無理だけはしなくていいからね!」

「ん、無理しない」

「わかった! 次に会える日を待ってるからいつでも来てね」

「姫乃も、優しいお姉さんに会いたいから、来る」


 バッグの肩紐を両手で持ち、目を見て伝える真顔の姫乃。言葉の力強さは相当なもので……花音はジーンと心を揺らされる。今日バイトがあって良かったと実感していた。


「ばいばい、優しいお姉さん」

「ばいばい……」

 片手を振り、花音に手を振り返されたことを確認した姫乃は喫茶店から出て行った。


 カランカランとドアベルが鳴り、店内にお客さんもいなくなる。

 虚無感に打ちひしがれたようにぼけーっと出入り口を見つめる花音に、『おい』と店主は声を飛ばした。


「カノン……。お前、泣きそうだぞ?」

「マスタぁー、姫乃ちゃんにずっといて欲しかったです。一度、むぎゅって抱きしめたかったです……」

「武術習ってるカノンが、あんなちっちゃい子抱きしめたら潰れるだろう。警察来ることになったらどうしてくれる」

「ちょっ!? わっ、わたしそんな怪力じゃないです! ちゃんと優しく扱いますから」


 こんなやり取りができるのはお互いに壁がないから。人間関係は良好である。


「ってか、仕事中に馬鹿なこと言うんじゃないよ。そんな抜けた頭してるから彼氏に愛想尽かされるんだ」

「い、いきなり元彼さんの話を出さなくてもいいじゃないですかぁ……」

「カノンが一番効く話題だからな。二人っきりになった今、その煩悩頭に叩きつけてやる」

「……一つ訂正させてください」

「訂正?」

「こんなに抜けた頭をしていても元彼さんは愛想なんて尽かさないくらいに優しいんです……っ!」

「お、おう……」


 冗談交じりに貶される花音だが、庇ったのは自身ではなく元彼の龍馬であった。


「でも、振られたわけだろ?」

「……そ、それはわたしが悪いことをしたからです……」

「全部悪いわけじゃないだろって。カノンにコトの原因があったとしても、誤解だったわけだし彼氏側はその説明を求めるべきなんだから。それを怠った時点でどっちもどっちだ」

「責任転嫁はしたくないです……。原因はわたしにありますから」


 仲良くなれば恋愛事情を聞かれるなんて良くあること。花音はそこである程度の過去を店主に教えていた。


「ま、捉え方は人それぞれだからなんとも言えないが、振った男を庇い続けるのはもうやめにしたらどうだ? そんなんじゃ新しい彼氏は絶対できないぞ。カノンは欲しいんだろ、彼氏が」

「ほ、ほしいです……」


 花音は高校卒業後、保育士の資格取得のために三年制の専門学校に通っている。

 龍馬と同じ学生で20歳。大人の恋愛がしたくなる年頃だ。


「彼氏欲しいとか言ってるのに行動が矛盾してんだよなぁ。最近はあの常連イケメンに口説かれてるってのに、頑なに連絡先を教えないんだから。好意ありありなのはカノンも気づいてんだろ?」

「気づいてないと言ったら嘘になります、けど……」


 店主の言っていることは事実。最近は週2のペースで料理ではなく花音を求めに来る常連イケメンがいる。

 花音はその常連を毎回のように躱しているのだ。


「ならもうそっちに飛びつけ。あのレベルの男から口説かれるなんてそうそうないんだから。今からでも青春は遅くないぞ?」

「……」

「まさかそれでも元彼がいいとか言うのか?」

「はい……」

「馬鹿だねぇ。目の前に幸せが広がってるってのに」


 深いため息を吐いて呆れ混じりの顔をする店主。

 付き合えるかもわからない元彼。今アプローチされているイケメン男。

 大半が後者を彼氏にして恋愛を楽しもうと思うだろう。一度逃したのならもうこのチャンスはやってこない。付き合ってから好きになるという可能性もあるのだから。


「逆にあの常連イケメンのどこが不満なんだ? 生理的に無理とかならワタシも納得するが、そうじゃないんだろう?」

「そ、そうですけど、元彼さんがいいです……」

「その一途な気持ちがいつまで持つか楽しみではあるけどな——」

 そこで店主は言葉を繋げ、

「来たよ、カノン」

「えっ?」

 視線を出入り口に向け花音に促したその瞬間、聞き慣れたドアベルが鳴り店内に足を踏み入れる高身長の男。


「どーもー」

「いらっしゃい」

「あっ、いらっしゃいませタケルさん」

 店主の後に続き、花音は普段通りの笑顔を見せ接客のスイッチを入れる


「今日も可愛いね、花音ちゃん」

「ありがとうございます……」

 慣れた様子で声をかけて来たのは、花音を狙う常連のタケルだった。

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