第99話 姫乃と関わるあの彼女

 これは葉月とカヤが居酒屋に足を運ぶ前のことである。

 

 二限で大学の講義が終わった姫乃はノート、シャープペンシルの芯、そしてアメやチョコレート、クッキーなどの補充を目的に大型スーパーに歩みを進めていた。


(何かあるといいな……)

 姫乃にとって買い物に出かけるというのは憂鬱なことではない。

 今日はどのお菓子を買おうか、なにか新商品は入ってきていないかなど、遠足の行く前のお菓子選びをするぐらいの楽しさを感じているのである。


 今日も普段通りに向かっていた矢先である。

「……ん」

 何かを発見したかのように首を左に向け、一声。姫乃は立ち止まって体も同じ方向に向ける姫乃。


「……」

 そこにあるのは『Open』との看板が掛けられたこじんまりの喫茶店。

 この店を見るのは初めてではない姫乃だが、今日だけは違う。


 肉食獣のように鋭い睨みを利かせながら入り口付近にある張り紙を凝視しているのだ。

 その紙には——

『今月の新スイーツ! フルーツ盛り合わせパンケーキ!』

 二層になった丸く大きな生地に、ドーンと生クリームとフルーツが盛られたものが写真付きで載せられていた。


 甘いものに目がない姫乃からして、その張り紙はただの張り紙ではない。

 後光が差しているように、金箔に包まれているようにキラキラと輝いて映っているわけである。


「パ、パンケーキ……だ」

 姫乃はまばたきをすることもせず、顔を動かすこともせず、まるで餌を目の前に垂られているように一歩一歩喫茶店に近づいて行く。

 もし足元に落とし穴が設置されていたら、いとも簡単にハマってしまうことだろう。


「パンケーキ……。あの、パンケーキ……」

 姫乃はその入り口近くに到着。

 張り紙に書かれているパンケーキの値段は1300円。


 姫乃はすぐにバックからエナメルの財布を取り出し、中身を確認する。

 まだ銀行からお金を下ろし終えていない姫乃の残金、1000円の札が2枚。そして小銭の合計が700円ほどだった。


 おおよその手持ちを把握し、次に姫乃はスマホを取り出して計算機アプリをタップする。


 先に手持ちの2700(円)を入力、

(芯200円……。ノート300円……。お菓子1000円……。パンケーキ1300円……)

 そこからシャープペンシルとノートは少し多めの金額で打ち、あとは決まっている金額で『イコール』を押す。

 そしてすぐに答えが出る。−100……と。


 お金が足りない。それでも姫乃に絶望の顔はなかった。すでに解決策を見つけているのだ。


(ノート減らせば……大丈夫)

 と、これで−100円を補う。姫乃にとってお菓子の購入金額を減らすという選択肢はない。

 これで銀行に寄り道せずに、このパンケーキを食べれる。買い物も出来るわけである。


 となれば、これからの行動は決まった姫乃であるが……その本人は一つの問題を抱えていた。それ証明するように顔には苦渋の表情が浮かんでいる。


「……」

 そう、姫乃はこの喫茶店に一度も足を踏み入れたことがないのだ。

 初めてのお店で、特にこうした喫茶店やカフェに入りづらいとの共感ができる人も多いだろう。


 食べたい、入りたいけどその勇気が出ない。

 眩く光るパンケーキの張り紙を恨めしく睨む姫乃……。そんな時、救世主が現れる。


「パンケーキ食べたいのっ?」

 と、横から投げかけられた少し高めの和らげな声。

「ん、美味しそう……だから」

 夢中にもなっている姫乃は、一切視線を変えることもなく話に乗っていた。


「ここのお店すっごく美味しいよ〜っ! 良かったらわたしと一緒に入る? こういった雰囲気のところはなかなか入りづらいと思うから」

「……いいの?」

「うんっ!」

「……」

 姫乃はここで気づく。今、別の人と話していたことに。

 隣におばけが立っているんじゃないか、と言うようにゆっくりと真横を見る。姫乃が見たのはその人物の膨らんだ胸。次に視線を上げて顔を確認する。


 黒のカフェエプロンをし、姫乃よりも身長が高く、アシンメトリーの赤髪。雰囲気はほわほわと優しそうなオーラが漂っている女性だった。


「いきなりごめんね、困ってる顔をしてたから声をかけさせてもらったの」

「……」

 口下手な姫乃はすぐに言葉を返せない。それでもその店員はニコニコと気持ちの良い愛想で姫乃に接客をしていた。……それはもう子どもを相手にしているように。


 大学からそのままお出かけしている姫乃の服装はゴスロリではない。

 大きめの黄色いパーカーに短パン。そこから黒タイツと姫乃の容姿からは童顔が目立つ服装でもある。


「あなたは……店員さん?」

「うんっ! ちょっとお買い物に行ってて……。あっ、わたしの名前は花音かのんって言うの」

「お花のはなと……音楽のおん?」

「そうそうっ! お勉強頑張ってて偉いね」

「ん、姫乃頑張ってる」


 姫乃の見た目から完全に年齢を誤解している花音だからこそ、接客の口調を崩して警戒心を抱かせないよう工夫している。

 そして、誤解しているからこその『偉い』でもあるが、姫乃はそのことについて疑うことなく褒められたことで嬉しい思いをしている。


 少々失礼ではあるが、すれ違い通信が発生しているのである。


「よしっ! それじゃあわたしが姫乃ちゃんにパンケーキを食べさせてあげる!」

「……ん? あーん?」

「あっ、ごめんごめん……。わたしがお金出すよ〜ってこと」

 当然、この『奢ってあげる』は誰にでもするわけじゃない。

 わざわざ一人でこのお店に来てくれた子ども。と、勘違いしているからこそ。


「お金あるから、大丈夫。ありがとう……」

「遠慮しなくても良いんだよ? 今日はもう他に行くところはないのかな?」

「ううん、ノートとかお菓子買いに行くの」

「あっ、そうなんだ!」


 もしここで消耗品や食材の名前が出ていたのなら、花音は年齢の認識を改めていたのかもしれない。

 が、今日姫乃が買うものは特にお菓子というワードが子どもであるとさらに印象付けてしまう。


「じゃあ今日のパンケーキはわたしが出すから、その分お菓子とかいっぱい買おっか!」

「っ!?」

 姫乃の反応があからさまに変わる。『本当にいいの?』と、上目遣いで花音を見る。


「うんっ! その代わり、パンケーキが美味しかったらまたお店に来てくれると嬉しいな」

「お姉さん……優しい……」

「そ、そう言われると照れるなぁ……」

 褒め言葉はお世辞でも嬉しいものだ。

 照れくさそうにはにかむ花音は、『じゃあ入ろっか!』と笑顔で声かけ姫乃を案内する。


 龍馬と関わりがある者同士が、こちらでも偶然の出会いを果たしていた……。




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