第95話 葉月との恋人代行⑬

 龍馬の目的地に近づけば近づくだけ葉月の口数は減っていた。聞こえてくるのは車内のスピーカーから流れてくる洋楽とエンジン音。


 望んでいるものを叶えてくれる、幸せな時間を届けてくれる相手との別れ。寂しく、悲しく感じてしまうもの無理はないこと。

 姫乃とは違い、葉月はその感情がよく現れていた。

 疲労を隠すことに長けている葉月だが、こういった類いのものはどうしても偽ることができないのである。


「……斯波くんはまた私の代行をしてくれるかしら?」

 もし断られたら、なんて不安があるのだろう。浮かない横顔を見せていた。


「何を言ってるんですか。今日は本当に楽しかったんですよ? 断るわけないじゃないですか。むしろ自分からまたお願いします」

「そう言ってくれると嬉しいわね……」


 クスッと小さな笑みを見せてくれるも、まだ曇った顔が残っている。

 龍馬に残された仕事は、葉月の悲しいと言う今の気持ちを取り除くこと。それがリピーターという綱をより強化することにも繋がる。もう一つ言えば、葉月には元気な顔を見せてほしい龍馬なのだ。


「葉月さん、は嘘を言ってませんからね」

「……ん」

 肩を楽にさせる龍馬はここで『俺』に、普段通りの言い名に変えた。

 悪い印象に映ってしまうことを承知だった。龍馬の狙いは偽らないことで発言に力を持たせようとしたのだ。


「……斯波くん、自分って言うよりも俺って言う方が似合っているわよ」

「そ、そうですか?」

「ふふっ。でも私の前ではずっと自分って言い続けていたからでしょう? 生意気が目立つわね」

「ほ、本当ですか……」

 確かにいきなり『自分』という丁寧な言葉から『俺』に変えたらそう感じる部分もあるだろう。


「生意気さとは離れるけれど、違和感を与えるとしたら私がうち、、って言うようなものね」

「うち?」

「女性が使っているでしょう? 『うちは犬が好き』とかの自称」

「あぁ! ありますあります」

「うちがこうして変えるとヘンに聞こえるでしょう?」


 やられたことを返すように、『私』を『うち』に変える葉月。

 正直、違和感というよりもそれはそれでアリという感想の方が大きかった龍馬は素直に伝えていた。


「その自称を使う葉月さんも可愛いと思いますよ、俺は」

「それって私よりもうちの方が子どもっぽく聞こえるからじゃないかしら……。うちって使う私のお友達がいるのだけれど、少し感じるもの」

「ははっ、私と比べたらそうかもですね」

「うちという自称は可愛いけれどね」

「分かります」


 葉月のクールな口調と、うちと言う可愛さが相交わり、龍馬にとってはアリと言うコントラストが生まれていたわけである。

 こう一つの組み合わせが生まれたのなら、もう少し冒険したくなるのが男のサガである。


「葉月さん、一つだけお願いしても良いですか?」

「何かしら」

「自称のことなんですけど、一回だけアーシにしてほしいです」

「あ、あーし? 別に良いけれど……」

 そう、これはJKギャルの愛羅が使う自称である。


「……あーしは満足出来たわ」

「……」

 龍馬の冒険は大失敗だった。こんなに似合わないことがあるのかと、絶句に近い思いをする。話の内容が全く入ってこないほど。


「斯波くん、あーしに言わせるだけ言わせておいてその反応は無いんじゃないかしら」

「ご、ごめんなさい……」

 真面目な葉月だからこそ、今もなおその自称を使い続けている。笑いを堪えるので精一杯である。


「葉月さん。もう私に戻して良いですよ」

「……言わせてもらうけれど、似合っていないことにはすぐ気付いたわよ」

「で、ですよね……」

 龍馬が笑いを堪えるレベルでおかしいのだ。実際に使った葉月が一番分かっているだろう。


「さっきの仕返しに、斯波くんにもいろいろな自称を使わせたいところだけれど俺で手を打って置くわ。俺って使う斯波くんが私は一番好きだからと思うから」

「っっ、そ、そう言ってくれると嬉しいです……」

「あら、どうして照れてるのかしら? 好きって言葉に反応したの?」


 葉月のしたり顔を何度見たことだろう。見惚れそうなくらいに似合っているだけにさらに悔しくなる。


「う、うるさいです……。今のは絶対葉月さん狙ったと思いますし……。男の純情を弄ぶのは良くないんですから」

「斯波くんにMっ気があるのが悪いと思うわよ?」

「その理論はやられる方が悪いと言ってるようなものですよ……」

「ふふっ、分かりやすい例えをありがとう」


 そうして満足げに微笑んだ葉月はブレーキをかけ、車を停止させた後にハザードランプを付けた。

 時刻は23時59分。代行時間終了間近、あおのそら保育園の一本道に到着したのである。


「——着いてしまったわね」

「やっと着いたとか言われていたら心が折れてましたよ」

「本心を言わなければ失礼にあたるでしょうから」

「本当助かります」


 龍馬は頭を下げ、そして申し訳なさそうに報酬の件を口に出す。代行者にとって一番口にしたくないことだが、お金をもらうためには仕方のないこと。


「……では、すみません。本日のお代をいただきます。20時から22時で6000円。深夜割増で22時から24時が8000円。計1万4000円になります」

 代行の時給は3000円。夜22時以降はさらに1000円が追加された金額になる。


「斯波くん、申し訳ないけれど小銭を含めた金額でも構わないかしら……?」

「はい、お代が合えば構いません」

「じゃあ先に小銭から失礼するわね」

 葉月は足元に置いたバッグから財布を手に取り、一つ一つ取り出していく。


「じゃあ先にこれを」

「……え? は、葉月さん?」

 龍馬の手の内にあるのは100円玉が3枚。10円玉が2枚。1円玉が2枚。322円。

 お代を合わせようとしていないのは明白だった。


「次にお札ね」

「は、はぁ……」

 1万円と1000円札を分けて入れている葉月。財布から素早くお札を一枚一枚取り出す。その回数は……6回。


「え……」

「今日はありがとう、斯波くん」

 お札を手で揃えた葉月は、小銭の上から6枚のお札を——1万円3枚、1000円札3枚を重ねて置いた。


「え、あ、あの……」

 報酬金額の2倍以上もの金額。それだけでなく、33322円という中途半端すぎる値段に驚きと困惑が混じりに混じる。


「ほら、お金を受け取ったのだから早くご自宅に帰りなさい。もう夜も遅いのだからお姉さんが心配しててもおかしくないわよ」

「あっ、は、はい……」

「私は今から車内ここで電話をかけないとだから、お見送りはしなくて大丈夫よ」

「わかりました。では、今日は本当にありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ」

 最後の挨拶が済んだ龍馬は、GT-Rのドアを開け外に出る。

 肌を刺す冷たい空気がじんわりと襲ってくる。


「——あっ、最後に斯波くん」

「は、はい? なんですか?」


 ドアを閉めようとした矢先、葉月は人差し指で頰を掻きながら言う。


「斯波くんって謎解きは得意かしら」

「謎解き……? んー、どうですかね。どちらかと言うと苦手だと思います」

「ふふっ、分かったわ。それじゃあお疲れ様。今日は本当にありがとう」

「いえ、こちらこそお疲れ様です。またよろしくお願いします」


 龍馬は優しくドアを閉め、停車しているGT-Rの前を数十歩先を行って振り返った。

 ヘッドライトをまぶしそうにしながらもう一度頭を下げたのだ。


「本当、斯波くんは律儀なんだから……」

 それを見た葉月はすぐにライトを落とし、車内がよく見えるようにルームライトに切り替える。


「またね、斯波くん……」

 その声は届くことはないがその代わりに手を振って返し、龍馬は手を振り返した後に自宅に向かって歩いていく。

 龍馬の道を照らすように再びヘッドライトをつけた葉月は、バッグからスマホを取り出し電源をオンにする。


 そして、手慣れた動作でロックを解除させた葉月が不意に顔を上げた瞬間——葉月は見てしまう。


 龍馬が帰った自宅。それが同じ職場で働くカヤを送ったこともある場所であったことに……。

 嫌な予感が当たっていた。途端、葉月は手を震わせスマホを足元に落とす……。こんな偶然が起こるなんて思いもしなかった。


頭が真っ白になる中——33322円。この金額を渡したことを葉月は一番に悔いていた。












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