第87話 葉月との恋人代行⑤

 時刻は21時40分。

『カーン! キーン!』

 そんな音が響く場所。もっと気晴らしをしましょうと葉月の提案で海から24時間営業のバッティングセンターに寄った二人。


 独特な雰囲気を感じるのも久しぶりだった。


「ふふっ、どう斯波くん。私なかなかやるでしょう?」

 2プレイ、40球を打ち終えた葉月。ヘルメットを取りながらちょっと自慢げで嬉しそうだ。

 

 ホームランに近い打球は出ていないが、ヒットになってもおかしくないライナー性の打球を40球中30球は飛ばしたであろう葉月。

 それも右打ちの90キロ。男と一緒にバッティングをしていても十分に釣り合う腕前だ。


 龍馬は葉月より先にプレイし、ライナー性の当たりは20球ほど。葉月には負けるが、数年ぶりにしては出来の良い方でもあった。


「葉月さんって野球経験あるんですか?」

「いいえ、見よう見まねでやっているけれど……変かしら?」

「あ、そうじゃなくってとても様になってたので」

「それは良かったわ。一ヶ月に一回はバッティングセンターに通っているからそのお陰かもしれないわね」

「一人で……ですか?」

「そ、そうだけれど……。どうしたのその意外そうな顔は」


 女性一人でバッティングセンターへ。それは龍馬にとってあまり聞く話ではなかった。そして、ベテランキラーの女王とも謳われている葉月からして、どうしても——

「葉月さんのことだから他の男性と一緒にしているのかなと思いまして」

「もー、斯波くんは私をいろいろと勘違いしているわよね。私って男友達はいないようなものよ?」

「えっ!? それは嘘でしょう?」

「どうして嘘だって思うのよ……。プライベートで男性と会ったりするけれど、仕事上の話をするだけだし、遊ぶ場合はこのサービスを利用しているから連絡先を交換する必要はないのよ」


『男友達はいない』と、葉月を狙う者がこの会話を聞いたのなら超がつくほど積極的になるだろう。


 本人は気付いていないのだ。自身が仕事のスイッチを入れすぎているせいで、その雰囲気を出しすぎているせいで、仕事上の話をする男性から『連絡先交換』の言葉をなかなか入れられないのだと。

 もし成功したとしても仕事用のスマホに連絡先を入れられることを。


 真面目な性格が故に、それが自己防衛として働いているのだ。


「えっと、他の男性からは連絡先交換しましょうとか言われません?」

「よ、よく分かったわね? バッティングセンターとか、斯波くん以外の代行者さんでは言われるけれど……なんででしょうね。私と交換しても特に意味はないと思うのだけれど」

「えっと、あれですよ。後日、二人でおでかけしましょうってことですよ」

「そ、そうなの?」

「はい」


 どうしてナンパに近いことをされていると察していないのか。鋭い葉月がどうしてソコに気付けないのか、不思議である。


「ふふっ、私とお出かけしてもあまり楽しいことはないでしょうにね」

「そうですかね。自分は楽しいですよ、葉月さん」

「……っ」

「葉月さん。本当に楽しいですよ」

「に、二回も言わなくて良いわよっ……。もぅ、どうしてそんな言葉を平然と言えるのよ……」


 葉月のことについて少しずつ理解してきた龍馬。

 嬉しいことがあると、特に嬉しいことについてこうして責められると普段はあまり見せない照れ顔を見せてくれる。

 代行をしている龍馬にとってそのツボをいかに刺激するかが大事である。……が、葉月を刺激すればするだけドキドキしてしまう。残念なことに自滅に近い行為でもあった。


「本心だから言うんです。海であんな話もしましたし、自分だけ隠すようなことをするのはフェアじゃないので」

「……なんだか、斯波くんが私の調子を狂わせようとしているようでモヤモヤするわ」

「ははっ、どうでしょうね」

 モヤモヤさせるつもりはないが、調子を狂わせようとしている点については掠ってはいる。


「……そのムカつく得意顔は絶対に剥がしてあげるわ。次のバッティング勝負しましょう? 勝った方は負けた方に罰ゲームよ」

「ほぅ……。大丈夫ですか? そんなこと言って」

「負ける気がしないわね。さっきの40球は私の方が打っていたもの」

「自分の体が鈍っていただけなので次はそうはいかないですよ」

「あら、言うじゃない。これで負けた時は恥ずかしいわね」

「葉月さんこそ」


 唐突に始まる意地の張り合い。お互いにもっと楽しめるように、なんて雰囲気を作っているからこそ。ピリついた空気は何もない。


「それで罰ゲームの内容は……?」

「スリルを味わえるように勝ってからに決めましょうか。……だ、男性のことだから、そ、そう言う風なお願いはダメって前置きしておくけれど……」

「そう言う風……ですか?」


 龍馬はセクハラをしたいわけではない。ただ理解できなかっただけである。


「ほ、本当に男性ってエッチよね……。女性にそんなこと言わせて楽しむだなんて……」

「あっ」

 その言葉と、葉月が顔をほんのりと赤に染めたことで龍馬は素の表情で声を漏らす。


「……な、なんでもないわ。今のは忘れてちょうだい斯波くん……」

 葉月は知る。龍馬が『エッチ』と言わせたかったわけではなかったことに。


「えっと葉月さん……。俺ってそんなに常識ないですか? 流石にそんな罰ゲームは要求しないですって……、立場はちゃんと弁えてますから」

「ご、ごめんなさい……。罰ゲームって言うと、男性はそんなコトを条件にするって聞いていたから」

「た、確かに間違ってはないかもですけど……」


 罰ゲームでそんな要求をするのは女性に慣れた陽キャラだけだとは思うが、そんなイメージがあるのはどうしても拭えないこと。


「……エッチってなにが楽しいのかしらね。みんなしておさかんなんだから」

「体験したことがないのでわからないですね」

「私もよ」

 

 流しそうめんのような速度での言い返し。


「……」

「……」

「え?」

「えっ?」

 

 時間差の疑問符。

 バッティングセンターでなんて会話をしてるんだと思うだろう。活気だっていたからこその、気分が上昇していたからこその口の滑らせであり自爆。


 そんな二人、気まずさに耐えられずに顔を逸らした。


「…………」

「…………」

 初めてお互いが知る。そんなコトが未経験であると……。両者は勝手に思っていた。経験済みであると……。

 

「さ、さーて。バッティングしましょーか! 葉月さんには負けられないなー!」

「そ、そうね。私も負けてられないわ」


 下手な芝居よりもずっと下手くそな棒読みだった。


「……」

「……」

「どっちから……行きます?」

 ここは代行者が引っ張らなければ……と先に口を開く龍馬。


「……先に行っていいわよ。ど、どーて君」

「ん゛!? なんですって!?」

「ふふっ、とりあえず精神攻撃をしておくわ。これで打率も下がることでしょうね」

 年上らしくないズルい攻撃。ただ、この行動は罰ゲームに負けたくなかったからでもある。


「い、いいですよどんどんしてください。……その分、倍にしてお返ししますから」

「あら、初心うぶな斯波くんにそんなことが出来るのかしらね」

「……と、とりあえずはいっぱい打ってその余裕を振り払ってあげますよ」

「頑張ってねどーて君、ふふっ」

「くっ……頑張ります……」


 そうして始まった罰ゲーム有りのバッティング勝負。

 この勝者は——。



 


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