第86話 葉月との恋人代行④
「斯波くんの手って落ち着くわね……。とても安心できるわ」
「そ、そうですか? そんなこと初めて言われましたよ」
「本当? 私がおかしいのかしら……」
「多分ですけど、自分が手を繋ぐ経験をあまりしてないからだと思います」
「ふふっ、あまりしてないなんて嘘でしょう? 経験の少ない人がこうも堂々と出来るはずないじゃない」
葉月は空いている片手を口元に当てて面白おかしそうに笑う。
それが出来ちゃってるんです。なんては言えない雰囲気。
龍馬の場合、手を繋いだ相手のレベルが高いと言う理由があるのだろう。
最近で言えば、漫画家で保護欲の湧くちっちゃい姫乃。女子高生ギャルでなにかと世話が焼ける愛羅。
タイプは違えどレベルは相当のもの。
葉月と対等にできるのはそんな人物との巡り合わせがあるからこそである。
「……私、冷え性だから手が冷たいでしょう? さっきは温めてなんて言ったけれど、寒くなったりしたら遠慮なく言ってくれて良いから」
「冷たくないと言ったら嘘になりますけど、大丈夫です。自分が葉月さんの手を温めたら良い話ですので」
「ふふっ、言うようになったわね本当」
「葉月さんのおかげですよ」
「……そう言われるとなんだか妬いちゃうわね。私が育てた斯波くんが他の女性を喜ばせることにも使われているのだから……ね?」
木製のベンチに腰を下ろす二人。隣に座る龍馬に葉月は意味深な冗談を含ませた顔で視線を向けてくる。
「育てた……ですか」
「そうでしょう?」
「それならもっと育つ予定なので、ついでに養育費を頂かないとですね」
「っ、ついでにじゃないでしょう。ちょっとその返しは予想外過ぎよ……」
この流れで『養育費』を巻き込めるのは龍馬だけだろう。細い眉を上げて葉月は驚いている。
「冗談返しと言うところです。でもすみません。お金を稼がないとやってやれませんから。これは葉月さんもそうでしょうけど」
「……その年でこのお仕事をするなんて珍しいわよね。もしかして斯波くんは一人で大学の学費を納めようとしているの?」
奨学金などもあるが、現在進行形で大学生の7割がバイトをしなければ大学に通えない、生活することができない現状。
大学の学費は高い。龍馬くらいに必死になってお金を稼いでいる学生も多いことだろう。
「はい、そうです。家族……今はもう姉しかいないんですけど、一人しかいないからこそ苦労をかけさせたくなくて」
「立派な心がけね。お姉さんは社会人をしているのかしら?」
「そうです。生活のために一生懸命働いてくれてます」
「これは予想になるけれど、斯波くんのお姉さんはとても優秀なんでしょうね。斯波くんと同じで気配りとかしっかり出来る方だと思うわ」
「自分のことはアレですけど、間違ってないですね。あとは鋭すぎて正直堪らないです。実はこのバイト、姉には秘密にしていまして」
「あら、それは困るわね。鋭い方はとても厄介だから気づいて欲しいところも気づいて欲しく無いところもバレちゃうのよね」
「そうなんですよ。『今日はどこ行ってたの?』なんて一番聞かれたくないこと聞かれるんで本当参っちゃいますよ」
葉月も鋭い人物に心当たりがある。同意することが多岐にあり、この話題は予想以上に盛り上がった。
ただ、二人が思い描いている人物は同じである……。
「そんなハラハラもありますけど、自分が安心できてることが一つあるんです」
「安心?」
「姉の話の続きになるんですけど立派な上司の元で働けているらしくて、いろいろとサポートをしてくれるって言ってるんです。だから、仕事は大変だとは思いますけど人間関係って言うか、会社形態っていうか、そんなところでの安心です。ちょっと話が変わっちゃいましたが」
「働く現場一つで体調も大きく変わってくるものね。安心するのは当然のことだと思うわ」
「はい。上の立場にいる人がそんなサポートをしてくれるのは本当に助かると思うんです」
葉月は知る由もない。この話が、葉月の悩みに触れる導入部であることなど。
「だから——下で働いている方も葉月さんにちゃんと感謝してると思いますよ」
「っ!?」
龍馬は繋がれた手にギュッと力を入れて葉月を横目で見る。そんな葉月はいきなりの展開に動揺を露わにしている。
「葉月さんとこうして関わってるのでわかります。葉月さんは姉の言うような、サポートをしてくれる方だって」
「……若いわね、斯波くんは。お仕事で見せる私と、プライベートで見せる私が一緒だと思う?」
だが、葉月はすぐに何事もないように取り繕った。疲れを見せないようにする時と同じ要領で。
「葉月さんの場合は一緒ですよ。化粧をして誤魔化してますけど、うっすらとクマができてますし」
「っ!」
「ここ最近寝てない証ですから、クマって」
「き、今日は午前中にたくさん寝たわよ」
「今日
どうにか言い逃れをしようとしている葉月だが、明らかな証拠がある時点で無理は話である。弱くなったところを見られたくないのは誰だって一緒だ。
「睡眠時間を削って葉月さんは他の方のサポート、もしくは代わりをしていたんじゃないですか?」
「ど、どうしてそうなるのよ……。私が夜遊びをしていたかもしれないでしょう?」
「葉月さんは一度目の代行時にこう言ってました。『相手を傷つけることが一番嫌い。辛くなった時にこのサービスを利用して気を紛らわせている』って。夜遊びをしていたら自分が呼ばれることもないですよ。お金も発生するわけですから」
「……」
「もし自分が思ってる葉月さんの悩みが違ってたら物凄く恥ずかしいんですけど、言わせてもらいます」
そんな前置きをする龍馬だが、恋人代行会社からのメールを含めて判断材料は揃っている。間違っているはずなどない。
「葉月さんの性格を考えると理不尽に怒ることはないと思います。相手が悪く、叱り、それで傷ついてしまう。このサイクルしか考えられないです。正直、こんな状況なら仕事を辞める以外に回避する方法はありません」
「……そうね」
葉月は目を閉じながら言葉を返した。
「相手がどんなミスをしたかにもよるので深いことは言えませんが、そんな自分でも一つだけ言えることがあります。生意気言いますけど」
「ええ、最後まで聞かせてちょうだい……」
「葉月さんが辛い時はいつでも頼ってください。自分ばかり責めないでください。もし責める時は自分が隣にいる時に、それまでは考えないようにしてくだい。……自分は葉月さんの理解者ですから」
龍馬は愛羅が過去に言ったセリフを引用していた。
『理解者がいてくれるとホント楽!』との『理解者』を。
葉月に伝えたいこと。それは弱い部分をもっと見せるように……とのこと。
『自分の前では気負わなくていい。我慢しなくていい』
龍馬は直接言うのではなく、表情と言葉選びでそう含ませた。
勘の良い葉月はその思いを簡単に汲み取る。
「頭が回るのね……。私の悩みを解決しようと頑張ってくれているって思えば営業をかけてくるんだもの」
「葉月さんとの依頼にあったことは誰にも言わないので、頼ってください。本当にいつでも」
気を利かせたその一言。『誰にも言わない』これが葉月を動かすことになる……。
「……私、少し寒くなってきたわ」
「自分の服、羽織りますか?」
「ううん、そうじゃないの。そうじゃなくて……少し失礼するわね」
「え……」
繋いでいた右手を自ら離した葉月は、逆の左手で龍馬の手の甲を握ってきた。繋ぎ方を変えたと思えば、お互いの腕が当たるくらいの近距離で詰め寄ったのだ。
「ど、どうしたんですかいきなり……」
「斯波くん、これはルール違反じゃない。暖を取るために仕方のない行動なの。……理解者なら、分かってくれるわよね」
葉月は龍馬の左腕を、右腕に絡ませ体を預けてきた。そしてBarでもしてきたように、龍馬の肩付近に頭を置いて。
「……これで斯波くんも暖かくなるわね」
「そ、そう……ですね」
「ん。これからは、少しばかり頼らせてもらうわ……。その時は……また」
「は、はい……」
「ありがとう、斯波くん……」
手繰り寄せた龍馬の腕に顔を埋めながら、照れを隠すように葉月は言う……。
海風に当てられ、こんな寒い中でも……龍馬と葉月の体温は上がり続けていた……。
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