第85話 葉月との恋人代行③

『ザァーザァー』

 そんな波打ち音を聞きながら龍馬と葉月は落下防止の柵が整備された堤防に着き、月に照らされた一面の海を見つめていた。


「お願いですから海に落ちないでくださいね、葉月さん。自分泳げないので助けられませんから」

「助ける以前にここから落ちた場合、生存確率はゼロでしょうね。冬の海だから低温ショックにかかって5分ほどしか保たないらしいわ」

「そ、そんな具体的なこと言わないでくださいよ……。怖くなるじゃないですか」

「ふふっ、でも海に来たらもしもの話をしちゃうわよね」

 海風に吹かれながら明るい茶髪を形の良い耳にかける葉月。


「……っ」

 男は単純だ。そんな葉月の何気ない仕草に胸が高鳴る。が、そんな気持ちをいつまでも引きずるわけにはいかない。龍馬には葉月の心のケアをする仕事が残っている。


 ベテランキラーの女王、葉月に呑まれることだけは避けたい。親身になって悩みを聞いてくれた葉月のためにも、引っ張って行きたいという気持ちを龍馬は持っていた。


「そんな恐ろしい海ではあるけれど、比例するように綺麗よね」

「……綺麗さなら葉月さんも負けていませんよ」

「あら、早速仕掛けてきたわね? でもそのくらいじゃ私は靡かないわよ」

 葉月は流し目を送りながら得々と言う。実際、本当に靡いてなんかいなかった。


「少しくらいは崩したいところではあったんですけど……そう簡単には行きませんよね」

「『負けていません』にプラスαを付けていたら、靡いていたかもしれないわね」

「プラスα……ですか?」

「ええ。もし良かったら私が実践してみましょうか?」


 首を大きく傾げた龍馬を見て葉月はこんな有難い提案をしてくれる。


「そうですね、是非お願いします」

「男性を綺麗だと例えるには難しいから……私と斯波くんがカップルだとして例を挙げさせてもらっても良い?」

「はい、構いません」


 唐突に始まる葉月アドバイス。龍馬の顔にはふざけの『ふ』の文字はない。それはもう真面目な表情だ。ベテランキラーの女王と謳われる葉月の講義を逃すなんて当たり馬券をゴミ箱に捨てるようなものだ。


「私と斯波くんは遊園地デートをしているの」

「いい設定ですね」

「そうでしょう? って、斯波くん話の腰を折ろうとしていないかしら……」

「す、すみません。そんなつもりはなかったです。続けてください」

「そ、それじゃあ続けるけれど……その遊園地、周りにたくさん格好の良い男性がいる中、私は斯波くんにこっそりこう言うの」


 そして、一拍を置いて葉月は言う。


『斯波くんは負けていないわね、私の自慢の彼氏よ、、、、、、、、』って」

 葉月はプラスα、、、、を付けて龍馬を褒めた。実際にあった際にはそうするように優しく瞳を細めながら。


「ね、これだけでも随分と聞こえが違うでしょう?」

「……」

 その問いに、龍馬は反応することができない。


「……」

「…………」

「…………な、なにか反応してくれないと私が恥ずかしいじゃない……。もぅ、今のは忘れてちょうだい」

「す、すみません……」

 例が様になりすぎていた。龍馬はその架空の世界に入り込んでしまっていた。心拍を早めていた。


「し、斯波くんって時折意地悪になるわよね……。以前、私がおばけの真似した時もそんな感じのリアクションだったもの……。そんなあしらい方は良くないわ」

「ふぅ……。違いますよ。羨ましさが前に出たんです」

「う、羨ましいってどう言うことかしら……?」

 葉月に当てられ、気持ちが落ち着かない今。龍馬は受け身に回ることをしなかった。


「葉月さんのような美しい方にそう持ち上げられるんですよ? 喜ばない男はいませんから」

 龍馬は博打をするように攻めたのだ。記憶が鮮明なうちに即行動に移した。プラスαで褒めることを。


「……な、なによいきなり……」

「これがプラスαと言うものですよね?」

「ちょっと、いきなり私を実験台にしないの……。少しドキっとしたじゃない……」

「実験台なんかじゃないですよ。自分の本音です」

「えっ……」

「本音ですよ。……因みに二回目です」

「も、もぅ……。知らないわよ。二回目だなんて……」


 葉月は柵の上に肘を当てて、あからさまに顔を逸らした。夜とはいえこの堤防には外灯もある。顔が見えないと言うことはない。


「少し効きましたね?」

「き、効いたわよ……。タ、タイミングがズルいのよ全く……」

「なんかすみません」

「別に謝ることではないけれど……あ、暑いわね、ここ……」

「はい。そうかもしれませんね」


 葉月は両手をパタパタさせて顔に風を送っていた。

 現在の気温は5度を下回っている。暑いはずなどない。ただ、龍馬の褒め言葉に刺激され体温が上昇しているだけ。


「……そ、その斯波くんの余裕そうな顔、今すぐにでも引っがしたいわ」

「言いますね。してみますか? そう簡単には剥がれるつもりはありませんけど」

「あら、私に挑戦状を叩きつけるなんて良い度胸しているじゃない」

「自分の方が有利ですからね。有効に使っていこうと思います」


 冷静な龍馬と効いたと公言した葉月。心の余裕があるのは考えずして龍馬の方だ。

 今なら何を言われても流せるなんて慢心していたのが龍馬の間違いだった。


「確かにそうだけれど、斯波くんは物理攻撃、、、、と言うものを知らないのかしら。煽られたからには強引にでも形成逆転させるものよ」

「ぶ、物理……?」

「こう言うこと」

「——え゛」


 次の瞬間、葉月は迷いのない俊敏な動きを見せた。

 げっぷをしたような声を漏らす龍馬は目をパチクリさせ、驚いた顔で葉月を見つめる。


「ふふっ、もう分かったでしょう?」

「そ、それはちがいまずっで……」

 龍馬は葉月の細い指先で頰をつままれていた。頰を伸ばされていた。


「少し野蛮だけれど、これを思いっきり引っ張れば、引っがせるとは思わないかしら?」

「ぢょ、ダメでず!」


 力を加えられているために口の形が変になり、発音もおかしくなる。

 それでいてこの低気温で海風も当たっている状態。龍馬の顔は普段以上に冷えている。少し引っ張られるだけでも痛いのだ。


「んっ!」

「っ……!?」

 龍馬は自己防衛が働かせる。葉月の摘んだ指先を両手で包み込む。痛覚を刺激されないようにぎゅっと力を込めたのだ。

 この時はまだ何をしたのか、正確には気づいていない。


「……」

「……」

「し、斯波くん……。こ、これは……」

「……あ」


 先に状況に気付いたのは葉月である。 

 龍馬は葉月の両指先を支配し、その指を自ら頰に押し付ける。そんな構図を作ったのだ。

 

 冷えた指先、すべすべした感触が龍馬に伝わってくる。


「す、すみません……っ!」

 今行ったことを完全に理解する。

 バッと手を離し、葉月と距離を取ったが気まずい雰囲気はすぐに生まれることになる。


「だ、大胆ね……斯波くんってば……」

「い、いやっ、違います! 葉月さんがしてきたから! あの、ルール違反ですよ!?」

「……いいえ、私を煽ってきた時点で斯波くんにも非はあるわ。煽らなければ起こらなかった話でもあるもの」

「そ、それを言われたら……す、すみません……」

「素直で助かるわ。それならお互い様と言うことで仲直りしましょうか?」


 葉月は先ほどの手を龍馬に差し出した。仲直りの握手サインである。


「そ、そうですね。そうしていただけると助かります」

 龍馬がひんやりとした葉月の手を握ったその途端——『ぎゅっ』とされた。


「それじゃあ、このままベンチに座りましょうか」

「えっ、ちょ!?」

 もう握手なんかではなく、完全な手繋ぎ状態に変わる。


「斯波くんの手、温かかったから一緒に温めてもらおうと思って。それにこれならルール違反じゃないわよね?」

「そ、そうです、ね……」

「し、斯波くんも早く手に力を入れてちょうだい……。手がほどけてしまうわ……」


 葉月だってこれは勇気を出した行動。

 両者ぎこちなくなるも、葉月は無意識に優位に立っていた。上目遣いで追い打ちをかけていたのだ……。

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