第84話 葉月との恋人代行②

 海に向かっているGT-R車内。

 龍馬は自動販売機で買った緑茶を飲みながら葉月とのんびり話していた——が、それもここまでだった。


「斯波くん。ずっと思っていたことがあるのだけれど、言っても良いかしら」

 突然、葉月は雰囲気を変えてきたのだ。それも真剣な空気に。


「ずっと……ですか? なんでしょう」

「今こんなことを言うのは少しおかしいけれど、斯波くんなにか悩みを持ち続けているでしょう?」

「え?」

 葉月に言われたことをすぐに理解できなかった龍馬。ほんの少しのラグを発生させて龍馬は否定する。……真実を隠して。


「斯波くん少し元気が無いもの」

「そ、そんなことないですよ? 普段通りだと思いますけど……」

「これでも私、仕事仲間の相談役もしているから感覚で分かるのよ。特に二人っきりになった時には。斯波くんが表面を偽っているのは間違ってはいないと思うわ」

「……」

 運転中の葉月はフロントガラスに視線を向けたまま自信ありげに問いかけてくる。二度見してしまうくらいに長けすぎた、、、察知能力だった。


「心配しなくても大丈夫よ。代行会社に言ったりなんかはしないわ。今は友達のように話しましょう」

「はぁ……。やっぱり葉月さんには敵いませんね。その通りです」

 感嘆な息を漏らす龍馬は、諦めたように本音を言う。


「ふふっ、やっぱり」

「でも、葉月さんも葉月さんでそうですよね。自分と同じで表面を偽っていると思います」

 それでいて、龍馬も龍馬で自信を持って言える。なにしろ恋人代行会社からの情報を持っているのだから。


『今回、依頼者様を心のケアを重視していただきたく存じます。身勝手なお願いではありますが、よろしくお願いいたします』

 その心のケア、、、、とは、悩みや不安、ストレスを持っている者に対して使う言葉。それ以外にはない。


「……そ、そんなことないわよ」

「自分の目を見て答えられますか?」

「あら、悪い子ね。事故を誘発しようとしているのかしら。私運転中よ?」

「あっ、すみません……。そのつもりはなかったです」


 そうして、少しの無言が車内を包む。

 スピーカーから流れる洋楽がなければGT-Rのエンジン音がこの場を支配していたことだろう。


「……斯波くんの言う通りよ。私も表面を偽っているわ。嫌なことがあったから今日は斯波くんに依頼したの」

 葉月はハンドルを右に切ったタイミングで言う。


「でも良く分かったわね。私これでも隠すのには自信があるのよ?」

「これでも代行者の端くれですから」


『本当は全然気づけませんでした』なんて事実は内緒。会社からのメール内容を葉月には伝えない方が良いと思ったから。


「ふふっ、言わせてもらうけれど端くれってレベルじゃないのは間違いないわね。私の隠し事に気づくのだから」

「ありがとうございます」

「じゃあお互いにさらけだしたことだし、私から一つ提案があるのだけれど……斯波くんの悩みを私に教えてくれないかしら。斯波くんも知っていることだとは思うけれど、悩みって人に話すと楽になるものよ」

「そ、そうですけど……自分は代行者ですよ? そんな葉月さんの手を煩わせるようなことはできませんよ」


 悩みを聞く。こうした一文だけを読めば簡単に思うかもしれないが実際にはそうではない。

 カウンセラーという職があるくらい、その資格があるくらいに、その講座があるくらいに遂行するのは難しい。

 一つ発言を間違えれば相手を不快にさせてしまう。神経を研ぎ澄ましながら線引きをしっかりとしなければならない。

 そんな大変なことを依頼してくれた葉月にしてもらうわけにはいかない。


「正直、やらせて欲しいのよ」

「ど、どうしてそこまで……」

「斯波くんには全力で私を慰めて欲しいから。今の状態だと少し厳しいものがあるでしょう? 私は等価交換をしようとしているわけじゃなくて、私のために言っているの」

「……」


 デキる大人だと無意識に思ってしまうモノの言い方。

 自分の発した一言が、どれほど空気を変え、相手の気持ちを動かすのかを正確に理解しているのだろう。


「……葉月さんは言い包めるのが上手ですよね。部下の方にそのような手を使っているのが目に見えますよ」

「ふふっ、その通り。で、話してくれるかしら。私がここまで言っているのだから話してくれないと困るわよ?」

「で、ですね。ここまで言われたらもう……。ここまで誘導された気がしてたまりませんが……」


 こんな状況で否定を続けるのは無粋だ。葉月の気遣いを全て無下にしてしまうのが一番失礼である。


「えっとですね……。まず何から話せば……」

「今日のことはお互いに秘密。だから隠し事を無しでお話しましょう?」

「ありがとうございます……。じゃあその……言いますね」


 龍馬の悩み。それは代行者として失格に近いもの。


 それでも包み隠さずに言った。

 お金欲しさに相手が喜んでもらえる行動を取っていること。そこには本心が全てあるわけではないこと。

 結果、騙してお金を稼いでいる今の現状が辛いということを。


 龍馬はバカではない。

 そんな悩みがあるなら、合わない仕事なら恋人代行をやめるべきだとは思っている。

 それでも、学費を稼ぐためには引けない理由がある。


「……ふふっ、斯波くんって怖いもの知らずね。普通は依頼者相手にこんな悩み言えないわよ?」

「すみません。隠し事は無し、でしたから」

「……斯波くんって面白いくらいに真面目で本当に偉いわね」

「そ、そうでしょうか……」

「ええ。でも、もう少し頭を柔くしてみるのも大事よ。そうすれば斯波くんの悩みは悩むべきものではなくなるわ」


 葉月は魔法のようなことを言う。運転を続けながら心に届くような優しい声音で、言葉を並べた。


「もし、斯波くんが依頼者さんに『全然満足することが出来なかった』なんて文句を言われたのなら私も同情しているけれど、そんなことはないのでしょう?」

 疑問形で聞いてくる葉月だが、反語のような意味合いを含ませてくる。


「むしろ依頼者さんが大満足して正規の金額よりも多くもらったりしているわよね? 依頼者の私がこう思うのだから間違ってはいないでしょう?」

「そ、それは……まぁ」


「全部が全部本心で、なんて人間には無理な話よ。だって相手を傷つかせないために吐くウソだってあるでしょう? 斯波くんの全部本心理論で、なおかつお金が付与する例をあげるのなら、『面倒臭い! サボりたい!』ってオフィスで大声をあげながら仕事に取り組むようなものよ。それはおかしいでしょう?」


 なにも間違ってはいない、わかりやすく挙げてくれた例を葉月はいつ考えたのだろうか。若きキャリアウーマンの能力が全開に溢れていた。


「ね? 斯波くんだけじゃない、立場は違えど皆同じよ。そんな気持ちを抱えて、我慢して、周りを騙しながら生きているの。大事なのはそこに人のためにって本心が一ミリでも含まれているのか。その一ミリが人のために頑張る原動力にも、相手を笑顔にする力にもなるの。その力をマイナスに捉えちゃ絶対にダメ。むしろ誇らしく思わなきゃ」

「……」


 葉月らしい視点で、龍馬を励ましてくれる。

 今まで悩んできたことがスッと胸に落ちた。ずっと悩んでいたことがバカバカしく思えた。


「ふふふっ、もう大丈夫ね」

 葉月は微笑んだ。それくらいに今の龍馬はすっきりとした表情になっていた。


「なんですかね。こんな完璧なことされたら……自分はどう全力で葉月さんを慰めればいいんでしょうか」

「優しくなら抱きしめてもくれても良いのよ? 夜の海は人気ひとけがないから」

「ルール違反ですってそれ……」


「今回の私は少し滅入っちゃってるから、慰める手段がなくなった時はそれだけしかないわよ?」

「ほ、本気で言ってるんですか!?」

「ふふっ、どうなんでしょうね」


 葉月は冗談を交えるようにして車を加速させる。そうして、今回の目的地である海に着くのであった。


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