第74話 龍馬と花音の話し合い

「待って、待ってよっ……」

「……」

 花音かのんの声に耳も傾けない龍馬。進める足の速度を早めていく。


(何考えてんだよ……ふざけんなよ)

 の面下げているのか。呑気に話かけてくるのさえ鬱陶しく感じる。


 トイレに行くなんてのはただの口実。龍馬は元カノという存在から遠ざかりたかっただけ。


「りょー君、りょー君っ」

「……」

 周りからの注目を浴びていても、何度名前を呼ばれても龍馬は振り向かない。

 顔も合わせたくない相手。幽霊に話しかけられてるかのように気付かないフリ。歩みを止めはしない。


「……待って、無視しないで……」

「……」

「りょー君ってっ——ひゃ」

 そんな高い声が聞こえた途端、ドンッと鈍い音が響き渡った。

 どんなに憎い相手でも、ここで足を止めてしまうのが愛羅の言う『お節介すぎ』ということなのだろうか。


「お、おい……盛大に転けたぞ」

「前から倒れたよな……」

「だ、大丈夫なのかあれ……」

「あの男の人が止まらなかったからでしょ」

「女の人かわいそう……」

「あの反応はないわ……」


 注目を浴びていなければ、佇む龍馬に生徒からのヒソヒソ声が聞こえることはなかっただろう。

 傍観者はこの二人の事情を何も知らないからこそ、立ち止まらなかった龍馬に批難の視線を刺す。


「…………クソ」

 両手に力を入れる龍馬は小声でそう漏らす。

 関わっても良いことなどないことはわかっている。だが、このまま立ち去る行動を龍馬は取ることができなかった。それは花音かのんのためではなく愛羅のため。


 クラスメイトに撮られた愛羅との写真。そしてこの現場。

『倒れた女を無視してあの男は最低だよ』なんて噂が広められることは容易に考えられる。


 そしてそれは愛羅に影響する。


『あんな男と関わってるとか愛羅って子見る目ないね』

 愛羅がこの高校に在学している以上、結局ここにたどり着いてしまうのだ。

 あの明るい愛羅の性格でも、今の立ち位置にいたとしてもこんなことが噂されたら学校に居づらくなる。プライベート以外でも心に傷を負うことになる。


 愛羅のことを思うのなら、迷惑をかけないためには手段は一つしか残されてはいなかった……。


 龍馬は体を半回転させ、一歩二歩と近づく。

「……そのドジ、いい加減直せよお前」 

 転けている花音かのんに抑揚もない声音で、怒気を必死に押し殺したような表情で話しかける。これが三年ぶりの会話。


「りょー君……ごめんなさい……」

 転けて痛いだろうに、花音の開口一番が謝罪である。


「……謝るくらいならあんなことすんなよ」

「ごめんなさい……」

「ってか早く立ってくれないか。目立つだろ」

「ほんとにごめんなさい……」

「もう謝んなって鬱陶しい」


 これは全て愛羅に迷惑をかけないため。龍馬は嫌々ながらも手を差し出した。


「ありがとう……」

「お前の礼なんかいらない」

「……うん」

 全ての言葉に毒がある龍馬だが、相手は元カノ。二股をかけた相手なのだ。

 普段通りに接せるはずがない。


いたた……」

 立ち上がらせてわかった。左右の真っ白な膝に擦り傷。血が滲み出ていることを。

 膝から下を出したタイトスカートだからこうなってしまう。


「はぁぁ……血出てるし。何やってんだよ」

 深いため息をついて龍馬は眉間にシワを寄せる。


「……ドジで、ごめんなさい……」

「もういいって。そこに階段あるから座ってろ。その距離くらいは歩けるだろ」

「うん……」

「なら早く行け」


 10メートルほど先にある体育館に登るための階段。龍馬はそこに花音を座るように指示を出して、一人自動販売機に向かう。


 龍馬は血を洗い流すための水を買いに行ったのだ。

 今、お金を気にする余裕なんて龍馬にあるがずがない……。



 ****



「これで手当しろ。自由に使って良いから」

 指示した場所にちょこんと大人しく座っていた花音。

 龍馬は持参していたハンカチと買って来た天然水を強引に渡す。傷を負ってるも両手は使える。龍馬がする義理などない。


「でもこれ、りょー君のハンカチだよ……?」

「お前拭くもんあるのかよ」

「お、お洋服……で」

「使え。ハンカチは捨てていい」

「洗って、返します……」

 花音は龍馬との距離感が掴めていなかった。3年後ということもあり、砕けた口調か、そうでないかは状況で変わっていた。


「は? 返す? よくそんな言葉が言えるよなお前。また俺と会う気なのか?」

「……っ」

「俺はもうお前と顔も合わせたくない。それくらい分かれよ。何したかわかってんのか?」

「あれは違うの。違う……。わたしは二股したわけじゃ——」


 イライラが募っていくように花音の言葉に龍馬は被せる。


「俺に連絡も入れずにマコトと出かけたのは事実だろ。違うか? それで言い訳がまかり通ると思ってんのか」

「……」

「マコトから送られてきたメールを見た時、俺がどんな気持ちだったかお前にはわからないよな」

「あれは違うのっ! 誠が勝手に……」

「『私を信じて』ってか? 最低限のことも守れないお前の何を信じればいいんだ? 付き合った時にした約束はどうしたよ」

「……それは、その、ごめんなさい……」


 龍馬と会話して花音はどれだけ謝ったのだろう。今の龍馬にはそれほどの威圧、怒りのオーラが漏れていた。

 付き合った当初、この二人は約束していたのだ。

 異性と出歩いたりする時には報告、連絡をすることを。

 細かいという意見もあるだろうが、付き合っている人同士で独自のルールを決めるのはおかしなことではない。


「……おい、手止まってる。早く拭けよ。血、脚に流れるぞ」

「う、うん……」


 龍馬の促しにキャップを開けた花音は水をハンカチに垂らして傷口を拭いていく。


「……ぅ」

 みるのだろう。痛みに耐える声を零す花音と距離を置いて、龍馬は同じ段に腰を下ろした。


「……」

「……」

 手当中の花音から話しかけてはこない。

 ——無言の間。喋る話題が見つかることもない。

 しばらくその気まずい時間が続き……3、4分経ったところで龍馬は口を開いた。


 冷えた気温。冷たい風で冷静さを取り戻したからでもある。


「……あ、あのさ。さっきはいろいろ言って悪かったよ……。感情的になりすぎた……」

「ううん、わたしが全部悪い……から」

「お前は手当しながら聞いてるだけで良いから」

「……ありがとう」


 別に気を遣ったつもりはない。ただ口を挟まれるのが嫌なだけであった。


「今だから言うけど……俺さ、あの頃は本当にお前に惚れてた。だからマコトからあのメールが送られてきた時……頭真っ白になって、パニックになって一方的にお前に別れを告げた。——でも、それは間違ってた」


 あの頃の龍馬はまだ子ども。心もまだ大人には成長しておらず恋愛に関しては特に未熟な年。

 あの時の行動が間違ってたと思い始めたのは多面的な考えができるようになった20歳なる頃だ。


「惚れてたんならマコトからメールを送られた後、何があったのか冷静になって花音に聞くべきだった。事実関係を確認するために聞かなきゃいけなかった……。現実から逃げに逃げた俺が悪かった」

「……」

 聞けと言われたからだろう。言葉を発することはなく、首を左右に振って否定する花音。


「俺に送られたメールが悪ふざけにしろ、悪ふざけじゃなかったにしろ、お前がマコトと二股してようがしてまいが、そこは俺に非がある。俺が別れる関係を作ったようなもんだ」

「や、やめてよりょー君……。りょー君はなにも悪くないよ……」


 ここでもう堪えるのは限界だった。花音は溜めに溜めた言葉を龍馬に伝える。


「確かにお前が連絡をくれてたらこじれることはなかった。だが、あの時に俺が冷静になれてたらこじれることもなかった。結局はどっちも悪かったんだ。俺はそれを認めたくなかっただけ……。お前に全部責任を押し付けてただけ。……本当にごめん。こんな不甲斐ない自分が許せなくて八つ当たりしちまった……」


 異性と出かける時には報告連絡をする。その約束を破った花音の方が非はあるだろう。しかし、龍馬にも多少なりの非はある。非がある時点でそこは認めなければいけなかったこと。


「……お前の性格を考えたら、そんなことする可能性は低いはずなのにな」

 これも、大人になって時間が経ったからこその思考。龍馬の言葉の端々に申し訳なさを感じさせていた。


「りょー君はやっぱり優しいね……。わたしが悪いのに擁護してくれて……」

「お前に八つ当たりしたばっかりだぞ? 優しくなんかない。ただ自分に甘いだけだ」

「ううん、優しいよ……。そんなところ前と全然変わってない……」

「お前こそ、なんでも自分のせいだって言うところ変わってないからな」

「そう……かな」

「あぁ」


 龍馬と花音は見つめ合うことはない。お互いに正面を向いたまま喋り続けていた。それは二人が付き合っていた時を思い出させるもの。


「……ありがとな、花音、、

「えっと、なにが……かな」

「いろいろ」

「……それなら、わたしもありがとう」

「なにが?」

「いろいろ、だよ」

「なんだよそれ」


 おかしな会話。フッと笑みを浮かべる龍馬。今日、花音の前で初めて崩した表情だった。


「りょー君」

「ん?」

「このハンカチ、やっぱり返すね。……ううん、りょー君に返したい」

「血がついたもん返すのは花音も嫌だろ」

「じゃあ、わたしが新しいのりょー君に渡したいな……」


 そうして、花音は自然な流れで攻めていた……。

 このハンカチを返したい。その思いはもう一度会いたいと言っているようなもの。

 今度、二人っきりでゆっくり話し合おうと提案しているような行動だった……。



 ****



 次話、愛羅一輝sideになります。



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