第65話 あいあい傘と愛羅①

「……」

「……」

 聞こえてくるのはパラパラとした雨音。車が走る音。

 沈黙。この言葉が相応しかった。

 普段からお喋りの愛羅が珍しく静かだった。その原因はもちろん……肩を並べてしているあいあい傘である。


「やっば、思ったより緊張するじゃんこれ……」

 口調は普段通りだが、龍馬が働いているバイト先で見せるようなあの強引さの塊の愛羅はいない。乙女的な反応をする愛羅は龍馬から少しでも距離を開けようとする。


「おい、離れようとするなって。傘さしてる意味ないだろ」

「もーっ」

 あいあい傘をしている理由は雨が降っているから。離れたのなら小雨だとしても濡れるのは避けられないこと。龍馬は愛羅が持つ手提げバッグを掴んでこちらに引き寄せた。

 

 こんな状況に慣れている人物なら肩を掴んで引き寄せるのだが、龍馬にとってはこれが限界である。


「ご、強引すぎだって。アーシ、力じゃりょうまセンパイに勝てないんだし……」

 大学に入ってからは運動も何もしていない龍馬が軽く力を入れただけで、簡単に距離が縮まるほど。

 愛羅は少し悔しそうに『トン』と肩をぶつけてくる。


「濡れたりしてないか?」

「そ、そのタイミングで心配するとかなんなの……。ズルキモイって……」


 上目遣いを一回。龍馬と目があった瞬間に愛羅は顔を背けた。

「照れることないだろ。一つの傘を共有しようって提案した張本人は愛羅なんだから」

「な、なんでりょーまセンパイはそんなヘーキなわけ? おかしいでしょ……」

「愛羅を濡れさせないようにって使命感の方が強いんだよ」


 暖房の効いたコンビニを出た後だからであろう、寒暖差により、一層外が寒く感じられる。濡れさせるわけにはいかないという思いも自然に強くなる。


「ほら、紅茶でも飲んで落ち着け」

 傘の柄にかけたビニール袋から龍馬は温かい紅茶を手渡した

「あ、あんがと。なんかそのよゆーが腹立つけど……。アーシだけドキドキしてんのなんなのって」

「一応は俺も愛羅と一緒だからな……? って恥ずかしいこと言わせんな」


 落ち着きたいのは龍馬も一緒。ビニール袋から自分の蜂蜜レモンを取り出した時、ぴょんと黄色い何かが一緒に飛び出てきた。紙のようにヒラヒラ舞うこともなく、音なくストンと落ちた物。


「ん……?」

 龍馬は傘の持った手を上げ、上半身を下ろしながら黄色い何かを取った。


「おい愛羅……。凄いやつ入ってたんだけど」

「スゴいやつ? なにそれ?」

「ほら、からし」

「からしってそんなわけ——ガチのやつじゃん! なんで!?」

 当たり前の反応である。ホットドリンクにからしが付いてきたのだから。

 友達に相談しても理解されない内容であろう。


「いや、俺が聞きたいって。おでん買うならまだしもホットドリンクにからしって……」

「入れて飲めってことじゃないの?」

「蜂蜜レモンか紅茶にからし入れてる友達は想像したくないな……」


 ココアに唐辛子というのはなかなかに美味しいらしいが、からしである。

 想像してほしい。学校や職場で飲み口からからしを注入しているところを。噂の人物になるのは間違いない。


「そのからし、りょーまセンパイにあげる。店員さんからのプレゼントでしょ」

「いらない物を俺に押し付けようとしてるだろ……。まぁ、あっても困ることはないから良いんだけど」

「あ、りょうまセンパイ料理とかする人?」

「家族の料理作ってるのは俺だから人並みにはしてると思う」


 偉ぶった様子で語っていない龍馬。こんなところが愛羅に大人っぽさを感じさせているのだろう。


「肉じゃが作れる?」

「作れる」

「ハンバーグは?」

「作れる」

「カツ丼!」

「作れる……ってか肉だらけかよ」

 

 もし愛羅が料理を覚えたとしたら、毎日お肉中心の生活になることだろう。

 旦那となる人物がキッチンを占領しなければほんのちょっとした地獄を味わうかもしれない。


「……りょーまセンパイってめっちゃモテるでしょ?」

「料理出来るからってモテるわけじゃないぞ? モテる人もいるのは間違いないだろうけど」

「じゃあさ……りょーまセンパイって今まで何人カノジョいた?」

「なんだよいきなり」

「だって、あいあい傘の慣れ感もスゴイし……。ね、教えて」

「はぁ、こうなった時の愛羅は意地でも聞く気だよな……」


 からしの件で調子を取り戻したのだろう。しつこく、強引な、そんな愛羅に変わっていた。


「別に教えても困らないから良いけど……高校の時に1人」

「ヤー、それはウソじゃん! 両手で数えるくらい作ったでしょ」

「どう頑張ってもそれは無理だって。本当に一人」

「あ、元カノさんちょー可愛かったから一人で十分だった?」

「……愛羅」

「あ、ごめん……。聞きすぎた……」


 付き合った人数を教えるのは特に問題はない。しかし、これ以上踏み込まれるのは龍馬が絶対にされたくないこと。

 その感情が珍しく声にも表情にも出る。そこを瞬時に察し、謝れるところが愛羅の良いところである。


「……まぁ、俺から言えるのはパートナーって言うか、彼氏は良い相手を選べってことだ。大切に想ってた相手からの裏切りほど辛いもんはないぞ」

「……りょーまセンパイめっちゃ闇深そうなんだけど」

「エグいぐらいあるかも。こんぐらい……な!」


 ペットボトルを閉め、脇に挟んで片手を空けた龍馬はガシッと愛羅の頭を掴んでぐりぐり撫で回す。これは龍馬は腹パンされた仕返しでもある。


「ちょー!? 髪ボサボサになるんだけどー! 撫でるなら優しくして!」

「撫でて良いのかよ」

「……抵抗してもやられるだけだし。ならこっちの要望通すし」

あらがすべがないからこそ……か。賢い選択だな」


 力では敵わない。と、現実を見据えている愛羅だからこそ要望。

 頭の作りが違うのか、やはり高校生が考えられる域を超えている。


「でもさ、ヤなオトコからこんなのされたらアーシは戦うよ? 力で負けるって分かってても」

「……それ、俺は違うのか?」

「マジりょーまセンパイはヤじゃないから言ってるし」


 愛羅はそこで仕掛けた。さっきの頭撫での仕返し、いや反撃を。

 物理は無し。言葉で龍馬を照れさせ、からかおうとしたのだ。これなら男女の体格の違いも出ることもなく、フェアに戦える。

 頭の回転が速いからこその思考。それ自体は正しいのだが……愛羅は龍馬の力を見誤っていた。


 龍馬は恋人代行のバイトをしているのだ。こうした経験値は自然と付き、動揺しない心も、少女漫画で得たセリフも持っている。


「りょーまセンパイはヤじゃないからさ、ホント」

「いや、俺も嫌じゃないから愛羅の頭撫でたんだが。本当に」


『何言ってんだお前』と言うような龍馬の真顔。

「……」

「……」

 視線をからめ合わせる二人。その雌雄は一瞬で決した。


「は、はぁー!? カウンターうっざ! 先に照れろしっ!」

「俺の勝ち。なんで負けたか明日までに考えといてください」

 声を荒げてかぁぁあと顔を赤くした愛羅に某プロサッカー選手の真似をする龍馬。どちらの心に余裕があるのかは一目瞭然。


「マジクッソじゃん! 煽んなっての! 似てないのが逆にウザい」

「愛羅の性格的に反撃狙ってたのは分かってたからな。これが年上ってもんだ」

「……もういい、次は負けないし」

「次もあるのかよ……」

 龍馬はこの時点で負けを悟っていた。ただでさえ頭の良い愛羅に準備周到さが加わればもう無敵に近い。

 いくら力が備わっていても、作戦一つで形成は簡単に逆転する。


「そ。だからさ、そのためにもりょーまセンパイとアーシやりたいことあるんだけど」

「イヤラシイことだったら即お断りだからな」

「ホントは我慢してるくせに」

「その話は聞き流すとして……で、それでやりたいことってなんだ?」

「……れ、連絡先交換」


 実はこの二人、こんなに仲が良いのにも関わらずお互いの連絡先を知らない。

 愛羅は本当に交換をしたいのだろう。ちょっと遠慮がちに、それでも龍馬の顔を見て呟いた……。 

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