第59話 龍馬とカヤのすれ違い

「はぁ、はぁ……ただいまカヤ姉」

「おかえりリョウマ」

 姫乃との依頼が終わった龍馬は走って自宅に戻っていた。息切れさせた状態で挨拶を交わす。

 龍馬には今日の依頼を思い返す時間はない。まだ家庭の仕事が終わっていなかったのだから。


「ご、ごめん、すぐご飯の用意するから」

「大丈夫大丈夫。連絡してくれた分、外で済ませてきたから」

「そ、そう? ごめん……」


 今日の依頼のために自宅にこもって少女漫画を読み込んでいた龍馬は、料理を作る時間を取ることができなかった。

 炊事、洗濯、掃除などの家事は龍馬の担当。

 特に仕事終わりで疲労が溜まっているであろうカヤに料理を作れないというのが心苦しくあり、料理を作れなかった理由もカヤに言うことが出来ない龍馬はただ平謝りするしかない。


「明日はカヤ姉の好物作るから」

「別にそこまで気を遣わなくていいって。……今日はそっちの方が好都合だし」

「ん? 好都合ってどう言うこと?」

「リョウマ、お話あるんだけど。大事なお話」


 カヤは頬杖を付きながら龍馬を睨んだ。いや、それくらいに強い眼光を龍馬に差していた。


「な、なに……いきなり」

 突然の変貌に思わずたじろぐ龍馬。蛇に睨まれたカエル……に似たような状況だった。


「とりあえず座ろっか。話はそれからで」

「……はい」

 カヤはテレビの電源を切り、これが年上だと思い知らせるような圧を放っていた

 トントンと場所の指示をされ、龍馬は萎縮したように椅子に腰を下ろす。

 この時はまだ、話の内容を察したりはしていなかった。


「そ、それで……大事な話って?」

「リョウマ、最近何かあったでしょ? 責めるつもりはないけど家事も疎かになってる。正直に話してよ」

「……いや、特にはないけど。まぁ遊びに行くことが多くなったくらいかな。それで家事が出来なくなってるのは本当にごめん……」


 カヤは一生懸命働いて生活費を稼いでくれている。その分、龍馬も恋人代行で稼いでいるが、こんなこと言えない。カヤはトラブル多くなるようなバイトは断固拒否の対応。

 遊びという嘘をつくのは胸苦しいが仕方のないこと。


「じゃあどんな遊びをしてる?」

「ショッピングとか、友達の家でゲームとか——」

「——嘘よね」

「……ッ」

 目頭が鋭くしながら強い口調でカヤは言った。垣間もなかった。


「この前も遊びって言ってたけどアタシは引っかかってた。全くもってリョウマらしくないから」

「俺らしく……」

「アタシはリョウマのこと一番にわかってる。だから言わせてもらうけど」

 自信を持った前置き。だが、それは当然。今までずっと生活を共にしてきた姉弟の関係であるのだから。


「リョウマは決めたことを必ず実行する性格。それも、より早く。だからアタシはリョウマがバイトを探している時、『無理しないように、成績が落ちたらバイト辞めさせる』って譲歩したの。どんなこと言っても絶対バイトをするんだなって思ったから」

「……」

「そのタイミングでこの遊びの頻度。毎日してた家事も出来ていない。リョウマの性格からして明らかにおかしいよ。彼女でも出来たの?」

「いやいや、彼女とかいないって。本当に遊びなんだ」

「彼女はいない……か」

「な、なに?」

「ううん、なんでもない」


 この時、龍馬は完全に選択を間違えた。

『彼女が出来た』と言っていたのなら、この話はもう終わっていた。カヤも納得していた。

 何故ならカヤは龍馬と葉月の代行現場を目にしているのだから……。

『じゃああの現場はなんだったの?』とならないはずがない。

 この誤魔化し一つで、カヤに対しさらなる疑問を持たせてしまった。そして、ヒントも与えてしまった。


「遊び遊びってリョウマは言ってるけどさ、本当はもうバイトしているんじゃないの? アタシに言えないような馴染みのないバイト。これが自然な考え方なんだよね」

「そ、そんな簡単に都合の良いバイト先は見つからないって……。それに、カヤ姉に言えないようなバイトってなにかある?」


 龍馬は恋人代行というバイトをカヤが知らないものだと思っていた。この余裕が出るのも当然である。


「簡単に言えばホスト。でもそれだとリョウマの帰宅が早すぎるからこの線は無い」

 一人納得しているカヤ。だがその通り。もし龍馬がホストクラブでバイトをしているなら帰宅時間は毎度0時を過ぎることになる。


「あとは霊感商法とか、サクラとかもあるだろうけど、リョウマの性格からして人を騙してお金を稼ぐようなこともしない」

「……」

「リョウマが何かを隠してるのはもう分かってる。だからアタシは憶測で言う」

「お、憶測ならまた別の日にでも……」

「聞いて」


 テレビ音もない室内。シーンとした中、カヤの冷たい声音が響いた。


「——代行系のバイト。アタシはそう睨んでる」

「……」

 瞬間、ドクッと心臓から冷たい血が流れた……。大まかではあるが、的中していたのだから。

 それでも龍馬は顔には出すことはしなかった。無理やりこらえていた。全てを欺き通すつもりで。


「代行のバイトなら高時給で夜もあまり遅くならない。生活バランスが崩れないから大学にも影響は出にくい。リョウマならこんな条件を元にバイト先を探すはず。だってアタシが成績落ちたらバイトをやめさせるって言ってるから」

 これがよく知る者を追求する際の強み。超能力かと言っても過言でないくらいに言い当てていた。


「代行系……? そんなバイトがあるんだ」

「今も昔もいろいろあるよ。結婚披露宴の代行、告白文や謝罪文を考える代行、愚痴などの話を聞く代行とか」

「へぇ……」

「へぇって感心してる場合じゃないんだけど。アタシは真剣なんだから」


 カヤは龍馬の表情、動作一つ一つに注意を払っていた。どこで動揺をしたか、どこでおかしな反応を見せたか、真相を探るために。


「でも、それくらいのことならアタシに言えるはず。言ってるはず。言えないとなったら……この可能性が一番高いんだよね」


 一拍を空け、カヤは言った。


「恋人代行。言葉の通り恋人のフリをするバイト」

「……初めて聞いたよ、それも」


 龍馬は折れなかった。凛とした態度を貫いていた。全ては稼ぎを減らさないために。


「時間も依頼された時にしか分からないから、今のリョウマのランダムな帰宅時間とも合ってるわけだけど?」

「偶然だよ。俺は遊んでるんだから、そうもなるのも不思議じゃないし」

「……」


 カヤがここまで言い当てられているのにも関わらず、確信が持てない、憶測になってしまう理由には尊敬する上司、葉月の存在にある。


 葉月はカヤから見てもお世辞抜きで魅力的な女性だ。美人で、お金もあり、面倒見がよく、優しい。この人に付いていきたいと思うほど。

 男が放っておくはずない、男には困らないはずの葉月が恋人代行なんてサービスを利用するはずがないと結論付くのは自然である。


 逆に言えば、カヤはあの光景を見たからこそ答えに辿り着かなかった。

 

「リョウマ、一つだけ言わせて」

「なに?」

「もしリョウマがそっち系のバイトをしているならすぐにでも辞めて。確かに高時給で書店のバイトと並行して出来るだろうけど精神的、身体的に嫌な思いを絶対するから」

「それは分からないんじゃない? 結局のところは依頼者っていうの? それ次第だと思うし」


「恋人の代行を依頼するってのはね、欲求を満たせてない人が利用するの。好意もない相手に触られて嬉しい? 楽しい? 中には汚らしい人のセクハラだったり、人間関係のトラブルだってあるの。アタシはリョウマにそんな思いをさせたくないのよ」


 龍馬を大学に行かせるために、生活を安定させるために恋人代行のバイトをしていたカヤは自身の体験を元に伝えた。

 もちろん、過去にしていたなんて言わない。この事実がバレたのなら、辞めてなんて言う権限がなくなる。『お前だってしてただろ』の反論一つで突き破られるのだから。


「アタシはもう就職できてるし、お金だってないことはないんだから」

「そんなこと言われても、してないもんはしてないし……」

「だからアタシは言ってるよ。憶測だって。だからもしそっち系をしてるなら辞めて」

「……」

 迫真の言い伝えに龍馬は憶測であったことを忘れていた。一言一句聞き逃さなかったからこそ、疑問が浮かんだ。


「カヤ姉……どうしてそんなに恋人代行に詳しいの? 馴染みのないバイトなのは違いないよね」

「っ! 友達から教えてもらったのよ。これは友達からの伝言のようなもの」

「そっか……」


 挙動がおかしくなったカヤに気付く龍馬だが、内容が内容だから……と、それ以上に深くは突っ込まなかった。

 もしかしたら……なんて思えるはずがない。カヤも恋人代行をしていたことを。


「アタシが過保護なのは分かってる。分かってるけど……アタシの家族はもうリョウマしかいないの。お金を稼ぐためだけに傷付いてほしくはないの。なんども言うけどもうアタシは就職してる。リョウマを養える稼ぎがあるんだから……」

「憶測とか言ってる割に分かってる風に言われてもさ……。安心してよ、俺は本当にそんなことしてないんだから」

「本当ね……?」

「ああ、本当」


 カヤの心からの想いは、しっかりと龍馬に刺さっていた。だからこその……嘘だった。


「じゃあ話も終わったし……俺は洗濯物取りに行ってくるよ」

「アタシも手伝うから」

「俺にさせて。今日料理作れなかったんだから」


 カヤにストップをかけた龍馬は、何事もなさそうにリビングを出て洗濯機があるお風呂場に向かう。


 その仕切り扉を閉めた龍馬は、両拳を握りしめていた……。


「俺だって、 家族はカヤ姉しかいないんだよ。カヤ姉に負担なんてかけさせたく無いんだよ……」


 ぼそりと言えなかった本心が口から漏れる。


「嫌な思いをしてもお金を稼げるなら、それでいいよ……俺は」


 願いは必ずしも叶うものじゃない。

 カヤとの話で、龍馬は恋人代行をやり切る、続ける気持ちが強くなっていた。


 いつの日か、思うことになる。

 ——カヤの言い分を素直に受け入れていれば良かったと。



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