第43話 姫乃のラブコメお悩み
一週間後のとある日。
(……むむぅ)
自室。姫乃は眉をしかめて小さい顔を難しくしていた。
ベッドにお尻を付けながらまばたきもせず、真剣にスマホの画面を見つめていた。これは大学内でもしていたこと。
その発端はSNS。通称、ソーシャル・ネットワーキング・サービス。そのTwitterに投稿したラブコメの4コマ漫画。
両想いの幼馴染が部屋でゲームをし、負けた方が買った方の言うことをなんでも聞くという王道の展開。
ヒロインが得意とするゲームだったが、室内にハエトリグモが出現。虫嫌いのヒロインが操作ミス。結果、主人公が勝ってしまう。
納得がいかないヒロインは主人公の胸ぐらを掴んで『もう一回!』と反抗する。
前後ろにブンブンと振り回すヒロインだったが、その勢いに耐えきれられなくなった主人公はベッドにヒロインを押し倒してしまう。
『……こ、これは……そ、その』
『は、早く退いて……』
目の鼻の距離で見つめ合う二人。
そんなやり取りをするも主人公は退かず言う。
『これが罰ゲームだから』
『なっ……!?』
主人公は好きなのだ。長年、ヒロインのことが。
そして、ヒロインもまた。
『そ、そんなこと……。うぅ、責任……取ってくれるんでしょうね……』
『ん』
『な、なら好きにして……。罰ゲームはちゃんと受けないと……だもん』
そこからアハハーン! を濁し、行為後を描写した漫画である。
まだ投稿して2日しか経っていないが、いいね数は3.4万付き良い反響を呼び、フォロワーも増え知名度も上がった。
『尊死!』『まじ好き!』『絵も上手い!』『続きはどこで読めますかぁ!?』
なんて褒めリプライが大量にある中、こんなメッセージが届いていてもいた。
『絵も上手いし、犯罪的にならないように描けてはいるけど惜しい。ヒロインがその時どう思っているのかもう少し出すべき。面白いんだから』
『それ分かる! なんか『ドキドキ』とか画面いっぱいに使って誤魔化してるよね』
『体験したことがないから分からないんじゃないの?』
自称評論家のリプライから共感するアカウント。
本来ならこんなのは無視していい。していいのだが……姫乃にとっては無視出来るものではなかった。
「この
核心を突くようなドキッとさせられるメッセージ。
「……なんで、わかるの」
描いている最中、その指摘通りに姫乃は誤魔化していた。だからこそ流せなかった。
姫乃はリプライに対して返信をあまりしないが、しっかりと感想を読んでいる。
姫乃は現在、書籍と連載を一つずつ持っている。
ありがたいことに担当も付き、アドバイスをもらう時もある。
その担当からのアドバイスと、自称評論家のリプライはほとんど同じに近かったのだ。
リアリティに寄った漫画を描いているからこそ、濁した表現に対するやんわりとした批評。
『一度でも体験したらこの悩みは解決すると思うけど……』
と渋い顔をする担当に、姫乃は真顔で言う。
『体験できないです』と。
当たり前の回答である。
姫乃は今までに彼氏を作ったことはないが、ラブコメという漫画を描いている。この展開時の心情を、調べたりなんとなくでしかかけないからこそ、この手の問題にぶち当たってしまう。
「……」
いいね数3.4万の表示。——今、3.5万になった。
好意的に捉えられてることは間違いないが、この感想だけは無視できない。いずれ、こう感じる読者は増えていくのだから。それは人気の減少に繋がることでもあり、いずれは収入にも関わってくる。
「頑張らないと……」
生活するお金がなくなれば本末転倒。
姫乃はすっと立ち上がり、本棚からラブコメ漫画を複数とって読書と言う名の勉強を始める。
壁ドン、押し倒し、頭撫で、ハグ、お姫様抱っこなど。姫乃には現実味がないありとあらゆるシチュエーションがある。
リアリティもしっかりある。こんなことされたら、こう思うんだろうなぁと胸が高鳴る。羨ましくなる。
姫乃にはその高揚感があるのか。羨ましく思えさせることができるのか。
その問いをされた時、姫乃はすぐに首を横に振る。
——誤魔化そうとした時点でリアリティーで負けているのだから。
「姫乃とレベルが違う……」
自力でないのは分かる。担当と相談してこの物語を作り上げてきたのだろうが、経験ゼロの姫乃以上に担当の力を借りている漫画家はいないだろうと思っていた。
「未熟……姫乃は」
姫乃が毎回思うこと。この業界には上
皆、当たり前に持ち味があり、武器を最大限活用して素敵な物語を描いている。
書籍と連載を持つ姫乃がこれほどの実力差を感じているのだ。だからこそ、
『もっと上を目指したい』『この作者には負けたくない』『もっと褒めてもらいたい』
傷つきもしながら向上心が湧く。
読んでいた漫画を閉じ、PCに電源を入れようとした時だった。
『ピコン!』とベッドに置いていたスマホに通知音が鳴る。
送り主は友達の亜美。内容は『今、電話できる?』と言うものだった。
スマホカバーが大きいために両手で持つ姫乃はすぐ『出来る』とメールを返した。
やんわりとした批評でも心は痛むもの。友達の声を聞いて傷を癒そうとしたのだ。
『ひめのー! お疲れ!』
「いきなりどうしたのアミ」
相変わらずのテンションで話かけてくる亜美にクスッと表情が緩くなる。だが、声色は普通通りなのが姫乃の凄いところだろう。
『いやぁ、最近大丈夫かなぁって思って』
だが、揚々とした声はここまで。亜美は真面目に話し出す。
「なにが大丈夫?」
『えっとさ、ひめの……最近彼氏のりょうまさんと上手くいってないんじゃないかなって思って……。余計なお世話だけど、相談相手いたらちょっとは気持ちにゆとり出るんじゃないかってね?』
「……ん?」
『二日くらい前から今日までずっと。大学でめっちゃ険しい顔でスマホ見続けてたからさ。何かに悩んでる感じだったし、彼氏のりょうまさんと何かあったんじゃないかって』
「あ……」
亜美は未だ勘違いしている。姫乃が龍馬と付き合っていると。その件を心配をして電話を入れてくれたのだ。
「心配、ありがとう。でも何もないよ。シバとはいつも通り」
実際は姫乃の悩みは漫画に対することだけ。ソッチの方の悩みはない。
そもそも付き合っていない二人なのだから。
『いやいや、だって同じ大学なのに一緒に帰ったりしてるの見たことないもん』
「……そ、それは」
『もしかして、りょうまさん浮気とかした? それならウチ殴り込みにいくけど。ふーこの彼氏使えばすぐ教室とか分かると思うし』
「そんなことない。シバはいい人だから」
『じゃあ、何に悩んでたの?』
「……将来」
『将来!?』
誰も損をしない嘘を付いた。商業的な漫画を描いていることがバレたら注目が集まる。大学に居づらくなる。
あまり言いふらすわけにはいかない。
『あー、将来悩んでたの!? いや、まだ大学一年だし早くない悩むの!』
「姫乃は現実主義」
『確かにそうかもだけど、もっと気を抜きなって! それで潰れたら元も子もないし!』
悩みが将来と聞いた途端、亜美は元気な声色に戻った。『この件ならお役御免だね!』と伝わるほどに。
「そうかも」
『そうかも、じゃなくてそうなの! でも……その悩みならウチはいらないっか!』
「姫乃はそんなことない。……嬉しい」
『いやさぁ、だってウチよりも適任いるじゃん。イケメンの年上彼氏さんが!』
「……っ」
『今照れたなぁ!? クッソ!』
彼氏欲しさに一生懸命な亜美は悪態をついた。もちろん、本気のトーンで言っているわけではない。
「照れてない……」
『まぁいいけど! 彼氏に悩み相談してもらうついでにイチャコラすれば一瞬で解決だって! ほらぁ、絶対りょうまさんってそんなのはやり手だと思うしぃ! いい方向に持っていってくれるよ!』
「は、恥ずかしいよ……。そんなの」
『もうヤることヤってるくせにぃ! きゃー! お熱いっ!』
「もう切る」
からかいがヒートアップする亜美に、冷たい声でその4文字を口にする姫乃。
容姿は追い付いてはいないが姫乃は立派な大学生。亜美がナニを言っているのかは理解している。
『あはは、ごめんごめん。でもさ、将来の悩みでまだ良かったよ。ウチは安心した』
「ん。……わざわざありがとう。アミ」
『どういたしまして! それじゃウチこれからご飯だから明日の学校で!』
「うん」
そうして5分くらいの簡単な電話が終わる。
(申し訳ないな……)
姫乃はスマホを切りながらそう思う。漫画で悩むのは一人の時にしようと決めた瞬間でもあった。
そうして姫乃はPCの電源をつけ、ピンクのゲーミングチェアに座る。椅子を最大限にまで上げているため、ぷらぷら小ぶりの素足を揺らす。
起動するまで画面を見続けた姫乃は、心温まりながら亜美との電話を思い返した。
『いやさぁ、だってウチよりも適任いるじゃん。イケメンの年上彼氏さんが!』
『彼氏に悩み相談してもらうついでにイチャコラすれば一瞬で解決だって! ほらぁ、絶対りょうまくんってそんなのはやり手だと思うしぃ! いい方向に持っていってくれるよ!』
『もうヤることヤってるくせにぃ! きゃー! お熱いっ!』
悩みの内容に嘘をついたが、亜美は元気を出させるようにこんなことを言ってくれた。
心嬉しく思いながらマウスを握る。——その最中、
「あっ……」
良い案を見つけたように姫乃は豆電球が頭上に出現させる。
『
本命である漫画の悩みが亜美と電話したことによって。
「っ、解決……できるかも」
この時、姫乃の鼓動はどんどんと早くなる。緊張と恥ずかしさで身体が熱くなってくる。
(シバにしてもらうことが……できたら……)
姫乃は龍馬の顔を思い出す。そして、漫画のためにもしてもらいたいことを。
「で、でも……そんなのされたらぁ……」
おでこを机に付け、ふにゃりと力が抜ける。
しゅぅううと熱い蒸気を発して顔を真っ赤にする姫乃だった。
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