第40話 葉月との帰り道と見られし者

「ありがとうございました。またのお越しを心よりお待ちしております」

 バーテンダー斗真の落ち着いた声音を聞きながら、龍馬と葉月はBar、【shineシャイン】を後にした。


「葉月さん、気持ちが悪いとかはないですか?」

「ありがとう。でも大丈夫よ。私はお酒には強いから。酒豪しゅごうなの」

「そ、そんな見栄を張らなくても……。Barで寝落ちしてた時点で説得力ないですよ?」

「あ、あれはお酒のせいじゃないわよ」

「じゃあ……なんですか?」


 龍馬はあえて追求してみた。葉月がまだ酔いのあるこの状態を利用して。

 斗真が言っていた。『寝てしまわれたのは泥酔ではなく龍馬さんのナデナデが原因ですよ』と。

 あれは単にフォローを入れてくれただけだと思っていたのだ。

 そう思った理由も当然ながら存在している。


「そ、それは……その……」

「ん?」

「えっと……」

「はい」

「……お、お仕事に疲れていただけよ。べ、別に斯波くんに頭を撫でられて気持ちよかったからとかじゃないんだから」


 まるで下手すぎる演技に突っ込まれないようにプイと顔を背ける葉月。

 本音がダダ漏れであるが、龍馬はやっぱりと言うように苦笑いを浮かべていた。


「あはは、やっぱり葉月さんなら分かっちゃいますよね。自分が頭を撫で慣れていないことくらい」


 あの撫では、フランクフルトに付いてくるケチャップのようなものだと、牛丼についてくる七味唐辛子のようなものだと、メインではなくあくまで味を際立たせる付属のようなものだと龍馬は答えを出していた。

 つまり、お酒が葉月を眠らせた大きな要因であり、ナデナデは眠りを促進させただけだと言うこと。


 もし龍馬が鈍くなければ、ツンデレと呼ばれる相手に一度でも関わっていたのなら、この答えは全く違うものになっていただろう。——無論、次の葉月の発言も。


「斯波くん。もしかしてだけれど今物凄く失礼なこと考えていないでしょうね」

「失礼なことと言いますと?」

「今のニュアンス、私は誰にでも頭を触らせているという風に感じたわ。正直に言わせてもらうけれど、私、異性の中だとお父さん以外に頭を触られたことはないわよ?」

「えっ!? そ、そうなんですか!? あっ、すみません……」

「な、なんでそんなに驚いているのよ……。本当失礼しちゃうわ。もぅ……」


 今度は拗ねたように口を尖らせる葉月。先ほどから顔も赤く感情が豊かになってきているのは間違いなくお酒の影響で陽気になっているからだろう。

 Barに行く前と行った後の口調は同じだが、表情や態度が全然違う。

 お酒の度数を低くしていたとしても酔わないわけではない。特にいつも2杯でセーブしているお酒の弱い葉月は。


「えっと……男友達という要望だったのでちょっと大げさなリアクションが適切かなぁと思いまして……」

「それ方便でしょう? 素で驚いてたことくらいお姉さんには分かるんだから。今正直に話してくれたのなら許してあげる」

「す、すみません。素で驚きました」

「ふふっ、素直で良い子ね。そんな斯波くんに一つ教えてあげる」


 寒空の中、葉月は顔を近づかせて妖艶に微笑んでくる。琥珀色の綺麗な瞳が鏡のように龍馬を写し……年上が持つ独特の雰囲気に包まれる。


「あのね、確かに私は男遊びには慣れているけれど……簡単に肌を触れさせるような安い女じゃないのよ? 代行会社から私のことをいろいろと聞きているからこその勘違いしているんでしょうけど」


『Barに行く前まで斯波くんは私のことを警戒していたものね』

 と、そんな前置きをして空を見上げながら葉月はふらつくこともなく足を止めた。

 流石はお酒を提供している斗真だ。『自我もしっかりとある』と言うのは正しかった。


「私は代行会社を良く利用しているから、今後もたくさん利用したくなったから言わせてもらうけれど……斯波くん。あなたは私に対してとんでもないミスを犯していることに気が付いていないでしょう?」

「とんでもない……ミス? すみません、心当たりがないです」

「ヒントをあげようかしら。代行時のルール、斯波くんが知らないはずがないわよね」

「はい、それはもちろんですけ……、っ」


 頷き、肯定まであと一歩のところで龍馬は体全体を固まらせた。視線を左右に動かし……まばたきの回数が異様に増える。気づいてしまったのだ。とんでもないミスと言うものを。


「違反しているわよね斯波くん。代行人は手を繋ぐ、腕を組むまでが限度でしょう? 頭を撫でて良いなんてルールブックはどこから入手したのかしら」

「……」

「私がお父さんにしか頭を撫でられてない理由は、代行人の誰にもそんなことはさせていないから。いきなり撫でてこようとしてきた男性もいたけれど、『会社に訴える』の一言ですぐに引いてくれたわ」

「す、すみません……。忘れていました……」

「忘れていたで済む問題かしらこれ。代行会社に訴えたのなら斯波くんはクビよ?」

「はい……」


 言えない。言えるはずがないのだ。あれは斗真に指示されたなどと。

 そもそも実行したのは全て龍馬であるのだから。今の今まで代行時のルールがすっぽりと抜けていた。この時点で全ての責任は全てこちらにある。


「申し開きは?」

「ありません……」

「ふぅん」

 あるはずがない。言い訳をするほど見苦しいものはないのだから。


「申し開きがないわけないでしょう? 斯波くんが私に言ってくれたじゃない。『今日はと遊んでるんです。だからもうそんな悲しそうな顔はさせません』って」

「ちょっ!? え!?」

『なんでそのセリフを一言一句覚えているんですか!?』

 しどろもどろに口を開こうとする龍馬だったが、それよりも先に葉月が先手を打った。


「あんなこと言ってくれたのに、斯波くんが私と遊んでくれるのは今日だけ?」

 葉月は悲しさを漂わせた顔で言う。


「わ、私はこの件を責めるつもりは全くないの。そ、そうじゃなくって心配しているのよ。斯波くんがクビになるんじゃないかって。……斯波くんが私を慰めようとして頭を撫でてくれたことは分かっているわ」

「えっ……?」


 責めるつもりはない。その言葉は事実なのだろう。葉月はこれっぽっちも怒った様子はない。それどころか、うれいに沈んだ顔を見せてきたのだ。


「斯波くんのような優しい心に漬け込む依頼者がいるのよ。わざと規定を破らせるという汚い心の持ち主が。もし証拠が揃えば代行者はクビ。依頼者は迷惑代として依頼料と仲介料が全額バックする。その仕組みを狙って」

「は、はい。今も昔も行われている……と聞いてます」

「も、もうこの場で言わせてもらうけれど、私は次の代行時……斯波くんを指名をするつもりなの。だから別の依頼者にルールを破らされてクビになっているなんてことは絶対に許さないわ」

「は、葉月さん……」


 龍馬はやっと理解する

 葉月は糾弾させるためにルールを破ったことを追求したわけではないと。次の依頼に繋げるためにあえて注意を喚起したのだと。


 それは龍馬にとってありがたいことであり、今一度心に刻んだ反省でもある。


「分かりました。肝に命じておきます。それに、このアルバイトの収入源がなくなったら自分もキツいですから」

「ふふっ、お願いするわね。今日は依頼料だけ渡すけれど、もし次にちゃんとこの約束が守れたのならたくさんお小遣いをあげようかしら」

「ありがとうございます」


 そうしてようやく明るい雰囲気に戻った二人。どこか心が通じ合ったように含み笑いをする。

 龍馬を先頭に葉月はその後ろを付いていく。


「——ところで斯波くん。今どこに向かっているのかしら」

「葉月さんのお家ですよ。しっかりと送り届けさせてください。この時間に女性一人で出回るのは危険ですので」

 タワーマンションに住んでいることをわかっているからこそ、何も言われることなく進む。が、これが最大のミスだった。


「ふふ、ようやくボロが出たわね斯波くん? クビにされるわけじゃないなんて安心するとガードが緩くなるわよね、いろいろと」

「あっ……」


 一歩、いや二歩も三歩も葉月は上だった。完全に出し抜かれたと心底思った。


 葉月は代行のルールを破ったことへの注意を促すことで複数の目的を達成したのだ。


 一つ、龍馬がクビにならないよう危機感を与えるため。

 二つ、次も依頼するため。

 三つ、あの時のことを自白させるため。


「どうして斯波くんは私の自宅を知っているのかしらね。ストーカー? それとも、土曜日に泥酔した私を助けてくれた人物だからかしら?」

「…………」

「もし、ストーカーなら今から交番に行くけれど……もう白状してくれるわよね?」

「……す、すみません。降参です……」


 最強の言い文句だ。交番に突き出す、と。

 こう言われたならもう龍馬の負けである。


「土曜日、葉月さんにタクシーを呼んだのは自分です……」

「ふふっ、やっと白状させられたわ」

「ダサ過ぎるなぁ。こんな結末になるって……」

「まだまだ浅いわね、龍馬くんは。これからしっかりと私が鍛えさせてあげるわ」

「お、お手柔らかにお願いします……」


 葉月には晴れやかな笑顔が浮かんでいた。今日で自白をさせられたことで満足気であり、ご機嫌であった。



 ****



「いやぁ、いっぱい飲んだねぇカヤやん! もうお腹タプタプだぁ! 同期会はやっぱ楽しいなぁ!」

「アタシも……。明日は二日酔い間違いない……。もう終わったことだからどうしようもないけど、どうせなら明日が休みの日に開いてほしかったよ」

 時刻は11時50分。

 龍馬の姉、カヤは同期の友達と一緒に帰路についていた。


「だよねぇー。二日酔いとか葉月マネに一番怒られちゃうって!」

「自業自得だから仕方がないじゃん? 怒られる時は一緒に怒られよーかねぇ。裏切りは無しで!」

「あはは、りょうかーい!」

「なんか心強いよね。一緒に怒られる仲間がいると。って、こんな会話葉月マネージャーに聞かれたら大目玉だね」

「ひぃー! 噂をすれば影ーなんてね!」


 るんるんらんらんと、ことわざを齧りながら上機嫌に足を進める二人は約10m先にT字路が見えた。そこはいつも右に進む道路であり——

「ね、斯波くん。私の頭をもう一度撫でてくれる?」

「なっ、何言ってるんですか!? もうそんなことはしません!」

「ふふっ、良く出来ました」


 こちらに目もくれずT字路を横切った二人組がいた。


「エ……? リョウ、マ……?」

「え、葉月マネ……?」

 夜道を照らす電灯があることでその二人組の顔は明るみになる。数秒映ったありえない光景と会話。


 二人は同じ人物を見ていた。見間違いは100%有り得なかった。


「ウソ……」

「葉月マネ、男連れだったよぉ!?」

「いや、あれアタシの弟なんだけど……」

「はぁい!?」

「葉月マネージャーって……エ? リョウマと……」

「じ、じゃあ葉月マネは……」


 ——神妙な顔を合わせる二人。


「「付き合ってる??」」

 ——その声は綺麗に重なった。

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