第38話 アシストからの甘えた

「斯波くんは彼女さんいないの?」

 お互いに3杯目のお酒を飲んでいる時、葉月はプライベートな部分に触れてきた。

 これは悪いことではない。斯波龍馬という一人の人間に多少なりの興味を持っているのだから。

 このプレイベートな話こそ距離感をもっと縮められるチャンスである。


「彼女がいたらこんなバイトしていませんよ」

「あら、そうなの? 私は斯波くんが彼女さんに何かプレゼントをするためにこのお仕事をしているんじゃないかって思っていたわ。女性相手にかなり慣れているようだから」

「そんなことないですよ。お金を稼ぐために必死に食いついているだけです」

「ふふっ、とっても分かりやすい冗談ね。それじゃあお姉さんは誤魔化せないわよ?」


 お酒の影響で上気している葉月は、急な酔いや悪酔いを防ぐチェイサーを飲みながら微笑んでみせた。


「誤魔化すもなにも本当のことですよ」

「でも……二十歳なのに立派ね、斯波くんは」


 事実を言う龍馬だが軽く流された。

 ベテランキラーの女王と呼ばれる葉月にここまで信じ切らせていられるのは快挙なことであるが、その考えに至るほどの余裕は本人にはない。


「お金を稼ぐことに必死なのは何か目標があるからなんでしょう?」

「そ、それはそうですけど……立派とは言えないかもですよ? ただ見栄を張りたいだけのくだらない理由かもしれません」


 龍馬がお金を稼ぎたい理由は自分で学費を払うためであり、姉のカヤに負担をかけさせたくないから。


 これを誰かに打ち明けたのなら『立派だ』と言われるだろう。しかし龍馬はこれっぽっちとしてそう思っていない。

 若いうちに両親が他界し、家庭環境が複雑であるからこそ当たり前だと考えている。


「くだらない? 例えばとんな目標かしら」

「えっと…………たくさん贅沢をしたいから、とか」

 まさかの聞き返しに、少しの時間を置いて答える。

 酷い回答をしてしまったと、発言し終えて苦笑してしまう。


「なんだかとっても可愛い目標を上げてくれたけれど、それも立派なことよ。贅沢は頑張った人の特権でもあるのだし、第一、目標にはくだらないもはないのだから。……ね、斗真さん?」

「さっきカマをかけられた件があるので否定したい気持ちしかありませんが、反論が思い浮かびませんね。その通りだと思います」


 龍馬と葉月、二人で会話している時には音を最小限にして作業をしていたバーテンダーの斗真とうま

 邪魔はしないようにとの親切心のある斗真は、促されてから会話に入ってきた。


 この2対1の構図は良いようにも悪いようにも転がる。

 責められる時は非常に厄介になり、こうして諭す時には非常に有用になる。


「なんか……自分が凄く子どもに思えてきましたよ」

「二十歳は大人だけれど、大人の第一歩なの。私から見たらまだまだ未熟ね」

「となると、自分から見て神城かみしろさんは二つ下なので未熟になりますね」

「斗真さん。お酒コレぶっかけるわよ」

「その際にはマスターにご報告させていただきますが宜しいでしょうか。バーテンに喧嘩を売ると言うことは出禁になることでしょう」

「う……」


 カウンターから出て来客用のテーブルを拭いている斗真は歴然とした態度で鋭い眼光を送っている

 目は口ほどに物を言う。とのことわざは間違いない。

『本気ですよ』と伝えていることが身に染みるように分かる。


(うっそ……。バーテンさんあのベテランキラーの女王を黙らせたんだけど……)

 カマをかけられた仕返しだろう。夜の方は彼女に引っ張られているとは思えないくらいに見事な手腕であった。


「さて、こんな意地悪さんは無視して二人っきりで飲みましょう。もう会話に入れてあげないんだから」

「それは残念です。お酒が無くなった際にはお呼びください」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


 拗ねながらもしっかりとお礼。葉月の根は素晴らしいものだ。


「葉月さん。自分からも一つプライベートな質問しても良いですか?」

「ええ、なんでも良いわよ」

「それでは……葉月さんはどうしてこのサービスを利用するんですか? 正直、彼氏さんには困っていないと思うんですけど……」


 これは、最初から疑問に感じていたこと。

 本当に少数なのだ。こんな美人な相手と遊びに行くだけでお金をもらえるという役得な状況は。


「それ……依頼者の気持ちを良くさせるためのマニュアルなの? 別の代行人さんにも毎回聞かれるのだけれど」

「いえ、疑問です。美人で気配りも出来て、親切に接してくれて。そんな方がどうして……と」


 疑問とも言える好奇心が褒めるという恥ずかしさの上に来る。すらっと言葉が出てきた。


「そうね……。今までの代行人さんには教えていなかったけれど、斯波くんには特別に教えてあげる。ちゃんと許可を取って聞いてくれたから」

「……え」


 さらっととんでもない発言が出た。

 ベテランの代行人が許可を取らずにプライベートに突っ込んでいるという事実に。

 いや、恋に落ちてしまったからこそ根掘り葉掘り探りたくなるのである。


「……私、仕事が恋人なのよ」

「仕事が……恋人?」

「彼氏は欲しいし、結婚願望もあるのだけれど、仕事が忙しいから彼氏との時間を作ることが出来ないのよね……」


『仕事が恋人』とは、恋人に費やすくらいの時間や情熱を仕事に使っているということである。


「仕事を始めて彼氏を作ったこともあるけれど、一ヶ月で別れを告げられたわ。もちろん私が悪いの。その一ヶ月間で一度しか会えなかったから。……相手を傷つけて最低よね、私」

「……」

 フォローしようと一生懸命に頭を働かせる龍馬だが迷宮入りしたまま。合いの手を入れることさえも出来ない。


「そんな失敗を繰り返さないためにも私はこのサービスを利用しているの。私は……相手を傷つけることが一番嫌いなの。だから……あんなことをしてしまった私自身を好きになることは出来ない」

「葉月さん……」


 誠実で良心な葉月だからこそ、自身が犯したことを許すことができないのだろう。断言した口調。それが全てを物語っている。


「仕事が恋人だって言ったけれど……それも辛いのよね。斯波くんには言っていなかったけれど、私は上の立場にいるの。だからこそ厳しい言葉を発さないといけない時もある。いくら言い方に気を付けても相手を傷つけてしまう。本当に悪いことをしてはダメね。まるで、私が今までにしてきた酷いことが全部返ってきているみたい」

「……」


 慰めの言葉、同情の言葉、はたまた叱りの言葉。

 葉月がどんな声をかけて欲しいのか、龍馬には分からない。気の利いたこと、それすらも思い浮かばない。


「だから人の温もりに触れた時とか、仕事が辛くなった時にこのサービスを利用して少しでも気を紛らわせているの」

「そう……なんですね」

 この時、満足させられない、報酬が減ってしまうなんて感情は二の次になっていた。

 何もすることができない未熟さ、悔しさが湧き上がり……お酒に逃げようとした——その瞬間、上半身を左右に振って変な動きをしているバーテンダーの斗真の姿が目端に映る。


 そんな斗真と視線が交わった最中、ジェスチャーを繰り出してきたのだ。

 手を前に出して、そこに頭があるように『よしよし』をしている……そんな行動を。


「ッ!?」

 その意味を理解した龍馬は眉をビクッと上げる。


(そ、それはできないですって! あ、あまり仲良いわけじゃないんですからっ!)

 葉月にバレないように微動に首を振るが、

『ブンブンブン!』

 斗真はその二倍三倍の動きで首を左右に。その後、『はやくはやく!』と急かすように口パクをする。


(いやいや、それでも出来な——)

 と、どうにか抵抗しようとした龍馬だったが——途端、退路が閉ざされた。

 物凄い剣幕で、殺し屋のような顔で斗真に睨まれたのだ。

『男を見せろ。彼女を慰められなきゃ駄目だ』と8年間付き合っている彼女がいる斗真だからこその訴えであるように。


 もう、龍馬に逃げ場はなかった。

(や、やるしかない……。やらなかったら……殺されるかもしれない……)

 斗真の睨み顔が決め手であった。


 龍馬は座ったまま、カウンターのテーブル使って体を近づける。そして、恐る恐るウェーブのかかった茶髪に優しく……触れた。


「ぇっ!?」

「あ、その……」

 葉月の頓狂とした声。勢いよく顔をこちらに向けてくる。

 慣れない女性の髪質で、艶やかで豊かな綿菓子のような茶髪。柔らかく手に良く馴染む。ずっと触っていたいほどにサラサラしている。


 言葉が何も浮かばない。そんなどうしようもない状況から手が勝手に動いていた。撫でていた。


「は、葉月さん……」

 そのワンクッションが龍馬に与えられた時間。2秒。


「お仕事いつもお疲れ様です。でも今日はと遊んでるんです。だからもうそんな悲しそうな顔はさせませんよ」

 笑顔を作れるわけもなく、生真面目な顔で言う。これが精一杯。


「……し、斯波……くん」

「……はい」

 上目遣いの葉月から名前を呼ばれたことで返事をする。

 ただ、時間が経って分かる。

(え、ちょ、え!? 俺何言っちゃってんの!?!?)と。

 考えられる時間が皆無だったからこそ意味不明なセリフだったのだ。


「……い、言ってくれるじゃない……。新 人斯波くんのくせに……」

「あは、はは……」

 Bar、【shineシャイン】の木床きどこに穴を開けたい、その穴でずっと過ごしたい感情。そんな羞恥はもっと増加することになる。


「そ、そんなに言うのなら……もう少し……続けて……」

「は……いっ!?」

 目を閉じた葉月は、撫でられやすいように体をこちらに傾けきたのだ。

 今の状況に恥ずかしがるようにおモチのように白い両耳を赤く染めて……。


 お酒が入っているからこそ、お互いに出来ることでもあった。

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