第37話 ちょっとオトナの会話
Bar、【
店内は基本的にキャンドルの光のみで適度に暗く、何十年か前に流行ったようなジャズ・ピアノの音楽が天井のスピーカーから小さく流れ続けている。
カウンターには美しいシェイカーが置かれ、奥のバックバーにはウィスキー、ブランデー、リキュールなどの多種多様の酒が取り揃えられている。
希少価値があるボトルは大型ディスプレイ式の棚に置かれ、見せる収納にもなり綺麗なまとまり感がある。
明日は平日、仕事が控えているからであろう客は葉月と龍馬だけ。
お酒を提供する場らしい内装と落ち着いた雰囲気が漂っている。
「どうですか龍馬さん。初めてのBarの感想は」
龍馬に声をかけてくるのは高身長に高ルックス。店の正装を見事に着こなした
「な、なかなか慣れませんね……。バーのルールも知らずすみません」
「いえいえ。楽しく、美味しく飲んでいただければそれで結構ですよ。これは今日、自分に仕事を
ニッコリ微笑みながら皮肉を効かすバーテンダーの
この店のマスターとの信頼関係を結べているからこその言い方であるのは容易に汲み取れた。
「お酒、本当に美味しいです……」
「この先、お酒を飲む機会も増えると思いますのでその際には是非当店をご利用ください」
「はい、ありがとうございます」
初めての龍馬を気遣うように巧みな話術で緊張をほぐしてくれる
バーテンダーらしい気配りであり能力であった。
「ちょっと斗真さん? 私のツレに営業をかけないでもらえるかしら」
「バ、バレましたか……。でも、これも仕事ですので。すみません」
「そうやって何人ものお客さんを欲深く取り入れようとするから、バチが当たって腕を骨折
「そ、それとこれは関係ないですからね!?」
会話に置いてけぼりにさせられていた葉月はここで
それも、しっかりとタイミングを見計らいながら。
龍馬をこの空気に馴染ませるよう、会話が終わったところで口を挟んでくるあたり、流石の
「え? バーテンさん……お、お客さんに腕を折られたんですか?」
「ま、まぁ……お客様と呼ぶにふさわしくない相手ですけどね。8年も前になります」
「その時のお話、とってもロマンチックなのよ」
「ロマンチック……ですか?」
腕を折られたこと。と、どうロマンチックが繋がり得るのか。なんの情報も知らない龍馬は目を大きくしながら首を傾げる。
「あの……
「その文句はこのBarを密かな恋愛スポットにしようとしているマスターに言ってちょうだい? 私は言いふらす許可をもらっているから」
「本人に許可を取らないのは横暴ではないでしょうか……」
「それに、ここまで来たら斯波くんも気になるでしょう?」
「本音を言わせていただくなら……そうですね」
「お話して良いかしら、斗真さん?」
「こうした時だけ許可を取るんですから……。もうお好きになさってください」
龍馬が葉月側に付いたことで2対1の構図になる。
完全に不利になったことで斗真は諦めたように肩をすくめていた。
そんな様子を見て龍馬は尊敬に近い思いを抱いていた。
話の良し悪しに関わらず場を盛り上げるための一種のパフォーマンスなのだろうと解釈していたのだ。
そうして、マリブパインと呼ばれるロングカクテルを喉に流した葉月は口を開いた。
「昔、8年前だけれど、このBarには『看護科の天使』と呼ばれていた女性がいたの」
「看護科の天使ですか? 凄い異名ですね……」
「名前の通り、看護大学に通っていた優秀な女性で周りから天使と呼ばれるくらいに容姿も性格も素晴らしいのよね、斗真さん?」
「……否定はしませんよ」
こちらに顔を向けることなくグラスを拭き拭きしている斗真。昔話を別の人物からされるというのは恥ずかしいものである。
「その天使さんは別の大学生からも告白されるくらいの人気者で……斗真さんはこのお店で働いている時の常連さんでもあったの」
「そ、そこまで人気があるんですか……」
大学生の龍馬だからこそ、人気の異常さは考えずとも分かる。
「その天使さんは斗真さんが働いている日、毎回のようにBarにやって来てたらしくて……一緒にお出かけするくらいに距離が縮まっていたらしいわ」
「それで……どうなったんです?」
恋バナというのは男女共有で楽しくなれるジャンルである。そして続きが気になるものでもある。
「その人気さが故に天使さんはストーカー被害にあったの。このお店、【
「えっ!? ここがですか……?」
「そうよ。ストーカーは店内で暴れ、数ヶ月間営業を停止しなければならないくらいに酷い有様だった。当時はニュースにも出たくらいよ」
8年という年月が経っているからだろうか。この店内を見ればその時の面影は全くない。
語り手によっては嘘だと思われてしまう可能性だってあるだろう。
「ここでさっきの話に戻るけれど、天使さんを庇った斗真さんは右腕を骨折する大怪我を負ってしまったの」
「……」
「そこから入院中、天使さんがお見舞いにくるようになって……無事結ばれた二人は8年続くお付き合いをしているらしいわ」
「そ、そう言うことだったんですね。本当にロマンチックだと思います」
「お恥ずかしい限りです……」
平常心の顔をしているが、布で拭くグラスがもうキュッキュキュッキュなっている。
動揺しているのだろう、拭きすぎている。
「8年となると結婚のご予定とかは……?」
「ほら。聞かれてるわよ斗真さん」
「か、彼女の仕事もようやく落ち着いてきたので……こ、今年のクリスマスにプロポーズをする予定ですね、はは……」
「自慢の彼女さんだものねぇ。逃がしたりしちゃダメよ? と言っても逆に彼女さんが斗真さんを逃したりはしないわね」
「幸せそうで何よりですね」
「相思相愛だもの、このお二人は。斗真さんは彼女さんのために女性を全員苗字呼びに変えたくらいだものね?」
「——ッ! も、もう
背を向けて慌ただしく次のお酒の準備に取り掛かっている斗真。挨拶した時に見せていた落ち着きは皆無になっている。彼女のことを突かれるとかなり弱る性格のようだ。
「彼女さんの名前を出して逃げたわよ。しかも私達の要望を無視してお酒を作るなんてバーテンらしくないわよね」
「葉月さんがからかいすぎるからですよ……」
一緒になってからかっても面白いことにはなるだろうが、龍馬はこれ以上酷くならないようにカバーに入っていた。
恋人代行をしている龍馬は同情したのだ。こうしてからかわれた時のことをふと想像して。
「じゃあ最後にこれだけ言おうかしら。斗真さんと彼女さん、物凄く面白い関係なのよ。立場がクルクル逆転して」
「立場……と言いますと?」
「それはぁ、普段は斗真さんが引っ張っているらしいんだけれど、
「へ」
「な、ななな何言ってるんですか!!」
突如たるオトナの話に呆けてしまう龍馬。そして一番の被害者である斗真は酒瓶を持ったままカウンターから身を乗り出し制止にかかろうとしている。
「今日も仕事終わりに彼女さんにお迎えに来てもらって……あそこに行くんでしょう? あっ、連れていかれるの間違いかも」
「連れていかれる!?」
「も、もうやめてくださいって!! 一体どこから情報得てるんですか!」
「ふふふっ。その反応は図星なの?」
葉月の顔は朱色になっていた。それはこんな会話をしているからではなく……空になったロングカクテルの影響しているのだろう。
「……あの、
「お酒を含んだから気分が高揚しているみたい」
「そ、そんな理由で……」
ほろ酔い状態の葉月だからであろう。普段の鋭さを含みつつ
「……龍馬さん。このような女性には注意を払うようにしてください。自分のようになってしまいますから」
「はい……。気を付けます」
顔を真っ赤にしながら真意に訴えてくるバーテンダーの斗真。目の前で見せられた光景。これほど説得力の感じるものはなかった……。
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