第33話 葉月の恋人代行の電話

 夜の20時過ぎ、タワーマンションの20階に住む葉月は夜景をバックにとある人物に電話でのやり取りをしていた。


「ふふっ、夜遅くにごめんなさい。千秋ちあきさん」

「『夜遅くに』、に対する謝罪を全く感じないんだけど? 開始早々笑っちゃってるし、葉月ちゃんの悪いクセだよそれ」

「しょうがないじゃない。この電話をかける時は恋人代行の件しかないのだから。どうしても気持ちが昂ぶるのよ」

「そう言ってくれるのはありがたいんだけど、この時間は営業時間外なんだよねぇ……。毎回毎回言ってるけど」

「仕事の都合上仕方がないのよ」


 電話で親しそうに話す葉月と千秋ちあき。この2人は友達であり、常連客と提供会社の関係でもある。


「電話鳴ってたからお風呂から急いで出てきたってのに、相手がこれじゃあねぇ……」

「身体的精神的に損をした、とでも言いたそうね」

「実際のところそう」

「でも、この電話を取ったことで千秋ちあきさんの利益になるのだから損をした分が帰ってくるんじゃないかしら?」

「お金に余裕がある人は言うことが違うよねぇ……。羨ましいもんだよ」

「ふふっ、相変わらずの皮肉ね。私よりもお給料があって商売繁盛をしている代表取締役さん?」

「おかげさまなんとかやれてますよ」


 そう、恋人代行の会社を運営しているのが葉月の電話相手である千秋ちあきだ。

 会社を経営している分、代行の依頼電話は欠かせないもの。たった一本の電話を取るだけで会社の仲介料が発生する分、千秋には大きな利益が返ってくるのだ。


「それじゃあそろそろ本題に移るけど……今日は恋人代行の予約でいいんだよね? 葉月ちゃん」

「そのつもりだけれどお風呂の後で大丈夫よ。長話をして千秋さんの身体を冷やさせるわけにはいかないもの」

「お気遣い感謝! でも平気」

「そうなの?」

「なんたってこのスマホ完全防水だから。充電もたっぷりあるし湯に浸かりながら葉月ちゃんと電話を楽しむことにするよ」

「それなら良かったわ」


 最近は本当に便利な世の中だ。電子機器のスマホがお風呂でも使えるようになっているのだから。

 千秋のスマホにはIP68というものが搭載されている。

 IPとは防塵、防水ランクによる等級である。

 防塵ぼうじんのランク6は粉塵ふんじんが中に入らない。

 防水のランク8は継続的に水没しても内部に浸水することがない。

 どちらも最高ランクのものが積まれ、塵や水を気にしなくて良い最強のスマホなのである。


「ってかさ、『身体を冷やさせるわけにはいかない』とか、いきなり気遣わないでよ。偉い子ちゃんになられたら、うちの調子が狂うんだけど?」

 ちゃぷんとお湯に浸かる音。そして千秋の声が響いて聞こえるようになった。言葉通りに浴槽に浸かったのだろう。


「ただでさえ営業時間外にかけているのだから当然の配慮でしょう? 申し訳なくは思っているのよ、私だって。……こうして会社業務を行ってくれていることに感謝しているわ。本当にありがとう」

 電話をしているために千秋には見えない。

 今、この瞬間、目を閉じた葉月が頭を下げていたことを。


「……はぁ。それが葉月ちゃんのワザだよねぇ、怖い怖い」

「技?」

「その出来すぎた配慮という名のワーザ。あとは葉月ちゃん自身の大人の魅力と相交あいまじわっちゃってウチのところの恋人代行者男7人、葉月ちゃんに落とされたんだけど。それで『恋しちゃって代行が上手くいかない』って言い残して辞めていったんだけど」

「そ、そうなの?」


 葉月はとぼけているわけでも、しらばっくれているわけでもなく初耳だったのだ。

『出来すぎた配慮』というものは仕事をしていて身についたスキルであり、プライベートでは無意識に行いつつあるものだ。


「ウチの会社で葉月ちゃんはこう呼ばれているわよ。『ベテランキラーの葉月女王』って。ハハハッ!」 

「なっ、なによその変な通り名……。どうせ千秋さんが広めたんでしょうけど」

「正解、流石は葉月ちゃん。でも間違った通り名ではないよ? 恋人代行のベテランを毎回指定してたった一回の代行で落とすんだから。女性依頼者でそんな人はいないし、まさしくベテランキラーの女王」

「はぁ……。もうそれでいいわ。千秋さんはずっとそう呼び続けるつもりでしょうし、私には止める手段がないもの」


 仕事ではエリアマネージャーを務める葉月。それ相応の頭を持っている分、できないことは仕方がない。諦める。とキッパリした性格の持ち主。

 実際のところ、仕事場にその通り名がバレない限り葉月に弊害はないのだ。


「それで……次の代行予約についてだけれど千秋さんオススメの男性を紹介してくれるかしら」

「紹介してって言うけど、葉月ちゃんが引退させてるから最近はいないんだよねぇ……。ベテランはもうゼロに近いっていうか」

「それならベテランでなくても結構よ。中堅の方かもしくは千秋さんが期待している代行人さんをお願い」

「今、ベテランを作りたいから中堅を落とされるわけにはいかないんだよねぇ。ウチが期待している人ってのは新人クンでも良いの?」


 ベテランキラーの女王である葉月。ベテランを確実に落とすというわけではないが、その通り名は本物である。

 会社として成長をさせたい、安定させたい思いのある千秋からしたら当然の要望である。


「新人さんは少し遠慮したいわ。一度、新人さんを代行相手に選んだけれど会話が弾まなかったのよ。お金を払う以上、楽しい時間を過ごせるのか心配なの」

「その人、葉月ちゃんに一目惚れしちゃってたから許してあげて」

「そうだったの……?」

「葉月ちゃんって鈍いよねぇ……」

「鈍くないわよ」


『そうやってすぐに鈍くないって言うところが鈍感の特徴なんだよねぇ……』

 なんてツッコミを入れたら話がこじれてしまう。確信に近い感情を抱いているからこそ、千秋は心の中に留めていた。


「まぁとりあえず、中堅さん2人と補欠で新人クンを1人紹介ってことでもいい? パッとしなかったら別の人を紹介するから」

「ええ」


 そうしてようやく始まる。代表取締役、千秋から直接の紹介が。


「中堅の1人目。名前は中川じゅん。178cmの32歳。依頼件数は23の5評価中の4.2。気遣いとコミュニケーションに長けてて、強面だけど笑顔を見せた時はすごく可愛いらしい。趣味は花屋さん巡り。なかなか可愛い趣味してると思うよ」


「数をこなしているのに評価高いわね……。二人目をお願いしても良いかしら」


「中堅の2人目。名前は加藤のぼる。171cmの29歳。依頼件数は20の5評価中の4.0。お酒に詳しく美味しいお酒を紹介してくれるらしい。ウチの感覚で中堅の中で一番顔が整ってると思うね。趣味はゲームだって」

「お酒に詳しいのは魅力的ね。一緒にBarに行くのも楽しそうだわ」

「この人との代行はBarが多いね。お酒の席とかはこの人を連れてくといいかも」


 中堅2人の紹介が終わる。どちらも依頼件数は20以上で代行に慣れている。

 千秋の紹介、依頼人からの高評価。当たり人物なのは違いないだろう。


「次が最後ね。……期待していないけれど新人さんを教えてちょうだい」

「棘出てるねぇ葉月ちゃん。新人クンと悪い思い出があるのは分かってるけど」


 なんてフォローを入れつつの千秋だが、自ら『“補欠”で新人クンを1人紹介』と言っている。どっちもどっちである。


「最後に新人クンの1人。名前は斯波——」

「斯波!?」

「んっ!?」

 千秋のお風呂場がやまびこのように反響する。珍しく大声を出した葉月の声によって。


「ど、どうしたの葉月ちゃん。その食いつき具合……」

「な、なんでもないわ。続けて」


 葉月は冷静になるために回転式の椅子を180度回して夜景に目を向けながらゆっくりと息を吐き出す。

 明かりが漏れた一軒家、マンション。街灯。車のライト。宝石のように輝いている。


「それじゃあ続けるけど……名前は斯波龍馬、174cmの20歳。依頼件数は1の5評価中4.9。この評価基準が面白いんだけどね、依頼者が5をあげるのは悔しいから4.9だって! ハハハッ、面白いでしょ! 実質5評価中の5」

「……斯波龍馬。次の情報を教えてちょうだい」


 葉月の中で一つ、泥酔状態時にあった朧げな記憶。

 斯波という男性がタクシー会社に電話を入れた時、フルネームで名乗っていた声。そして、年齢と身長も似ていた。 


 酔い冷ましに水を買ってもらったこと。女性ドライバーのタクシーを依頼していたこと。寒い中何十分も待ってくれていたこと。

 お礼をし損ねた彼、斯波のフルネームにそっくりだったのだ。


「もうちょっと食いついてもらっても……」

「……」

 千秋の声は葉月に聞こえていなかった。記憶のつなぎ合わせに集中していたのだ。


「えっと新人クンだからこの1人の依頼者と面接時の資料を参考にするけど、料理が趣味の聞き上手。コミュニケーションと距離の縮め方が上手くて頼り甲斐がある。趣味を肯定してくれたりわがままも嫌な顔せずに聞いてくれるらしく、お節介。へぇ、この人自分のものは自分で買うんだ……って、この女の子、新人を全部褒めてるしハハッ!」

「…………」


 頼り甲斐がある。嫌な顔をしない。お節介。

 葉月の中に、どんどんとその人物像が合致していく。


「千秋さん。私、その斯波くんを指名するわ」

 そのお礼し損ねた彼と似ているだけかもしれない。しかし、お金をかける価値は十二分にあると葉月は思っていた。

 もし、あの彼だったのならようやくお礼が出来るわけでもあるのだから。


「えっ!? 葉月ちゃん本当にこの人でいいの? うちが言うのもなんだけど補欠で挙げた新人クンだよ?」

「その人いいわ。20歳だし少しくらいはお酒も飲めるでしょうし」

「前のような新人クンみたいになっても知らないよ?」

「その時はその時なりに楽しむことにするわ。……あの彼ならそんなことはないでしょうけど」

「ん……?」


 独り言。電話では聞き取れないぐらいの声量が葉月から発されていた。


「その彼、斯波くんは日曜日空いてるかしら」

「空いてる空いてる。24時までには帰らせるようにってのが条件になってる」

「それなら今週の日曜日に入れておいて。仕事が入るかもだから21時から24時の間で」

「り、了解」


 そうして今までにない速さで恋人代行の日時が決まる。

 予定を取り付けた葉月は電話を切り、首をねじってガラス張りの机に目を向ける。


(斯波……龍馬。ふふっ。さて、あの人だと良いけれど)

 偶然、それは予想もしない時に訪れる。

 その机上には、泥酔時に奢ってもらった空のペットボトルが置いてあった。



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