第30話 タクシードライバーと葉月の顔
「車内の温度は大丈夫ですかー? 暖房もっと強くできますよっ! 今は5段階中2ですので!」
「お気遣いありがとう。丁度良い温度だわ」
「それなら良かったです! あと……行き先はグライアルガーデンGRタワーで良かったですよねっ? 一応、酔いが少し覚めてるご本人様にも確認しておきたくてですね!」
「ええ、そこでお願い」
「かしこまりましたっ!」
タクシーの中。葉月は安心しきっていた。
通常なら男性ドライバーでも何も問題はないが、今日は違う。
酔っている状態の時に女性ドライバーに当たったこと。警戒することもないこの実情が嬉しかった。
今日は運が悪い方ではないと葉月は思っていた。
「あっ、自己紹介が遅れましたね! ワタシの名前は
「
「葉月さんですねっ! ではでは、自己紹介も終わって葉月さんが会話ができる状態まで回復しているということでワタシからお節介タイムを始めさせていただきますっ!」
「お、お節介タイム……?」
「ぱっぱかぱーん!」と擬音を口にするハイテンション女性ドライバー鈴。こんな時間によくその調子を保っていられるものだ。
そして、そのテンションに見合わない左右確認重視の安全運転である。
「そうですっ! おんなじ女性としてやっぱり心配なんです! 特に葉月さんは美人さんですからねっ!」
「えっと……それは?」
「葉月さんはお酒を飲む量に注意してください! それかお酒を飲むごとにお水を飲むようにしてください! あんなところで酔い潰れたりしちゃあ絶対ダメです! 悪い人にお持ち帰りされてもおかしくなかったんですよ? 今ここでクラクションという名の喝を入れたい気分です!」
「え、ええ……。そこは反省しているの。私もあそこまでなるとは思わなかったから……」
「はい、その言葉通りしっかりと反省してください! これでお節介タイムを終わります!」
「ふふっ、お節介を焼いてくれてありがとう。肝に命じておくわ」
「どういたしましてっ!」
お節介を感謝されたことが嬉しかったのだろう、鈴は感情を示すようにフロントウォッシャーを出した。
フロントガラスを綺麗にするために出したりする液体である。
「葉月さんは今日は飲み会だったんですかねっ?」
「飲み、の方が正しいわね。仕事仲間の相談に乗っていたの」
「相談に乗っていた!? もしかしなくても仕事バリバリできてる方じゃないですか! その若さで凄いです……!」
「その若さでってあなたも十二分に若いでしょう?」
「来年、27になりますっ!」
「あら、同い年ね」
「おぉ! それはすごい偶然ですねっ!」
牛や馬などに乗って振り落とされないようにするスポーツ、ロデオを模した機械のロデオマシンに乗るように運転席で2、3度大きく跳ねている鈴を笑顔で見つめる葉月。
「じゃあ、今日は仕事仲間さんの相談ごとに乗っていっぱいお酒を飲んじゃったってわけですか?」
「ええ。その方がお酒に強くて——」
「——お姉さんはお酒に弱いけど気を遣わせないために無理をしたと!」
「そうなるわね……。でも次は無理をしないようにするわ。ドライバーさんにもお叱りのお言葉もいただいたから」
「そうですねっ! 是非そうしてください!」
ニコニコ笑顔をする鈴と微笑を浮かべた葉月。バックミラー越しに視線が混じり合う。同い年ということで距離の縮まり方は早いのだ。
「あの、葉月さんに一つ質問イイですかっ?」
「なにかしら?」
「どうして葉月さんはあの男の人の前でずっと酔っ払ってたフリをしてたんですかっ? ワタシが来る時にはもう酔い覚めてましたよね? ぐったりしてたのにタクシーにすすすって乗り込んでたので!」
「……良く見ているのね。流石はドライバーさんってところかしら」
「なんか葉月さんに褒められると……変なスイッチ入っちゃいそうです。襲っちゃいそうですね!」
「お、お願いだからそれはやめて……? 今は抵抗できる力がないの」
「んっ!? 最後のは言っちゃダメだと思いますよ!?」
「ふふっ、鈴さんがそんなことをする人じゃないのは分かっているわ」
不自由のない会話をしていても、飲み慣れてないお酒の影響は健在している。まだ頭はぼーっとしている。拳を作っても力は全然出ない葉月。
「話を戻すけれど酔いが覚めてびっくりしたの……。見知らぬ男性が隣に立っていたから。何が目的かも分からなかったし、変に刺激を与えない方が良いと思ったの。襲われたりしたのなら私は何もできなかったでしょうから」
「えええっ!? 何が目的か分からなかったって、つまりタクシーが来ることは知らなかったんですかっ!?」
「呼んでくれてたような呼んでないような、曖昧だったの。確証はなかったわ。……あの場所にタクシーが着いた時に彼が呼んでくれたのだと気付いたの」
「おぉ……お酒の力って凄いですね」
「そうね……」
「でも、葉月さんは運が良いですね。優しい人に見つけてもらえたんですから。もしワタシが斯波さんの立場だったらお姉さんをお持ち帰りしてたか、こっそりセクハラしてますもん!」
「……セクハラなら彼はしていたのかもしれないけれどね。タクシーを呼んでもらってこの言い草は失礼だけれど」
泥酔していた葉月はタクシーを待っている間の記憶は無いにも等しかった。
明確なことがない分、可能性を含めて語るのだ。
「大丈夫ですよっ! あの人は100パーセントしてないので!」
「どうしてそう言い切れるのかしら……?」
「だって、斯波さんは葉月さんが泥酔しているからってことで女性ドライバーの指名をしてきたんですよー? そこまで気を利かせられる人がセクハラするはずありませんって!」
「えっ……そうだったの?」
葉月はここで初めて知る。女性ドライバーに当たったのは偶然ではなかったのだと。
「ですです! それにワタシがお迎えに上がった時、斯波さんは葉月さんと少し距離を開けて待ってくれていました。……言葉は悪いですけど、あの人が無抵抗な葉月さんの隣に座ってワザともたれかからせることも出来たはずです。『この人がいきなり寄りかかってきたんだ!』とか目撃証言がない限りセクハラが証明されない手を使うこともなく」
「……」
「あとは……そうですね。この寒さの中、ワタシが来る20分間ずっと待ってくれてました。言葉を言い換えると葉月さんを別の男の人から守ってくれてた、ですね。ワタシが来た時も嫌な顔してなかったので、若いのにしっかりした人だなぁって思ってました。しっかり度だとアタシは負けちゃってますねっ! あははっ」
タクシードライバーの職種に就いている鈴。これまでにたくさんに人間を見てきている分、説得力がある。
そして自虐的に言っているがそれもまた本心の一つなのだろう。
葉月は鈴の言葉を冷静に受け止め……心を痛めていた。
(ここまで私のこと気遣ってくれたのに、どうして彼のセクハラを疑ってしまったのだろう……)
と、バックにある冷えた天然水に触れて。
「あっ! 美談で語っちゃってますけど葉月さんがタワーマンションに住んでるってことで斯波さんに下心はあったのかもですよ? まぁこのタクシーをすぐに進ませたあたりごく僅かだと思いますが!」
「ふふっ、結局のところ美談になっているじゃない」
葉月は馬鹿らしくなっていた。鈴が褒めちぎる相手、龍馬という彼を警戒して酔っていたふりを続けていたことに。
暖かな気持ちになる。
知らない間にたくさんのことをしてくれたことに。
そして、社会人として当然の感情が湧く。
「鈴さん」
「はいなんでしょう?」
「鈴さんはその……彼の、
「——そればかりはすみません」
葉月の言いたいことを全て汲み取った鈴は、声を被せて済まなそうに声色を落とした。
「ワタシも社会に出ているので葉月さんがあの人にお礼をしたい気持ちは分かります。でも、お客様情報は個人情報で守秘義務等に当たります。トラブルを起こさないためにも、お客様一人一人を大事にするためにも教えることはできないんです」
「……そうよね。無理を言ってごめんなさい」
「いえいえ、ワタシが融通が利かなくてすみません!」
「ふふっ、融通を利かせたらダメじゃないのかしら?」
「そ、そうでしたっ!」
会社に出ている者、そして部下を持つ葉月に誰にでもフレンドリーで安全運転を心掛けている鈴。
仕事が出来る人間が持つ、重い雰囲気からの切り替えの早さはなかなかに真似できるものではない。
その後は明るい話を続け——鈴が運転するタクシーは葉月の目的地であるグライアルガーデンGRタワーに着いた。
「今日は本当にありがとう」
「いえいえ! それではお代金のほう1740円ちょうだいいたします!」
「これ受け取っておいて。私の気持ちよ」
「んえ゛!?」
葉月から差し出される金額に固まる鈴。その手にあるのは一つのお札、1万円である。
鈴は初めて体験した。この代金で5000円ではなく、1万円をもらうことを。
「いやいや、これは流石にお釣り返しますっ! えっと……暗算暗算……えっと……」
「8260円分は鈴さんの名刺をいただきたいの。次からはあなたを指名させていただくわ」
「ワタシの名刺にそんな価値ないですからねっ!? はいこれですっ!
「名刺ありがとう。……あと、好意は素直に受け取っておくものよ?」
その名刺を両手で受け取った葉月は、名刺交換をする要領で1万円をすっと鈴の手に入れこませた。
「それではまた会いましょう、鈴さん」
「えっ、あ……は、はいっ! ご利用ありがとうございましたー!」
現金を渡し終えた葉月は鈴と頭を下げ合い、タワーマンションの入り口に近づいていく。
(鈴さんの口を割るにはどうすれば良いのかしら……。仕事熱心な方だしこれは骨が折れそうだわ……。今分かっているのは斯波という苗字だけね……)
あの場では気持ちを切り替えていた葉月だったがまだ諦めていなかったのだ。
(ふふっ、私はダメね。男性から嬉しいことをされるとすぐにコレをしたくなるわ……)
カバンの中からカードキーとスマホを手に取った葉月は、セキュリティーを解除しながらスマホの電源をつけた。
そして、タワーマンションの玄関口に入った最中、葉月のスマホの液晶に映っていたのは——
恋人代行サービスのホームページだった。
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