第15話 side愛羅 ちょっとずれた兄妹の甘え方
「ただいまー」
明かりのない室内。パパとママはやっぱり帰ってきていない。いつも通り。
挨拶が返されないこともわかってるけどこれがアーシの日常。挨拶しなかったら少し気分が下がる気するし。
アーシは靴を脱いで暗闇の中、2階の自室に向かう。
もう十何年と住んでる家。明かりがなくても感覚でわかる。
『ガチャ』
ドアの取っ手を引いて明かりのスイッチを押すと同時、
「今日大収穫したしーっ!」
ちょっとイタいけど、さっきからずっと顔の緩みが取れないからちょうどいい。
今絶対変な顔になってる。
お兄ちゃんに送ってもらった時から……って、お兄ちゃんって我に帰ったらめっちゃ恥ずいじゃん……。
「……お兄ちゃんって呼ぶだけでなんでこうなるっつーの……」
アーシから言ったことだけど、八つ当たりしてなきゃ顔から火が出そう。
足をジタバタさせてどうにか感情を抑える。
今はお兄ちゃんじゃなくてセンパイって呼ぶことにしよ……。こっちのほーが恥ずくないしそれがいい。
どうせこれからお兄ちゃんって呼べるんだし……。
アーシは身体を反転させて顔を触る。——ん、普通にニヤけてる。
でもさ、こればっかりはどうしようもないってね。
ずっと欲しかった
もしこのマフラー付けてなかったら、アーシ絶対センパイに何か言われてた。一緒に帰ってる時に『なにニヤけてんだよ』みたいなの。
「……あんがと、マフラーさん。センパイに変な目で見られずに済んだし」
アーシはお礼を言いながら黒のマフラーを取って、取って——
「って、アーシ……センパイのマフラー持って帰ってきてんじゃん」
今気づいた。センパイにマフラー返してなかったこと。
しかもコレ、
ってかセンパイ、なんでマフラー返してって言わなかったんだろ。
もしかしたらセンパイもマフラー返されてないのに気づいてなかったかもだけど、その可能性は低い。
なんだかんだであのセンパイ、貸し借りのことは覚えてる人だし。
「今日はこのマフラーで寂しさ我慢してろ……とか?」
……確証ないけどなんとなくそんな気がする。なんか、そう考えたら思い通りに動かされてるようでウザいけど、
「……マ、棚からぼた餅ってことにしてあげる」
思いついたことわざ。
思いがけない好運を得ること。労せずしてよいものを得ること。今の状況はそうと言っていい。
「マフラー巻いた時から思ってたけど、めっちゃいい匂いするし……。どんな洗剤と柔軟剤組み合わせてんだろ。それともセンパイの家に置いてる芳香剤とか?」
アーシはマフラーを畳んで、もうちょっとだけ匂いを嗅ぐ。
センパイの服がクサいとか言っちゃったけどそんなことはない。
実際はめっちゃいい匂い。センパイ絶対匂いに気を遣ってるのがわかるくらい。
「このままじゃ、マフラーもったいないし……今日はコレ抱いて寝よっかな」
貸してくれたってことは自由に使っていいってこと。なんかこの匂い落ち着くしすぐ寝れそうだし……。
アーシの匂いがつくかもだけど、そのぐらいじゃセンパイは怒らないからいい。
「……あー。センパイがお兄ちゃん……か」
今になって実感が湧いてくる。センパイがお兄ちゃんになってくれたことに。
嬉しくなった時にはどうしても見たくなるものがある。アーシはベッド棚の中からとある漫画を取り出す。
【寂しがり屋の妹は恋愛感情ヌキ!? なのでお姉ちゃんの彼氏に甘えたい】
それはアーシが初めて買った漫画。アーシがお兄ちゃんを欲しくなった理由の元。
でびるちゃんって有名な漫画家がおすすめツイートしてたのがバズってて、アーシのTwitterアカウントにまで流れてきた。
試し読みして続きが気になったからすぐ購入した。
タイトルの通り寂しがり屋の妹が姉の彼氏に甘えるお話。
内容としては妹が姉の彼氏に甘え、その度に姉が嫉妬したり、怒ったりする。
その甘える理由は妹自身の寂しさを埋めるため。
妹は姉に甘えるのはプライドが許さない! なんてちょっと強引な設定だったけど違和感なく読み進められた。
妹は好き勝手し放題。
彼氏に膝枕を要求したり、料理作ってってお願いしたり、おでかけしたり。
姉の気持ちになってみたらモヤモヤするかもだけど、アーシは妹に感情移入してた。
だって、アーシも寂しい思いをしてる1人だから。構ってほしいって気持ちは痛いほどわかってるから。
読み進めていくうちに、アーシは続編を買って気づけばあと1巻で最新刊に追いついてたから。
どハマりだった。一日中、その漫画の展開を考えるくらいに。気持ち悪って思うかもだけど、妄想するくらいに。
その漫画のせいでお兄ちゃんの存在がどんどん羨ましくなった。
だから、ビックリした。
——その漫画の最新刊を買おうとあの書店に寄った時、その漫画に出てくる姉の彼氏がいたから……じゃなくって、それくらいに似た
マ、その書店員がセンパイになるワケだけど……アーシの思考がおかしいのは承知で、この人をお兄ちゃんにしたいって思った。あの妹のように構ってくれるんじゃないかって。漫画の世界に入りこんだみたいに感じた。
だからアーシは、どうにかあの書店員と関係を作りたかった。仲良くなりたかった。
仲良くなるには会話する以外にない。だからアーシはネットから数作品の漫画を調べて書店員に聞いた。これで会話ができるし……。
『これはどこにあるかなぁ……』なんて声を期待して『一緒に探そ』なんてセリフを考えてたけど、センパイはスラスラと答えやがったし。
クソ仕事できる人で、めっちゃ丁寧な接客をしてくれた。
それはちょっと残念だった。漫画に出てくる彼氏の性格が全然違ったから。
顔は似てるけど、やっぱ漫画の通りの性格じゃないか……なんて当たり前のことだと割り切ったけど……センパイが素を出した時にわかった。
この人、性格まで似てるって。
ウザそーにするけど、なんだかんだお願いを叶えてくれる。
メンドくさそーにするけど、なんだかんだ優しくしてくれる。
漫画の主人公の妹になったつもりはないけど、アーシの中でお兄ちゃんはこの人しかいないって思った。
だからホントに嬉しい。お兄ちゃんとして狙ってたセンパイ落とせたし。
今思えば、パパとママの仕事が忙しくなって良かった。もしこんな状況じゃなかったら、お兄ちゃんはできてなかったから。
15万円のお金を使ったけど、アーシにとっては妥当な金額。
パパはよく言う。『お金は自分を守るためにある』って。
その通りだった。多分、センパイはお金がなかったらアーシのお兄ちゃんにはならなかっただろうから。
でもそれが普通。対価もなしに要求を飲むのは漫画の中の勇者くらい。
現実はそう甘くない。甘くないけど……アーシは大満足。センパイがアーシのお兄ちゃんをしてくれるだけで。
頑張ったことがあれば褒めてくれる。悪いことしたら叱ってくれる。お喋り相手にもなってくれる。
あの漫画の主人公、妹のように毎日が寂しいわけじゃなくなる。それどころか、センパイにいっぱい甘えられる。
「どうしよ……なにしてもらお。やっぱ膝枕とか……? あ、おんぶとだっこもしてほしーな」
世の中の妹はお兄ちゃんにこんな感じ甘えてるはずだから、変な要求じゃないはず。
——漫画がそうだからきっとそう。そんなスキンシップをしたりするのは当たり前。
(でも、おんぶとかだっこって胸あたりそうだけど……どうするんだろ……)
アーシは胸に手を当てる。周りの高校生と比べたら大きいほうだから……やっぱり漫画みたいに押し付ける……? そんなのしたら心臓の音バレそーだけど……って、漫画の通りにすればいっかな。
——兄妹の教科書と言えば漫画だし。
アーシ、これからセンパイにいっぱい甘えるんだ……。やっば、めっちゃ恥ずいんだけど……。緊張ヤバ……。
妄想しただけなのに鼓動が早い。でも、これからは膝枕もおんぶもだっこもしてもらえるし……。
「セン、パイ……」
アーシはセンパイのマフラーに顔を埋めてベッドに寝転がる。
早くセンパイに会いたい……。めっちゃ甘えたいんだけど……。
センパイとこれからのことするって考えるとめっちゃ顔が熱い……。今耳まで赤くなってる気がするし……。
「すぅー」
でも、今日は、今日だけはこのマフラーがあって良かった。
センパイの匂い……めっちゃ落ち着く……。
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