第14話 愛羅の本心を知る龍馬

「だ、だからお兄ちゃんになってくれるヤツ……。アーシがお金払うからさ、してよ」

 左手でマフラーを抑え、顔の下半分を隠したまま曇りない翡翠の双眸を龍馬に向ける。

 これは勇気を振り絞った思い。愛羅の口元が震えていることなど、龍馬は想像すらしていない。


「正気か?」

「正気かって言われてもアーシ、マジだし……」

「……いや、あのな。もっと冷静になれって。今言ってることがおかしいことぐらい分かるだろ? 特にお前は頭がいいんだから」

「……逆にセンパイはどうして止めようとするワケ? センパイにとっても好条件じゃん。アーシのお兄ちゃん役するだけでセンパイが大好きなオカネもらえるんだし」

「いろいろあるんだよ……」


 現段階での金額は伝えられていないが、社長の娘である愛羅からの報酬は間違いなく大きい。それでいて愛羅が掲示してくる条件は掛け持ちしている恋人代行のバイトと似ている。


 しかし、愛羅は未成年の高校生であり龍馬は20になった成人の大学生。

 立場を示すべき……なんて無意識な思いがあり、ちっぽけなプライドもあり、今回の件は会社が仲介しない。

 問題が発生しても全て個人で責任を負わなければならない。愛羅の両親にバレた時のリスクも大きい。


 お金は一銭でも多く欲しくはあるが、龍馬は恋人代行のバイトもまだ始めたばかり。これから少しずつ依頼が増えていくことになる。


 今のリスクを考えたのなら先を急ぐこともない。断る以外に選択肢はないのだ。


「アーシはもう決めてる。センパイをお兄ちゃんにするって」

「今猛烈に頭おかしいこと言ってるからな、愛羅」

「仕方ないじゃん。どう頼んでもこんな言い方になるし。……でも、予想してたから。センパイがそう簡単にOKしてくれないことくらい。“いい方”の目の色を変えるタイプだからさ」

 愛羅なりの主観だが、実際に当たっていることが凄いことである。


「だからちゃんとアーシなりに考えてきた。センパイを落とす方法ホウホーってやつ」

 学生カバンを開けながら愛羅は言った。その中に何かの秘策があるようだ。


「あのな、そもそも今日のことは冗談だし俺は完全に断るつも——」

「——じゃ、このお金を見ても?」

「……は?」

 龍馬は今、目の前で何が起こっているか脳で処理しきれなかった。

 愛羅が学生カバンを開けたと思えば、その両手におうぎ形で広げた万札が現れたのだ。ざっと見ただけで10枚以上。……そんな大金が。


「迷惑費とか込み込み、1ヶ月契約で150K。アーシにはまだまだ貯金があるし、受けてくれたらそれ相応の対価をあげるつもり」

「……」

 150K。値段にして15万円。

 龍馬のバイト代2ヶ月ほどの金額を愛羅を示してきたのだ。


「アーシのお兄ちゃん。これでなってくれる?」

「おい、どう考えても高校生が持ち歩く金額じゃないだろ……15万って」

「話逸らすなし。これでも足りないならコンビニでもっとお金下ろしてくるけど。カードあるし」

「ま、待て待て。十分だから」

 15万円という金額。これが足りないと思う者は金銭感覚が完全に狂っている。


「じゃ、なってくれる?」

「そ、そうじゃなくてだな……。このお金があれば遊びにいくなり、漫画買うなりゲーム買うなり、好きなようにできるだろ? どうしてそこまで、、、、、、、、お兄ちゃんにこだわるんだよ」

 これだけのお金があれば自由に遊びにいける。漫画だって値段を気にすることなく買える。最新機種のゲーム機だって5万円もしない。ゲームソフトだって何十個も買える。


 そんな大金を使ってまで仮のお兄ちゃんを作ろうとしている理由。きっとなにかあるはずなのだ。


「……」

「……」

 両手に持つ大金を下ろし、今日初めて見せる黙り。……いや、愛羅と関わって初めてのことだった。


「…………」

「…………」

 暗澹あんたんとした空間に、寒さが染みる気温。

 30秒ほどの長い時間が経過した矢先、

「もし笑ったら……急所蹴ってコロスから」

 唐突に声を出す愛羅。


「その時は好きなようにしてくれ。この空気の中じゃ笑えるもんも笑えない」

 どんなに笑いのツボが浅い人間でも龍馬のように答えるだろう。それだけに今の空気は裁判中のように重苦しい。


「アーシ……」

「ん?」

「ずっと我慢してきた。ずっと……。でも、もう我慢できないんだし……」

「……」

『なにが我慢できないんだ?』と聞く前に俯いた愛羅は言葉を続ける。


「朝、学校行く時もウチに帰ってもアーシひとり……。ご飯を買いに行くのも食べるのもひとり」

「……」

「テストで良い点とっても悪いことしてもなんにも言われないってなに……? こんな高校生ってアーシ以外にいる……? こんなの、寂しいに決まってるじゃん……」

「……愛羅」


 龍馬は初めて愛羅の心情を理解した。


 愛羅がなぜ龍馬がいる日に限って来店するのか。邪魔ばかりしてくるのか。毎回テストを自慢してくるのか。軽口の言い合いを嬉しそうにするのか。

 それは、昔の両親のように、、、、、、、構ってくれる人がたった1人しかいなかったからなのだと。


「アーシもう高校生だよ……。寂しいなんてパパとママにも学校の友達にも言えっこないじゃん……。寂しいやつだって思われたくない。そんな目で見られたくない……」

「……そっか」

 寂しそうに見られたくない。その思いが、愛羅をギャルのような格好にさせているのかもしれない。

 そして、同情されたくないという感情は龍馬も深く理解していること。今まで龍馬が自身の家庭環境を言っていないのがその証拠。


 龍馬と愛羅の決定的な違いは“きょうだい”がいるかどうかだろう。


 龍馬は姉であるカヤがいる。喋り相手にも構ってくれる身近な相手。家でひとりっきりになることはあまりない。

 逆に愛羅は1人っ子。心の鬱憤を打ち明けることもできず構ってくれる相手もいない。家に帰ってもひとりっきり。


 愛羅はまだ高校2年。両親の支えがなければまだ生きてはいけない時期。


「はぁ……」

(もうリスクどころの問題じゃないな……これは)

 愛羅の深意を知ってしまった龍馬。これでも断れる者がいれば、そのメンタルを見習いたいところである。


「言っとくけど、そんな話を聞いても俺は同情しないからな」

「……したらコロスし……」

「でも、気は変わった」

「っ!」

『パシッ』と、愛羅から15万円を奪い取る龍馬。力のない両手にある万札を取るのは簡単だった。


「……よくよく考えれば1ヶ月15万は破格だ。これを受けない奴の頭はおかしいな」

 その万札を龍馬はポケットにしまう。


「……ウソつくなっての。アーシに同情すんなっての……」

「いや、してないんだが」

「優しい顔してんじゃん……」

「その言い分なら俺は常に怖い顔してることになるんだが……」


 龍馬は本当に同情なんてしていない。同情の嫌さを一番知っているからこそ、だ。


「あのな、同情してたらこんな大金受け取らない。俺の利益になると思ったから今回の件を受けただけ。そこ間違えるな」

「その言い方……ウザいし……」

「って、もうすぐ50分かよ……。愛羅、そろそろ帰れ。補導されるぞ」

 再度スマホの電波時計を確認すれば『22:45』の文字が映しだされていた。


「じゃ、家まで送ってよ……」

「いや、なんでそうなるんだよ。俺早く家に帰りたいんだが」

「お金、受け取った時点で契約スタートだし。断ったらパパにチクるから。センパイがアーシのお金詐欺ったって」

「……策士かよ」

 

 愛羅の言い分からして、龍馬に勝ち目はない。

 言葉はアレだが、意味合い的には間違っていない。頭が回る相手との取引をする際の厄介な点である。


「じゃ、早く行くぞ」

「うん……」


 先に龍馬が立ち上がり、愛羅も続けて立ち上がる。

 気鬱な空気はすでに去っていた。



 ****



「……ね、お兄ちゃん。さっきのアレ、アーシの本心ぽいやつもお兄ちゃんを落とす作戦だったとか言ったら……怒る?」

「涙出そうな目をしてた時点でありえないからな」


 隣に並びながらぽこんと愛羅の頭にげんこつを打つ。愛羅が呼び名を変えていたのは気にしない龍馬であった。





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