TAKE7
翌日、午後9時を少し回った頃、俺は例の事務所に来ていた。
そこはオフィスビルであるから、この時間正面玄関は既に閉まっている。
だが、俺は探偵だ。
裏に回り、警備員が巡回に出かける一瞬の隙をついて、通用口から中へと入った。
勿論エレベーターも止まっているから、階段を使って上がるしかない。
もっとも、俺は常に階段を使っているから、それが20階だろうと100階だろうと屁でもない。
廊下は既に灯りが落とされていて、ところどころに非常灯がついているだけだ。
俺は壁に張り付くようにして、ゆっくりと進む。
すると一か所だけ、ドアの
ノブに手をかけ、ゆっくりと中に向かって開く。
この間見たオフィスの中に、ヤハギ氏が一人だけ残って、パソコンに向かって、何やら『作業』をしていた。
彼が向かっているパソコンから、妙な声が聞こえてくる。
そう、それは以前俺が聞いた『あの声』だった。
ヤハギ氏はその『声』を、パソコンに取り込んで一人でそれに聞き入っている。
その顔・・・・
暗闇の中でもはっきり判別出来る。
勿論聞こえているのは『声』だけだが、彼はその声に反応し、目に異様な輝きを見せていた。
鼻息が荒くなり、彼の手がズボンの股間にかかる。
何をしようとしているか、これ以上書くまでもあるまい。
俺はわざと大きな音を立てて壁をノックし、スイッチをオンにする。
室内が明るくなった
はっとして、奴はデスクの引き出しに手を突っ込む。
俺は迷わず、一発発射した。
M1917を構えたまま、俺は大股でゆっくり彼の側に歩み寄り、机の引き出しを開けてみる。
そこにはワルサーPPKが入っており、奴の手はグリップを掴みかけていた。
ヤハギの手からそれをもぎ取ると、俺はマガジンを抜き、遊底を引いて、今まさに発射しようとしていた一発も外へはじき出す。
『お前さんが金を使って俺の顔にイロをつけさせた連中を絞り上げたよ・・・・ここに一切合切を録音したレコーダーがある。何なら聞かせようか?ええ?ハヤミシュンさん?』
『・・・・』
『あんたの写真を見せたら奴ら口を揃えていったよ”この人が速水俊だ”ってね。それで思い出したんだ。今から十年以上前、デビューして、ちょっとだけ売れて、直ぐにダメになった歌手がいた。俺はそれほど芸能関係に詳しくないが、俺以上に精通してるのがいてね。そいつが教えてくれたよ。そいつにもあんたの写真を見せたら、やっぱりそうだった。売れなくなった後、あんたは細々ながらアニメの制作なんかに携わり、それが音響監督の仕事に繋がった。』
『ここから先は俺の想像だが、あんたは千草しおりがまだ売れる前、彼女が“KAREN”と名乗って、大人の声の仕事をしている頃から目をつけていた。自分のものにしたいと思った。そこであんたは当時の彼女の音源を何とか全部自分で手に入れた。勿論それは公私ともにという理由だが・・・・・そこで今回の騒動を引き起こしたってわけさ。完ぺきとは言わないまでも、案外外れちゃいまい』
『・・・・あ、あんた、それを調べてどうするつもりだ?』
ヤハギ氏はごくりと唾を飲み込み、やっとそれだけの言葉を発した。
『決まってるだろ?俺は探偵だぜ?依頼された仕事を忠実にこなす。それだけだ』
『仕事?』
『俺の依頼人は千草しおりだからな。彼女から依頼されたのは・・・・』
『幾らだ?幾らなら、その依頼を取り下げて貰える』
『やだね。俺の報告を聞いて、彼女がどう対処するかについては、
俺はそれだけ言い残すと、踵を返し、そのまま事務所を出て行った。
翌日、俺は千草しおり嬢に報告書を手渡した。
彼女からは『ご苦労様でした』といい、規定通りのギャラを手渡された。
え?
ヤハギ氏とのその後についてはどうなったかって?
さあ、俺には関係のないことだ。
ただ、彼女は独力で個人事務所を立ち上げ、そして以前よりももっと精力的に仕事をこなしている。
件のアニメのナレーションは別の声優に譲ったそうだ。
寒くなったな。
俺は『アヴァンティ!』のカウンターでバーボンのグラスを傾けていた。
奥歯に酒が沁みる。
そろそろお湯割りが恋しい季節かな。
終わり
*)この物語は全てフィクションであり、登場する人物その他は、全て作者の想像の産物であります。
さらば悩ましき声 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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