TAKE4

 まだ蠅の音が遠くで響いている。

 

 だが、まぶたが開き、意識が次第にはっきりしてきた。


 真っ白な明かりが、俺の眼の中に飛び込んでくる。


 場所は何処だか分からない。打ちっぱなしのコンクリートがそのままになっている壁が映った。

 恐らく建築途中か、放棄された廃ビル、そんなところだろう。


 俺はどうやら、パイプ椅子に座らされ、両腕を後ろ手に縛られているようだ。


『目が覚めたか?』


 野太い声が聞こえる。


 ベースボールキャップの、背の高い男が俺の顔を覗き込んだ。


『ああ』俺は答えて肩を動かそうとした。身体が揺れ、パイプ椅子がガタガタ音を立てる。


『兄貴、こいつ探偵らしいぜ』


 別の声が右手の方で聞こえた。目をそちら側に移すと、あのニキビだらけのキュウリみたいな顔をした男だ。俺の上着から認可証とバッジのホルダーを取り出して

覗き込み、嫌な笑みを浮かべている。


『探偵か・・・・おい、何を調べてた?』


 キャップ男が凄みを効かせて俺に言う。


 俺は頭を傾けて目を反らした。


『もう一度聞く。何を調べていたんだ?』


『俺は無口を売り物にしてるんだ』


『けっ!』


 キャップ男が何時の間にか手にブラックジャックを持ち、思い切り俺の腹をどついた。


 もう少しで倒れそうになったものの、辛うじて態勢を保つ。


『もう一度言う。誰に頼まれた?』


『あんたらに言う義理はないな』


『野郎!』

 

 二度目の攻撃が俺の腹に加えられた。


 俺は椅子ごと床の上に倒れる。


 確かに痛かったが、我慢できないというほどでもない。身体は鍛えておくもんだな。


 結局、俺は時間にして約40分、奴らに怒鳴られたり、どつかれたりを繰り返された。

 

 非暴力もたまにゃいい。


 当り前だが何も喋らなかった。


(タフガイの面目躍如ってとこだな)だって?


 これは俺の仕事だぜ。


 探偵の口が軽けりゃ、明日からメシの喰いあげだ。


 二人は諦めたのか、それとも最初からそのつもりだったのか、どっちだか分からないが、結局そこまでで俺への打擲ちょうちゃくを中止し、一人がどこかに電話をかけていた。


 小声だったので、はっきりと聞こえた訳じゃないが、頭の隅に、


”ヤハギさん”という声だけが残った。


 やがて、キャップ男が俺の側に戻ってくると襟を持って、精一杯の声で凄む。


(いいか、これ以上の周りを嗅ぎまわるな。今度はこの程度じゃ済まないぜ)


 俺はまた目隠しをされ、ワンボックスカーに押し込められ、中野まで戻され、そこで解放された。

 

 目隠しを取る前に、また念押しのつもりだったんだろう。同じ殺し文句を繰り返すと、そのまま二人は走り去っていった。


 空には夕闇が迫っている。


 こんな時間だ、幾ら平日だからって、病院だって開いちゃいまい。


 それに触ってみると頭は格別痛くはない。


 関節が多少軋きしむ。


 胸の辺りを触ってみたが、どうやら骨もいかれちゃいないようだ。


 俺は大通りに出て、夕闇の中、通りかかったタクシーに手を挙げ、事務所へと戻ることにした。


事務所に戻ると、俺は冷蔵庫から氷嚢と、それから『多摩川の美味しい水』のボトルを引っ張り出してきてラッパ飲みで一気に半分くらい飲む。


 後は氷嚢を額に乗せ、ソファに寝転がった。


 今度はさっきと違う。

 

 虹も飛ばなかった。


 夢も見ない。


 次に目が覚めた時、外はもう真っ暗、頭の中どころか、窓から星が見えたくらいだ。


 新宿の空がこんなに綺麗だなんて、思ってもいなかったな。


 俺はもう一度ソファに戻り、卓子テーブルの上のペットボトルをラッパ飲みした。


 酒でも呑みたいところであるが、こんな時にアルコールが体内に入ったら、余計に気分が悪くなりそうだ。


 流石の俺でもそのくらいは分かる。


 今日は黙って寝よう。


 またソファに横になる。


 すると、頭の上で電話がなった。


 俺はぎしぎしと痛む身体を起こし、ようやく受話器を取った。


 たかが電話を取るという作業が、かくも難航を極めるとは、考えてもみなかった。


 電話の主は千草しおりからだった。


(あの、どうしてもお話したいことがあって、是非とも事務所に来て頂きたいんですが?)


(明日じゃいかんかね?)


(出来れば今日・・・・)


(それは無理だ。明日にしてくれ)


 事情を話そうかと思ったが、今は何も言いたくない。


 俺はどうしても無理だ。と二度繰り返し、受話器を置く。


 そのまま目を閉じる。


 次の瞬間、俺は眠りに落ちていた。






 






 

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