第48話 素直なきもち

「……」

「……」


 お互いに何も言わないまま、時間だけがただ過ぎていく。

 助けはまだ現れない。きっと誰も、私達がこんなところに閉じ込められているとは思いもしていないに違いない。

 或いは助けが現れないよう、カタリナが手回しでもしているのかしら。カタリナ……友達だと思っていたのに……。


「……何年ぶりだろうな。こうしてお前と二人きりで過ごすのは」


 夕焼けが落ち、薄闇に染まり始めた室内で、不意に兄さんが口を開いた。


「……忘れたわ」

「俺はよく覚えている。お前が十歳くらいの頃までは、俺と一緒でないと寝ようとしなかった」

「……っ、何それ、変な事言わないで」


 嘘よ。本当は覚えている。まだ兄さんの事を、兄として好きなのだと思ってたあの頃。

 はしたないとお父様に何度叱られても、止めようとしなかった。いつだってどんな時だって、兄さんの側にいたかった。

 それだけで――ただそれだけで、あの頃は良かったのに――。


「俺は……お前の兄でいられて、幸せだったよ」

「なによ、急に」

「本当だ。……ずっと言う機会がなかったがな」


 それは私が、ずっと兄さんを避け続けてきたからだ。兄さんはずっと変わらず、兄として、私とよりよい関係を築こうとしてくれたのに。

 私が――それ以上を望んでしまったばっかりに。

 兄さんはもうすぐ家を出る。そうすれば私と兄さんは、もう赤の他人。

 いずれ私の知らない妻を娶り、私の知らないところで、私とは関係無く生きていくひと。


(……本当に、それでいいの?)


 一瞬そう考えて、すぐに馬鹿げていると振り払った。兄さんにとって、私はどこまでも妹でしかないのに。

 この想いが叶う日なんて、永遠に来はしないのに――。


「だが……いつからだろうな。お前を妹として、見られなくなったのは」

「――え?」


 そう思っていると、兄さんが突然、そんな事を言った。私はその真意が解らず、思わず兄さんを振り返ってしまう。


「必死でお前は妹なのだと、そう言い聞かせ続けてきた。離れて暮らすようになるまで、耐え続ければ、きっと自然に忘れられると」


 胸の鼓動が、ドクドクと早鐘のように鳴り響く。こちらを見る兄さんの目が熱を帯びて見えるのは、私の都合のいい錯覚なの?


「これを口にするのは正しくないと、自分でもよく解っている。だが、こうしてお前と二人きりになって……初めて、自分がそこまで我慢強い男じゃないと気付いたんだ」


 兄さんの手が、そっと私の頬に触れる。触れられた部分が熱を帯びて、胸の音まで聞かれてしまいそうな錯覚に陥る。

 これは、夢なの? だってこれじゃまるで、兄さんが私の事を――。


「どうせお前には嫌われている。これ以上、嫌いになってくれて構わない。それでも今、言いたいんだ」


 目頭がつんと熱くなる。その先を聞いてしまったら――私、おかしくなってしまいそう。

 お願い、夢ならこのまま覚めないで――。


「ミリアム、俺はずっと前から――お前の事が、一人の女として好きだった」

「……ああ……!」


 遂に耐え切れず、私の瞳から涙が溢れた。

 だって、ずっと手に入る筈が無いと思っていた。義理のとはいえ、私達は兄妹として育ってきたのだから。

 でも……でも、もう我慢しなくていいの? 自分の気持ちに、正直になっていいの?

 兄さんの事を、堂々と好きでいていいの――?


「……こんな事を言われても、お前は困るだけだろう。けど今言わずに離れてしまったら、きっと一生後悔すると思った。だから――」

「……私も……」

「え?」


 私は溢れた涙をそのままに、兄さんと視線を合わせた。胸に抱く気持ちに、もう迷いはなかった。


「私も、兄さんが好き。ずっと、ずっと前から、たった一人の大切な人として好き」

「……!」

「でも兄さんは、いつか他人になってしまう人だから。それなら少しでも別れが辛くならないようにって、だから、私、今まで兄さんに酷い態度を……!」

「もういい……もういいんだ。……辛い思いを、させていたんだな」


 兄さんの手が頬から腕へ滑り落ち、私を強く抱き寄せた。その温かさと力強さに、私の視界はより一層歪んだ。


「二人で義父さん達を説得しよう、ミリアム。……俺の妻になってくれ」

「……本当に?」

「お前の気持ちを知った以上、俺が妻にしたいのは、もうお前しかいない」


 ああ、ああ。本当に、こんな日が来るなんて。

 私、もう死んでもいい。……いいえ、違ったわ、駄目ね。

 だって、私達。ここから新しく、始まるのだもの。


「……ええ。私を、貴方のお嫁さんにして下さい、兄さん……!」


 目一杯の笑顔を顔に浮かべて。私は兄さんの、愛しいひとの背に腕を回した。

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