第19話 この熱はきっと夕焼けのせい
「フフッ……フフフフフ」
その日の帰りの馬車の中。シエルは気味が悪いくらい、ニコニコと笑っていた。
……いえ、今だけじゃない。ロイドと別れた後辺りから、気が付くと、こうしてずっとニコニコしているのだ。
「……そんなに、ロイドに恋人扱いされなくなった事が嬉しいの?」
半ば呆れながら、私はシエルに問いかける。するとシエルは「あら」と目を丸くした。
「違いますわ、お姉様。確かに一段落はしましたが、結局は恋人扱いが親友扱いに変わっただけですし」
「じゃあ、どうしてニコニコしてるの?」
重ねて聞くと、シエルはジッと私の目を見つめ出す。一身に注がれるその視線に、何だか気恥ずかしさを覚えてしまう。
「解りません? お姉様」
「……何がよ」
「あら……忘れてしまったのですか? ……お姉様からの、熱烈なキス」
「!!」
悪戯っぽく言われて、全身の血液が一気に沸騰しそうになる。そ……そうだった。成り行きとは言え、私、人前で自分からシエルにキス……!
「初めてお姉様からしてくれたキス。これが喜ばずにいられましょうか」
「わ、忘れて! 今すぐ忘れて!」
「嫌です。心にしっかりと焼き付けましたから♪」
天使のようなシエルの笑顔に、ますます頬が熱を持つ。ああ、もう、私の馬鹿! 何であんな事しちゃったの!
「……フフ。大丈夫。ちゃんと解っておりますから」
私が自分のした事を激しく後悔していると。不意に、シエルの笑みが寂しげなものに変わった。
「解ってるって……?」
「あのキスに、特別な意味はない。お姉様はロイド様を納得させないとと、その考えで頭が一杯だっただけ。……それくらい、察しております」
まるで全てを悟ったような、儚げなシエルの笑顔。本当なら、シエルが図に乗りすぎなくて良かったと安心すべきところなのに。
その笑顔を見るだけで、何故かズキリと胸が痛んだ。
「ですから、お姉様……」
「……よ」
ポツリと、小さな声で、私は呟く。シエルは私の声が聞こえなかったのか、目を瞬かせて首を傾げていた。
「……いくら助ける為でも……全然気のない相手に……あんな事しない、わよ……」
「……!」
今度はもう少し大きな声で言うと、シエルの目が大きく見開かれた。シエルは暫く私を真っ直ぐに見つめた後、おもむろに立ち上がり私を見下ろす位置に来る。
「……ねえ、カタリナ」
「……」
「それは、僕にも脈があると……自惚れてしまっていいの?」
それは、「男」としてのシエルの声。私はそんなシエルに答える事も、目を合わせる事すらも出来ない。
場に流れる、暫しの沈黙。それを破ったのは、シエルの方だった。
「僕は、焦らないよ。ゆっくり考えて、それから決めて欲しい。君が――僕の事を恋愛対象として好きなのかを」
「シエル……」
「それまで僕にとって君は、『カタリナ様』で『お姉様』だ。このラインを無理に越える事はしない。本当に」
……ズルいわ、シエルは、本当に。普段は女の私より女らしくて可愛いのに、こんな風に、カッコ良くもなれるんだもの。
前世の私に見せてやりたい。これがヒロインの本当の姿だって。
「けど……そうだね。これだけは」
そう思っていると、シエルがその場に跪き、私の手を取る。そしていつかのように、掌にそっと口付けて、言った。
「ああいう男らしい事は……今度からは僕からさせてね? ……
「~~~!」
瞬間的に顔の熱が最高潮になった私は、慌ててシエルの手を振り払う。シエルはいつものようにクスクスと笑うと、元の席に戻っていった。
……こんなに頬が熱いのも。胸のドキドキが、全然治まらないのも。
全部全部、窓の外の夕焼けのせいにしてしまおう。……少なくとも、今は。
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