第7話 悪役令嬢は攻略対象じゃない筈でしょう?

「シエル! どこ!?」


 教室の中に入り、そう声をかける。美術室らしい室内に、人の姿はない。

 騙された? いえ、必ずここにシエルはいる筈……!


「そうだわ、準備室……!」


 その可能性に思い至り、私は急いで美術準備室に向かう。そして、幸いにも鍵のかかっていない扉を乱暴に開け放った。


「!!」


 ――いた! シエルはジェフリーに口を抑えられ、声が出せないようにされている。

 それを見た私は――。


「……っいい加減にしなさいよこのヤリ○ン野郎っ!!」


 と、前世の記憶から突如湧き出てきた罵倒の言葉と共に、ジェフリーの股間を全力で蹴り上げていた。


「おごぅっ!?」


 蹴られた股間を押さえながら、ジェフリーがその場に崩れ落ちる。私は倒れたジェフリーにもう一蹴りだけ喰らわせてやると、ポカンと私を見るシエルの手を取った。


「シエル、行くわよ」

「お、お姉様?」

「早くこいつから離れるの!」


 強い口調で私が言うと、シエルは戸惑った表情をしながらも小さくこくりと頷いた。それを確認した私はシエルの手を引き、すぐに美術室を出たのだった。



「……とりあえず、ここまで来ればいいかしらね」


 念の為三階まで戻ってきてから、適当な空き教室に飛び込む。やっと一息吐いた私に、それまで黙っていたシエルが口を開いた。


「お姉様……何故?」

「何故って、貴方がもし男だってあいつにバレたら大変だからに決まってるじゃない」

「……それだけの理由で?」


 そう言ったシエルの声は、微かに震えているようにも聞こえた。私はシエルを真っ直ぐに見つめ、力強く言い返した。


「私にとっては、十分な理由よ」

「……」


 シエルの目が、私の目を見返す。どれくらい無言で見つめ合っていただろう。不意にシエルが、長い溜息を吐いた。


「……お姉様の正義感の強さを、正直侮っておりましたわ」

「どういう事?」

「わたくし、ジェフリー王子を手駒に仕立てあげる気でしたの」


 ほう、という溜息と共に告げられた言葉に、私は思わず目を丸くする。ジェフリーを……手駒に?


「情報を集めたところ、あの王子は学園ここでは強気に振る舞っているけれど、王宮内での立場はあまりいいとは言えないようでしたわ。わたくしに手を出してきたのも、まずはわたくしを籠絡し、お姉様の心象を良くする足掛かりにしたかったのでしょうね」

「どうして私を?」

「だってお姉様は双子の兄上のリオン王子の婚約者なのでしょう? つまりは父親である現在の王以外で、唯一リオン王子に意見出来る立場という事になりますわ」


 そういう事に……なるのかしら。私自信はリオンに意見なんてする気がないから、全くそんな事意識してなかったけど。

 それにしても、そういえば確かにあったわね、ジェフリーが王宮内で立場が悪いって設定。すっかり忘れてたわ。


「ですからお姉様への仲介を餌に、あの男をいいように利用して、ついでにわたくしに夢中にさせて、二度とお姉様に近付かないように仕向けるつもりだったのですけど……この計画はこれでご破算ですわね」


 頬に手を当て、また一つ溜息を吐くシエル。その仕草は暗に、「お前は余計な事をした」と言っているようにも見えた。

 その態度に傷付かないと言えば嘘になるけど……。それ以上に私には、気になった事があった。


「……もしジェフリーに体を求められたら、貴方はどうする気だったの?」


 私のその問いに。シエルは、どこか自嘲気味に笑って。


「わたくしは目的の為なら、何だって利用します。それが――自分自身であっても。ご安心下さいませ。男の身でも、殿方を満足・・させる事は出来ますから」


 そう、乾いた声で言うシエルを、私は――。


 ――衝動的に、強く抱き締めていた。


「自分を、粗末にしないで」


 言葉を吐き出す。胸の中の、苦しい想いと共に。


「貴方にとって、お家再興は何よりも大事な事かもしれない。でも……でもその為に、自分を犠牲にしないで」


 シエルを抱き締める腕が震える。ああ、怖いんだ、私は。放って置いたらこの子が、どんどんボロボロになる気がして。


「力にだったら、私が幾らでもなるから。貴方は――一人じゃない」

「……お姉様……」


 戸惑うように、シエルの腕が私の背に回された。そして間も無く、腕にギュッと力が籠る。


「――貴女という人には、本当に敵いませんわ」


 やがて、シエルがポツリと言った。その声は、さっきまでより少し柔らかい。


「お人好しで、でも芯は強くて。あの頃と、何も変わってない」

「え……?」


 シエルの呟いた言葉に、思わず目が丸くなる。「あの頃」って……どういう事?


「誓いますわ、お姉様」


 私がそれを問いかける前に、シエルが軽く身を離し私の顔を見つめた。そして、どこか吹っ切れたような笑顔で言った。


「いつか貴女と添い遂げるその日まで、清らかな身のままでいる事を。お姉様がわたくしのものであるように、わたくしもまた、貴女だけのものでいます」


 ……ん?


「それにはまず、ジェフリー王子だけでなくリオン王子もお姉様から引き離しませんと。うふふ、腕が鳴りますわ」


 ん? ……んん?


「二人の幸せな未来の為に、一緒に頑張りましょうね、お姉様♪」


 ――チュッ。


 そう頬に軽く口付けられた瞬間、私はやっと気が付いた。あれ……これって私……自分から泥沼に嵌まったんじゃない?

 ニコニコと満面の笑みを浮かべるシエルに、私が今までの自分の言動を軽く後悔したのは言うまでもない。

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