第3話 悪役令嬢に安息はない

「何故わたくしが女である事にこだわるか、ですか?」


 学園へと向かう馬車の中、私はふと気になった事をシエルに聞いてみた。ちなみにこの馬車は外に音漏れがしないよう作られているので、誰かにこの会話を聞かれる心配はない。

 目の前で小首を傾げるシエルは、胸に詰め物をしている事もあり、全く女にしか見えない。本当は男であるという事を、今日までにも何度か忘れそうになったぐらいだ。


「ええ。よく考えたら、そこが解らないと思って」

「……総ては、我が家の再興の為ですわ」


 一つ小さな溜息を吐き、シエルが言った。……確かにゲームでも、それがシエルの目的になってたわね。


「率直にお聞きします。頼りなさそうな男性と儚げな女性、お姉様でしたらどちらに力を貸したいと思われます?」

「えっ?」


 続けて逆に問い返され、私は虚を突かれてしまう。そ、そうね……私だったら……。


「……儚げな女性、かしら」

「でしょう? お姉様でなくても、殆どの人がそう答えると思います」


 私の答えを聞いて、シエルはまた一つ溜息を吐いた。そして、どこか憂いを帯びた表情で更に続ける。


「もしもわたくしが男に戻ったとして、世間がわたくしをどう見るか、わたくしが一番良く解っております。いかにも頼りなさそうな、世間知らずを絵に描いたようなお坊っちゃま。そんな人物に援助の手を差し伸べる者など、いると思いまして?」

「それは……」


 ……即答出来ない。私だってたった今、どちらを助けるかで男より女を選んだばかりなのだから。


「……ですから、お家再興が成る日まで、わたくしは女であり続ける必要があるのです。より多くの援助を得る為に」


 そう言い切ったシエルの瞳には、覚悟の光があった。絶対に目的を成し遂げるという、強い覚悟が。


「……ごめんなさい、シエル」

「え?」


 気が付けば、私はそう口にしていた。今度はシエルの方が、虚を突かれたように目を丸くする。


「だって貴方にそうさせている原因は、私のお父様にあるんだもの。お父様が貴方の家を没落させなければ……」

「……もう。お姉様は本当にお人好しですのね」


 私の言葉を遮るように、シエルがふっと笑みを浮かべた。そして身を乗り出し、細く白い指の腹をそっと私の唇に押し当てる。


「わたくしはお姉様を脅して、言う事を聞かせているんですのよ? もっと用心なさらないと、本当に頂いてしまいますわよ」


 そう言って悪戯っぽく首を傾げるシエルに、思わずドキッとする。お、男だって解っててもやっぱり可愛い……。


「……ああ、何だか急にお姉様が心配になってきましたわ。この様子じゃ、もう既に悪い虫でもついていらっしゃるんじゃないかしら」

「ちょっ……大袈裟よ。学園の皆が見ているのは私の家柄であって、私自身じゃないし」


 けど急に眉を下げシエルがそう言い始めたので、私は慌ててしまう。そ、そりゃ一応学園では公爵家の娘として無駄に大きい存在として扱われてはいるけど、そこに好意はほぼない……筈。

 それに……私が皆に愛されているのなら……私が本来の歴史シナリオを辿る事はなかった筈だもの。この記憶が蘇るまでは、少しくらいは皆に好かれているんじゃとも思ってたけどね……。


「……よし。わたくし、決めましたわ」


 私が自分の人望の無さに悲しくなっていると、何かを思い付いたようにシエルがポン、と手を叩く。まるで悪戯好きな子供のようなその笑顔に、何だか嫌な予感がしてくる。


「な、何を……」

「お姉様にはまだ秘密です! ウフフ♪」


 恐る恐る問いかける私に、けれどシエルはそう言って何も答えてはくれなかった。



 目的地、ノースバレンシア学園に辿り着いた私は、学園長に挨拶をしなければならないシエルと一旦別れる事になった。ここからが、この世界ゲームの本当の始まりオープニングだ。

 シエルはこの後、使用人のみで構成されたクラスに編入する事になっている。基本的には貴族の子が通うこの学園だけど、この学園の生徒である貴族の子の使用人だけは特例として学園で共に学ぶ事を許され、別々のクラスで過ごす事になるのだ。

 私の次の出番は昼休み。シエルと一緒に昼食を摂る時になる。

 つまりそれまではゲームと関係無く今まで通り過ごせる、完全な自由時間だ。シエルがうちに来てからはシエルに請われてずっと学園の事を教えてたから、漸くゆっくり出来る感じね。


「ご機嫌よう、カタリナ様」

「ご機嫌よう、皆さん」


 級友達と何日かぶりの挨拶を交わし、席に着く。昨日まで長期休暇だった学園は、いつも以上に賑わいを見せている。

 ゲームで見えない部分にも、こういう生の生活があったのね……。前世の記憶を得た今では、当たり前のものだったそれに何だかしみじみしてしまう。


「ご機嫌よう、カタリナ」


 私が感慨に耽っていると、友人のミリアムが話しかけてきた。ゲームでは最後に私を裏切りシエルに手を貸す事になっている、ゲームキャラの一人だ。

 でもそんな彼女の役割を知って、恨むどころか逆に納得している。彼女は卑怯な事が大嫌いな、気持ちのいい性格だからだ。


「あら、ご機嫌よう、ミリアム」

「今朝貴女が馬車を降りるところを見たけど、知らない子が一緒にいたわね。誰なの?」

「あの子は従妹のシエルよ。訳あって使用人としてこの学園に編入する事になってるの」

「へえ……貴女に従妹がいたなんて初耳ね?」

「今まであまり交流はなかったから、知らなくても無理はないわ」

「……そんな交流の浅い従妹が、何で今更?」


 ……うーん、説明に困るわね。そもそも何でお父様がシエルを引き取る事にしたのかは、私も知らないしゲームでも説明がなかった事だもの。


「……色々あるのよ」


 仕方無く、私はそう答えた。まさかそういう運命せっていだからだなんて言える筈がない。


「ふぅん……」


 ミリアムは納得がいかないような顔をしてたけど、それ以上を追及してくる事はなかった。例え友人と言えども他人の領域にはみだらに踏み込まないのが、ミリアムのいいところだ。

 それからお互いに休暇中にあった事を語り合っていると、教室の扉を開けて担任のパメラ先生が入ってきた。それを見て談笑していた生徒達が、一斉に自分の席に戻って静まり返る。


「ご機嫌よう、皆さん。良い休暇は過ごせましたか?」


 眼鏡をくいっと持ち上げながら、教壇に立ったパメラ先生が挨拶をする。ゲームでは序盤のイベントで出てきてシエルを妨害するお邪魔キャラの一人だったけど、現実では厳しくも優しい良い先生だ。


「授業の前に、今日から、このクラスに新しい仲間が加わります。さ、入ってきてご挨拶なさい」

「はい」


 あれ? 今の声って……。そう私が思った直後、彼女・・は教室の中へと入ってきた。


「!?」


 教室が、一気にどよめく。私もまた彼女・・を見て、心臓が止まりそうになった。

 緩くウェーブのかかった長い金髪。垂れ目気味の二重の大きな蒼い瞳。薔薇の花びらのように色付いた紅い唇。


 さっき別れたばかりのシエルが、何故か、ここにいた。


「シエルと申します。本来ならばカタリナ様の使用人の身分ではありますが、学園長のご厚意により、特別にこのクラスで学ばせて頂く事になりました」


 そう言って頭を下げるシエルに、全員が目を奪われているのが解った。私はと言えば別の意味で、シエルから目が離せない。

 いや、待って。待って。何でシエルがこのクラスに編入してくる訳?

 その時、シエルの視線が私の姿を捉えた。途端、その顔に花の綻ぶような笑顔が浮かぶ。


「至らない点も多いと思いますが、どうか皆様、ご自分の使用人と同じと思って接して下さいませ。よろしくお願い致しますわ」


 満面の笑みと共に放たれたその言葉が、私に対して向けられていると知った時。私の気は、スウッと遠くなっていったのだった。

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