第2話 『彼女』は天使で、悪魔だった

「……」

「……」


 無言のまま、お互いに見つめ合う私達。こんな時何と言うべきなのか、前世の記憶を探しても解決策は見つからない。

 シエルは前を完全にはだけたまま、微動だにしない。……うん……やっぱり何度見ても胸、ないわよね……?

 ……あっ、もしかして本当は胸が小さいのを誤魔化す為に胸に詰め物をしてただけとか。きっとそうだわ、そうに違いな……。


「……見られてしまったのでは仕方ありませんわね。そうですわ。わたくし、本当は男ですの」


 ……いという私の結論は、出した直後に即否定された。シ、シエルが……この愛らしいシエルが本当に男……!?

 前世の記憶によれば、こういうのを「男の娘」と言うらしい。下手な女よりも余程可愛らしく、女らしい少年。


「困りましたわ。よりにもよってお姉様に知られてしまうなんて」


 言葉とは裏腹に、全く困っていない口調でシエルがほう、と溜息を吐く。と、とりあえず聞きたい事は一杯あるけど……。


「あ、貴方、本当に、男……なの?」

「ですからそう申し上げておりますわ、お姉様」

「な、何で女のフリをしてるの?」

「自分で言うのも何ですけれど、わたくし、小さな頃からとても可愛らしくて。元々お父様もお母様も女の子の方が欲しかったので、そのまま今日まで娘として育てられてきましたの」


 それはシエルの親御さんの育て方に問題がありすぎる気がする。いくら可愛いからって男を女として育てないでしょう普通!


「その……シエルは嫌じゃなかったの……?」

「わたくしですか? 元々可愛らしいものは大好きですし、自分を美しく磨くのだって好きでやっている事ですもの。不満はありませんわ」


 堂々とそう言い切ったシエルには、確かに悲愴感は微塵もなく。言っている事が強がりではなく、真実なのだと理解出来た。

 そう言えば、前世の記憶にはこうもあった。男の娘は体が男なだけで、心は女性なのだと。

 正直この衝撃の事実に戸惑いはするけど……。シエルが女の子として生きたいのなら、尊重すべきなのかもしれないわね。


「解ったわ。今日の事は私の胸の中だけに留めておきます」

「え?」


 私がそう告げると、シエルは私の反応が心底意外だという風に目を見開いた。そんなシエルに、私は出来るだけ優しく微笑みかける。


「私、貴方とは仲良くしたいと思っていたの。例え貴方の体が男の子のものであっても、それは変わらないわ」

「お姉様……」


 私の『役割』としては、この弱味を盾にシエルを追い込むのが正解なんだろう。けれど『私』は、そんな事は全く望んでいない。

 破滅が訪れるその日まで、シエルといい関係を構築したい。それは私の、紛れもない本心だ。

 再び無言で、見つめ合う私達。シエルはそのアクアマリンのような瞳を大きく潤ませて――。


「……プッ」


 ――やがて、小さく吹き出した。


「……え?」

「フフフッ……ごめんなさい。でもお姉様があまりにお人好しで可愛らしいものだから、つい」


 状況がよく解っていない私に、シエルは花の咲くような笑顔を見せる。そしておもむろに立ち上がると、私の目の前まで歩み寄ってきた。


「な、何……?」

「わたくし、可愛いものや自分磨きは確かに好きですけれど、心まで女だとは一言も言っておりませんのよ? ……お姉様」


 そう言って、シエルは背伸びをし。私の首に腕を絡ませ、引き寄せて。


 私の唇に、自分の唇を、重ねた。


 ――え?


 思考が追い付かない。これって……ナニ?

 一杯に見開いた私の目に、シエルの瞳が弧を描く姿が映った。シエルは蠱惑的な表情を浮かべながら、伸ばした舌を私の唇の中へと――。


「――っ!!」


 それを認識した瞬間、私は反射的に、シエルを全力で突き飛ばしていた。シエルの小さな軽い体が呆気無く宙を舞い、離れた所に尻餅を突く。


「アイタ……案外力が強いのですね、お姉様」

「あっ、あっ、貴方、いっ今、何を……!」


 唇を中心に、顔が一気に熱を持つのが解る。シエルは手の甲で唇を拭う私に、悪びれもせず笑顔で言った。


「ごめんなさい。あんまりお姉様が無防備で可愛らしいから、わたくし、我慢出来なくなってしまいました」

「な、なっ……!」

「育ちや好むものがどうでも、わたくしは立派な『男』……隙を見せたら今みたいに、ペロリと頂いてしまいますわよ?」


 な、な、何て奴なの! どんなに見た目や仕草が愛らしくて女性らしくても、これじゃまるっきりケダモノじゃない!

 起き上がるシエルを、私はキッと睨み付ける。そうと解った以上、シエルをこのまま野放しにはしておけない!


「っ、この事はお父様に報告させて貰うわ!」

「あら? 黙っていて下さるのではなかったのですか?」

「貴方の心が男だと言うのなら、話は別よ!」


 そう毅然として告げても、シエルの笑顔は消えない。何故この子は、こんなにも余裕でいられるの――!?


「……よろしいのですか?」


 不意にシエルが、ぽつりとそう言った。シエルが何を言いたいのか解らず、私は戸惑ってしまう。


「? 一体何が……」

「叔父様……貴女のお父様がわたくし達一家が没落するよう裏で手を回した。それを世間に公表してもよろしいのですか、と聞いているのです」

「っ!?」


 けれど続けられた言葉に、私の顔からサッと血の気が引く。まさか……シエルは全部知って……!?


「告発出来るだけの証拠は、ここに来るまでに秘密裏に揃えてあります。これが世間に知れたら、清廉なイメージでここまでやってこられたパーシバル公爵の名声は地に落ちますわね……?」

「……くっ……!」


 何て事だ。この子は正真正銘、私の……いや、我が家の破滅の使者だった……!

 ……でも、本来なら避けられなかった筈の破滅。それがこの子に従う事で、回避出来るなら。

 私は駄目でも――せめて、この家に住む他の者がそれで平穏な生活を続ける事が出来るなら――。


「……解ったわ。貴方は私に何を望むの?」


 身を切るような思いで、私はやっとそれだけ口にした。自分の声が微かに震えているのが、自分で解る。

 何を言われても耐えられるように、目をギュッと固く閉じる。そうして死刑宣告を受ける囚人の心持ちでいると。


 ふわりと、温かいぬくもりが私の両頬を包んだ。


「――もう、何て酷い顔なさってますの、お姉様」


 近くに聞こえた声に、そっと目を開ける。するといつの間にかまた目の前に来ていたシエルが、私の頬を両手で包んでいた。


「ごめんなさい。少し苛めすぎましたわね。わたくしはわたくしの正体をここだけの秘密にして頂く事以外、お姉様に望む事はありませんわ」


 天使のような愛らしい微笑みで、シエルが言う。今までも十分に可愛らしかったけど、その微笑みは、今まで見たシエルの笑顔の中で一番輝いて見えた。


「確かにここでお姉様をわたくしの言いなりにする事は簡単です。でもそれでは、お姉様の心までは手に入らない」

「私の……心?」


 シエルの真剣な視線に、私の胸が小さく跳ねる。今まで感じた事のないこの感情は、果たして何と呼ぶのだろう。


「わたくし、最初は貴女とは適当に仲良くなっておけばいいと思ってました。でも今は、本気で貴女をわたくしのものにしたい。こんなに可愛らしい貴女の事、誰にも渡したくはありません」

「な、何を言って……」

「――ですから」


 また顔に熱が灯っていくのを感じていると、シエルはニッコリと笑みを浮かべた。今日一番の、とびきりの笑顔を。


「わたくし、必ず貴女を手に入れてみせますわ。覚悟なさいませ――お姉様♪」

「~~~っ!!」



こうして本来の歴史シナリオからは大きく外れた、私とシエルの日々は始まったのだった――。

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