第19話 思い出のカケラ
初夏の日差し。外に出ればじりじりと肌を刺す暖かな光が迎え出る。山頂から吹き下ろす風が木々の葉を揺らして耳障りの良い音を奏でる。そんな緩やかに流れる時間の中、ロドルフ・ジェニミスはとある学校の一室で甘いコーヒーを片手に窓の外を眺めていた。
「のどかで良いねェ……」
砂糖とミルクが大量に入り混じったそれには苦味のカケラも残ってはいない。
「あら、そんな砂糖を食べてるようなコーヒーじゃ格好つかないのではなくて?」
「マリー、別に格好つけてるワケじゃないんだけど。それに、僕は前からコーヒーはこうやって飲んでいたじゃないか」
「そうだったかしら? いつから甘いもの狂いになったのかしらねェ」
不敵に笑うマリーからバツの悪そうに視線をそらすロドルフ。その視線の先には小さな白い花瓶に添えられた赤、黄、白、紫のジニアが太陽の光を浴びてよりキレイに照り輝いていた。
「そういう君も花を飾るなんて素敵な趣味、いつから始めたんだい? 随分と丁寧に活けてあるじゃないか。貰い物ってワケじゃなさそうだけど?」
「いいじゃない、たまには可憐な乙女みたいに花を愛でてみたってバチは当たらないわ。それとも、何か文句でもあるのかしら?」
「いいえ、滅相もございません。……しかし、随分と変わったね。昔の君が見たら鼻で笑うんじゃないかな」
「それはお互い様よ。いつまでも我儘は言っていられないもの。変わらないものがあるとすれば、砂糖の甘さとこのジニアの美しさくらいね」
マリーはそっとジニアに視線を下ろし、優しい目で話しかける。声には出さず、目だけで訴えかける。
感傷に浸るマリーをよそにロドルフは残りの甘い甘いコーヒーを一気に流し込んだ。カップの底には溶けきらない砂糖が薄い茶色にくすんでいた。
「ところでマリー、わざわざ僕の貴重な休日を使ってまで昔話をするためだけに山奥の学校まで呼びつけたんじゃないだろ?」
「そうね、無駄話はほどほどにしなくていけないわね、私が普段から教えてることだもの」
そう言ってマリーはロドルフの対面に座った。
「今日はなんだか静かだね。この高校は部活動とかはないのかい?」
「今日だけは活動禁止にしているのよ、念のためにね」
「さすがは校長先生だ!なんでも思い通りというワケだね。羨ましいなあ」
「思ってもないこと言わないで頂戴。それに、今は学校に私たち二人だけなのよ? 何か思うところがあるんじゃないかしら」
「君こそ思ってもないことを言わないでくれよ。また話が脱線したし、これじゃ全然進まないよ」
「あなたが始めに逸らしたんじゃない。まあ、それに乗った私も悪いし、お互い様ってことね」
マリーは息を整え、穏やかな表情は初めからなかったように消え去った。
「そろそろだと思うのよ」
「何が?」
「近々あの娘たちがここに来ると思うのよね」
「根拠は?」
「そんなの勘よ」
それを聞いたロドルフは眉をひそめ、一気に肩の力が抜けた。
「えぇ……、それは信用してもいいんでしょうか?」
「当たり前じゃない。でも、問題はそこじゃなくて、何をどこまで彼女たちに話してあげるか。これを相談したくてあなたを呼んだのよ」
ロドルフは何か思うところがあるのか、その眼差しは真剣そのものであった。
「そうだね、それじゃあ――」
それから、どれだけ時間が経ったのだろうか。遥かな青空は色鮮やかに紅く焼け始めていた。どこまでも続いていた天井は徐々に薄暗く、徐々にその輝きを捨てていく。
「いい時間だし、僕はお暇させてもらうよ」
「あら、もう少しゆっくりしていってもいいのよ?」
「いや、明日からまた忙しくなるから出来るだけ早く寝ないとね」
「医者は大変ね」
「ほんと、過労死しちゃうかも」
両手を振って見せて大袈裟にアピールしてみせる。
ロドルフは乾いたコーヒカップを名残惜しそうに見つめた後、立ち上がりいよいよ帰ろうとした。
「じゃあ、本当に帰るよ。久しぶりに楽しい休日だった」
「私も楽しかったわ。またこんな日が来るといいわね」
「そうだね」
そう言ってロドルフは校長室を後にした。マリーには廊下から吹き込む空気があまりにもキレイ過ぎて、息が詰まりそうだった。
「あのね、春也。心して聞いてくれる?」
宇宙の真剣な表情に対し、俺も一点を見つめその覚悟に答える。
「その、まずは……ごめんなさい!」
緊張が緩む俺をよそに、宇宙はひたすらに謝る。
「とりあえず、何で謝ったのか教えてくれるかな?」
「え、えっとね……わたしたちが初めて会ったとき、守り神のこと話したでしょ? あれ、ほとんど嘘なの」
見るからに肩を落とす宇宙。
「まあ、なんとなくそうなんじゃないかとは思ってたよ。だから、別に気にしなくてもいいし、これから本当のことを教えてくれれば俺はそれでいいから」
「春也……ありがと」
右手に握る宇宙の手は温かく、それだけで居心地が良かった。
「まず、レンって人が言ってた春也に魔法をかけた人物についてだけど、それは春也のお父さんなの」
それを聞いた瞬間、幼い頃に見た懐かしい顔が思い浮かんだ。もう何年前も前になるだろうか、しかしてその優しい笑みは決して忘れることはない。
あの日、父親はこの世界は理不尽だと言った。だが、決して諦めてはいけないとも言っていた。当時、俺は子供ながらにその意味を必死に汲み取ろうとした。けれど、その言葉の意味も優しい父親が見せた悲しい表情も、何も理解できないままあの日、両親は死んでしまったのだ。
俺は、今から目を背くように古い思い出に浸っていた。母親が作ってくれた温かいご飯、父親が連れて行ってくれた見晴らしのいいどこかの峠。何気ない日常の一幕は全てがモノクロで再生される。かねてよりふと思い出を描く時があった。今までは色褪せたキャンバスで十分に満足していたのだ。俺に残っているものは他に何もないから、それだけをたまに思い出すのだった。
「……それで?」
いつまでも自分勝手ではいられない。俺は動揺を噛み殺して宇宙と向き合う。
「春也のお父さん、シュウさんはね、死神なの」
「それはつまり、俺は人間じゃなくて死神だってことか?」
「ううん、春也は半分だけ死神。もう半分はこの世界の人の血が流れてる。死神と人のハーフなの」
俺は自分の手を見つめる。どうにも死神には見えない、ただの人である。何が違うのかはわからない。
俺は酷く冷静だった。いや、本当は冷静なんかじゃなかった。少しでも平生を保っている風を装わなければ、なにかが溢れ出てしまいそうになるまで気が動転していたのである。
「春也を守るためにシュウさんは死ぬ前に魔法をかけた。そのおかげで今の今まで生きることができた」
「屋上から落ちた時に助けてくれたのが父さんの魔法だったのか……」
「そう、そしてその時の衝撃ともう一つ。遊園地での出来事を覚えてる?」
「ああ、看板が落ちてきたな。もしかしてあの時も?」
「うん、たぶんその時に魔壁で防げる許容量を越えたんだと思う。だから、もう二度と魔法は発動しないから、これからはより一層注意しなきゃいけない」
「そうか……」
どこにも繋がれていない春也の左手は固く閉ざされた。
「わたしね、春也と初めて会った日より前からずっと離れて見守ってたの。でも、シュウさんの魔壁が切れそうになったか
ら、春也の側にいることにしたの。大丈夫、シュウさんの代わりにはなれないけどこれからは春也はわたしが守るから」
「父さんはさ、俺に魔法を残してくれたってことだよな……」
「春也。大丈夫?」
俺の右手のぬくもりはさらに強くなる。俺に残っているものはないと、ずっとそう思っていた。両親が生きてた頃は家の中は閑散としていて、物と呼べるのは家具くらいで、思い出のカケラはどこにも宿らない。俺も特に物をねだる子供ではなかったため拍車をかけたのだ。
だからこそ、何かしてくれたというその事実だけで春也には十分すぎるほどの幸福感で満たされたのだ。そうして春也が気づかぬうちに、頬を熱い感情が流れた。溢れ出して止まらないそれは、幾ばくの感情と思い出を含んでその数だけ実体化するのである。
「俺さ、父さんから貰った物なんて無かったからさ……うぅ、嬉しくて。嬉しくて……」
顔を濡らし、震える肩を宇宙はそっと抱きしめた。それは優しく、力強い抱擁だった。
ただただ黙って腕の中で全てを受け止めた。日が暮れるまで宇宙は慰めていた。
「もう平気?」
「ああ、大丈夫。ありがとな、宇宙」
「ううん、気にしなくていいよ。誰だってそういう日はあるから」
テーブルには落ち着いて喉が渇いた春也が口をつけた水がグラスの中で腫らした目を映し出していた。
気分転換につけたテレビでは、夏休み合わせて行う催しを紹介していた。
「もうすぐ夏休みだな。最近は暑くてたまったもんじゃないな」
「そうだね、わたしも暑いのは苦手……」
「せっかくの夏休みだし、宇宙はどこか生きたいとことかあるか?」
「うーん、そうだなあ……あッ、行きたいとこあるんだけど、いいかな?」
「まあ、場所によるけど。どこなの?」
「ここなんだけど……」
そう言って宇宙は食器棚の下の引き出しから一枚の紙片を取り出して見せた。それには、どこかの住所が書かれていた。
「これは?」
「あの魔法学校の住所。ここの校長が春也の担当医だったロドルフ先生の友人みたい。一度ふたりで来て欲しいって」
「その先生が俺たちに何の用があるんだ?」
「さあ? わたしにもわからない。でも、行ってみる価値はあると思うよ。わざわざわたしを尾行してまでこれを渡してきたくらいだから」
「なるほど……ん? ここって……」
そう言って春也はケータイで何かを調べているようだった。
「これ見てこれ!」
春也が見せたケータイの画面では美しくも荘厳な滝が映し出されていた。
「これなに?」
「ここの滝が有名で、観光名所になってるところなんだよ。場所も近いし、ついでに行ってみようぜ」
「うん! 行こう行こう!」
いつにも増してはしゃぐ宇宙をみて、俺は自然と笑みがこぼれた。実際、件の校長先生への不信感よりも、楽しみの方が優っていた。
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