第18話 死神のお仕事

 揺れる電車の中。乗客は少ない。冷房が効き心地よく涼しい。静謐な空間であった。


「ねえ電車で何処まで行くの?」

「朝に説明したろ? 学祭の時にお世話になったお店にお礼の品を渡しに行くんだ」


 土曜日の午後、宇宙と春也は隣街の喫茶店まで出掛けていた。


「あー、そうだったね。で、それは何? クッキー?」

「クッキーが入ってる。間違っても食うなよ?」

「そんな意地汚くないよ!」


 そう言って宇宙は頬を膨らませてみせる。

 再び車内は静謐さを取り戻す。耳に入るのはレールの上を車輪が転がる音だけ。窓の外を見ても高速で景色を置き去りにされているだけだった。そんな中、春也がぽつりと呟いた。


「なあ宇宙」

「なあに」

「昨日のことだけどさ、やっぱ話さなきゃって思ってさ」

「うん」


 肩の力が抜けた宇宙は無意識のうちに春也の袖口を摘んでいた。

 春也は大きく深呼吸すると、事の顛末を語り出した。


「お化け屋敷に行った後、トイレ行ったろ? その時にさ、近くを二メートルはある大男とすれ違ったんだ。でも、そいつが近付いてくるのに気付かなくてさ、振り返ったらもういなかった」


 宇宙は固唾を飲み込み真剣な眼差しで春也の顔を覗き込んだ。その瞳はどこまでも透き通り、キレイだった。


「それだけじゃない、すれ違った瞬間、ほんの一瞬だったけれど、圧倒的な存在感と圧迫感のようなものに襲われた気がしたんだ……」


 袖を掴む力が少し強まる。春也が宇宙の方へと目をやると、不安と緊張が入り混じったそのキレイな瞳を震わせていた。


「や、やめだやめ! こんな暗い顔じゃ先方に失礼だからな! もっと笑っていこうぜ?」

「そうだね……」


 程なくして二人はとある駅で電車を降りた。休日であるというのに歩く人々は点在し、比較的静かなものだった。

 駅ナカを歩き、ふと鼻腔に甘い香りが絡みつく。見渡すと隅の方にクレープの小売店があった。


「……食べる?」


 宇宙はもちろんクレープに釘付けだった。


「…………」


 宇宙は黙って頷いた。

 春也は小さく「わかった」とだけ言って、バナナとイチゴのクレープをそれぞれ一つずつ買ってきた。


「イチゴとバナナ、どっちにする?」

「じゃあイチゴにする」


 そう言って宇宙はイチゴのクレープを一口食べた。


「どう? 美味しい?」

「うん! 美味しいよ!」


 春也が訊くまでもなかった。大粒の赤いイチゴを口いっぱいに頬張り、酸味と甘味が調和した産物を勢いよく、しかして丁寧に味わっていた。


「そうやって笑っている方が宇宙らしいよ」

「あー、もしかして口説いてるの?」

「口説いてない!」

「いや〜、照れるよ〜」

「とりあえず人の話を聞いてくれ……」


 ひとり敗北感に苛まれる春也をよそに、宇宙は誰の気も知らずに紅潮した頬を手で隠すような仕草をした。

 だが、春也は自然と悪い気がしなかった。

 クレープも食べ終え、丸めた紙くずをポケットにしまい、商店街を抜けて少しすると目的の場所が見えてきた。

 カランコロンと軽快な鈴の音を鳴らす戸を開けて見渡すと、店内には一人も客がいなかった。昼過ぎであり、確かに入口にはopenの文字が掲げられていた。しかし、店内には誰もいないのである。

 しばらくすると、奥の方から五◯代くらいのおばちゃんが顔を見せた。


「あら、いらっしゃい。テキトーに座っていいですよ」

「あ、僕たち翠陵学園の者でして、ここ店長さんに用があって今日は来たんです」

「あぁ! 翠陵学園の生徒さんですね、今店長を呼んで来ます。少々お待ちください」


 おばちゃんが店の奥に消えると、すぐに店長と思わしき人物が姿を現した。


 その瞬間、春也は目を限界まで見開いて

 その人物を軽く見上げた。

 そこには、春也が学園祭ですれ違ったはずの大男がいた。電車内で宇宙に相談したあの大男がいた。特徴的な身長、顔を見た瞬間に感じた悪寒はもはや間違えようがなかった。


「今日はわざわざ来てくれてありがとうございます。そこのテーブル席に座って少し待っててくれませんか? お茶をご用意しますので」


 そう言って和かな表情をした店長はまた店の奥に消えた。

 気づけば春也は、自分がかいた冷や汗で手のひらが湿り、非常に気持ちが悪かった。

 宇宙の方の見やると、春也と同様に驚きを隠せない表情で、彼女の唇と肩は小刻みに震えていた。


「どうしよう春也……わたし、あの男に見覚えがあるよ……」

「き、奇遇だな。俺も見た気がする」

「とりあえず座ろっか……」

「そうだな……」


 二人は例え振りでも平生を保たなければならなかった。


「あいつは学園祭で見かけ奴で間違いないと思う。宇宙、一体何なんだ? 可能な範囲でいいから教えてくれないか」

「もちろんそのつもりだよ」


 宇宙は一度、大きく深呼吸をする。


「あの男は死神だよ。直接関わったことはない。昔にわたしの親代わりの人が会話してるのを見ただけ」


 何か気になることを言ったような気がするが、今の春也にはそこまで考える余裕なんてものはなかった。

 宇宙はそのまま続ける。


「死神については前に少し教えたけど、死人の魂をもっていく存在。この世界の魂のサイクルは不安定だから死神とかが補助しないとうまく循環しないの」

「そうなのか」


 春也には漠然とした認識しかできない。だが、必死に理解しようとしていた。


「この世界の魂には二種類あって、魔力を持つものと、それが極端に少ないもの。魔力が少ない魂の数は多くはないけど、魔力が少ないせいで次の肉体に癒着し難いの。そこで死神が管理して次の肉体への手助けする。これによってこの世界の人々は命が続いている。今までちゃんと話さなかったのは悪いと思ってる。ごめんなさい」


 宇宙はそう言って俯いてしまった。それだけ彼女の中で罪悪感は大きく成長したのだ。

 そっと宇宙の震える手を握った。

 俺は心底嬉しかった。ほんの少しでもちゃんと話してくれることが、もの凄く嬉しかった。また小さな一歩を詰めたような気がした。


「どう? 落ち着いた?」

「うん、ありがと」


 いつのまにか手の震えは消え、宇宙は人の温かさを再確認した。


「おまたせしました。こちら、ブレンドコーヒーです。砂糖とミルクはご自由にどうぞ」


 二人にコーヒーを持ってきた店長は、対面するように椅子に座った。


「今日はお時間を下さりありがとうございます。翠陵学園の学園祭では大変お世話になりました。こちら、粗品ですがどうぞ」


 春也はクッキーの入った紙袋を渡した。店長は相変わらず和かだった。


「丁寧にありがとうございます。冷えてしまわないうちにコーヒーを一口でも構いませんので飲んでみて下さい。ウチの自慢の一杯ですので」


 言われたまま、春也と宇宙はコーヒーを一口飲んでみた。因みに、宇宙は砂糖とミルクを入れ、春也は何も入れずブラックで口に含んだ。


「これ美味しいですね」

「ふふ、ありがとうございます」


 喉元を通り過ぎて一息ついた後、俺はそう言っていた。宇宙の方は、声には出さないが満足したようで美味しそうに飲んでいた。


「学園祭こ喫茶店は繁盛しましたよ。これもこの店のおかげです」

「お力になれたのであれば嬉しい限りです。でも、個人的にはこのコーヒーをたくさんの人に飲んで欲しかったんですけれどね」

「僕もこのコーヒーを先に飲んでいたら絶対にクラスメイトに勧めてましたよ」

「そこまで言われると恥ずかしくなってしまいます。あッ! 自己紹介を忘れていました。私は店長の蓮れんと申します。名前は気が向いたら覚えておいてください、春也くんにソラさん」


 二人は押し黙って蓮の顔をじっと見つめる。


「その反応はやはり気づいていましたか。改めましてこんにちは。死神のレンと言います」


 と、レンは言った。何も言わぬ二人にレンは続ける。


「そんなに凄まないでください、何も喧嘩を売りに来たわけではありません。仕事で来ているんですから。君たちを取って食ったりはしませんので安心してください」

「この流れで安心しろというのはなかなかの難易度ですよ。それに、仕事というのは?」と、俺は言った。


 宇宙は相変わらず黙ったまま、彼女なりに何か思う所でもあるのだろうか。


「もちろん、ご説明させて頂きますよ。まず、私たち死神は魂のサイクル補助を行うことが目的です。そして、手助けが必要な魂--いわゆる魔力が極端に少なかったり、不安定な状態の魂を正常な循環に組み込む作業や、魂の回収を行います。今回、私がするのは後者の回収作業ですね。死が近くなってくるとこちらの世界に降りて来てただ待つだけです。まあ、私みたいに社会に溶け込む輩はほとんどいませんけどね」


 そう言ってまた微笑むレン。


「じゃあ喫茶店をやっているのは?」と俺が訊いた。

「ただの暇つぶしですよ。他意はありません。まあ、唯一あるとしたら君たちとこうやって話してみたいくらいですかね」

「まさか、学校に人があんなに多かったのって……」と宇宙が訊いた。


 春也は酷く冷静だった。それは宇宙も同様だっただろう。冷静でいて、その眼光は鋭くレンに突き刺さっていた。


「そうだよ、私の存在が君に悟られないように人が来るように仕向けたというワケです。もしバレていたら春也くんのご尊顔を拝めないからね」

「……そう。で、何が目的なの?」と宇宙が言った。

「そんなに敵意を剥き出しにしないで下さいよ。本当に君たちに会いたいその一心のみです。それに、私はあの人の味方ですから。危害を加えるつもりなんてありませんよ」

「――ッ!」


 宇宙の表情が一転、驚きを隠せていなかった。


「それは、信じてもいいの?」

「ええ、私もあいつにはうんざりしてますから」


 春也には二人が何を言っているかわからなかった。だが、自分には関係のない話ではないことはなんとなく察していた。それと同時に今、声を大にして訊くことではないことも理解していた。


「ただ、これだけはソラさんに伝えておきたいことがあります。あの娘には十分気をつけて下さい。春也くんの魔壁はそろそろ効果が切れているでしょうから」


 その言葉は、春也がかつてどこかで聞いたものだった。

 ロドルフ・ジェニミスだ。彼が怪我を防いだのはそれだと言っていた。彼の言葉は気になるものばかりで何一つわからなかったのだ。


「そ、その魔壁って誰が俺にかけた魔法なんですか?」


 春也は訊かざるを得なかった。


「うーん、それはソラさんから聞いた方が良いかもしれません。それでよろしいですか? ソラさん」


 宇宙は黙って頷いた。


「じゃあそういうことで、春也くんは後でソラさんから聞いて下さい」


 宇宙と目が合う。その眸は強い決心を抱いているようなそんな雰囲気を纏わせていた。


「さあ! 長らく話したことですし、そろそろお開きにしましょう。なかなか楽しかったです」

「わかりました。帰ろうか宇宙」

「うん」


 春也たちは席を立ち、テーブルには飲み干したコーヒーカップが二つ淋しげに並ぶだけ。


「本日はありがとうございました。学園祭の件も本当にありがとうございました」

「そんなにかしこまらないで下さい。またいつか会えるといいですね」


 そして、春也と宇宙はレンの喫茶店を後にした。まだ日は高い。じりじりと照りつける太陽の光がいつもより暑く感じた。家に着くまでは言葉は交わさなかった。焦ることはない、帰ってからで十分なのである。確かに会話はなかったが、自然と気まずくはなかった。

 そうして家に着いた。鍵を回し、ドアノブを回す。部屋の中は静謐で温かく感じた。

 リビングのソファーに並んで座る。宇宙は一転を見つめ、何も語らない。

 春也は、宇宙の左手をそっと握った。その瞬間、肩の力が一気に抜けた。そのうち、詰まっていた言葉がポロポロとこぼれ落ちた。


「あのね、春也。心して聞いてくれる?」


 その日の衝撃は今まで一番で、きっと俺は一生忘れることはないだろう。

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