第8話 彼女の悩みのタネ

「どうかね、彼の様子は」


 意識のない患者に対しての態度とは思えないくらいの陽気な調子で病室に入ってくる医師は、校舎の屋上から落下した少年の担当医である。


「特に変わりはないわ」


 振り返りながら医師の言葉に返答した真紅の長髪の女性は彼の古き友である。


「まあ、そんなに早期に覚醒してもらってもこちらとしては少々困るのだが……で、どうだい? 彼は」

「そうね。ひとつだけ、わかったことがあるわ。それは––––」

「……失礼します」


 女性の台詞を掻き消すかのように、突如、病室のドアが音もなく開き、一人の少女が入室する。

 少女は医師の他に見慣れない人がいるせいか、目を丸くして立ち尽くしている。


「おや、君かい。怖がることはない。この人は僕の友人だよ」


 そう言われ、少女は小さな声で挨拶し、小さく会釈をした。


「この娘は誰かしら?」

「ああ、この娘は彼の親族だ」

「ふーん、親族ね……。はじめてね、よろしく」


 女性は小さく会釈をすると、少女もそれに合わせてもう一度会釈をする。少女は彼女から発せられる雰囲気に只者ではないと感じた。


「あの、先生。彼の様子は……」

「今のところは心配しなくても大丈夫だよ。そのうち目を覚ますさ」

「そう、ですか……ありがとうございました」


 そういって少女はそそくさと病室から出て行った。


「あら、何か遠慮させてしまったみたいね。……で、話の続きだけれども」

「そうだったね。で、話とは?」


 女性は話が誰かに聞かれてないか廊下を見ずに廊下を確認し、誰もいないことが分かった上でようやく語り始めた。


「彼の服に付着していたあの残留魔力……少なくとも人間のものではないわ」


 医師は目を開き、驚いた。


「人間じゃない? では神様とでも言うのかい?」

「ええ、その通りよ。おそらく」

「……似ているのか? 彼女に」

「……びっくりするくらい、ね。でも、完全に彼女と同じではないわ。あの娘も」

「え? あの少女も神様なのか⁉︎」

「かもしれないって話よ。神様だとしても同じ部類ではないわ。何種類か存在すると聞いた事があるわ」

「そうなのか……それを知ってるのは他にいるのか?」

「あの場にいたあなた以外全員よ」

「えぇ⁉︎ ちょっと待ってくれよ。流石にそれはないだろう!」

「だってあの時あなた、自分で一人になったじゃない」

「それはお前らを助ける為にだなあ……って感謝の一つくらいしてくれてもいいじゃないか」

「感謝はしているわ。それより、話を戻しましょう」


 徐々に気を落としていくのを見て呆れたのか、無理やり話を戻そうとする。


「……で、何の話だっけ?」

「彼とあの娘が人間ではないと、確定できるかもしれないわ」


 とぼける医師を無視して言いたいことを言い続ける。


「そうね、三日ほどくれるかしら。そうすればなにか分かるかもしれないわ」

「分かった。では何かわかったら連絡してくれ」

「ええ、それではまた」


 女性は背を向けると、徐々にその姿が透けていき、やがて透明になり消えてしまった。

 それは春也が病院で目を覚ます四日前の出来事だった。



 今朝の春也は寝覚めが悪かった。ソファーで寝ていたというのもあるが、一番の原因は宇宙にあった。

 春也が起きた時には既に宇宙は家にいなかったのだ。少しでも何か話せたらと思っていた春也にとってあまりにも不条理だった。自分自身が自己中心的であることは十分に理解している。

 それでも、少しでもしっかりと向かい合って話さない限りは何も進まない。全てを理解できるとは到底思えない。

 おそらくまだ俺の知らないことがたくさんある。きっとまだ隠していることがあるという疑念が頭から離れない。

 もしかしたら、それは自らの想像を絶するものかもしれない。だとしても、俺は宇宙に聞かなくてはならない。その事実を、その真実を。



 まだ明るい住宅街の路地。

 宇宙は思いつめた表情でゆっくりと帰路についていた。

 宇宙は春也が心配だった。

 そして、ひとつの疑問が頭に浮かぶ。『誰が邪魔をしたのか』それは、宇宙の不注意でもない、第三者の関与を示唆していた。

 宇宙は考えたが、思い当たる節は何もない。強いて言うならば、自分と同等かそれ以上の存在だ。しかし、宇宙には検討もつかなかった。

 不意に、通り過ぎた電柱の陰から、只ならぬ魔力を感じた。宇宙ほどではないがそれでも、警戒すべき大きな魔力を感じた。

 思索に耽っていた宇宙は我に返り、電柱を見つめ、


「誰? そこにいるのは」


 宇宙に言われ、物陰から出てきたのは真紅の長髪の綺麗な女性だった。


「あら、よくわかったわね。幻惑魔法は得意なのだけれど」


 女性は妙に冷静で、まるで初めから見つかるのが分かっていたかのように。


「あれだけ大きな魔力が放出されてれば誰でも気付くよ。で、何の用なの?」

「別に大した用事ではないわ。いつでもいいからここに来て欲しいのよ。彼も連れてね」


 そう言って一切れの紙片を手渡す。


「これは?」

「私の学校の住所よ。そこでじっくりあなた達とお話がしたくてね。そう言えば自己紹介がまだだったわね。私の名前はマリー・グラディウス。適当に呼んでちょうだい」

「私の名前は宇宙」

「宇宙さん……ね。では、ちゃんと彼と一緒に来てね。それではまた」


 と、それだけ言い残して影の中に消えていった。

 これでまた一つ、宇宙の悩みのタネが増えてしまった。

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