第7話 真実の絵本

 誰もいなくなった病室で俺は一人ため息をついた。

 何がどうのように俺たちに関係しているのかわからない。未だ謎の多いあの医者も、謎の多い校長も、わからないことばかりである。その二人が死神や守り神を知っている理由も気になる。

 だが今は、あまり聞かない方が良いのだろう。なぜかそんな気がした。

 突然、ノックもなしに病室の扉が静かに開く。事の主は看護婦だった。


「春也君。退院の手続きが済んだわ。あとはあなたが受付けでチェックするだけよ」


 長い茶髪で、後ろで髪の先端だけを結ってある。彼女はとても好意的だった。


「あら、何か寂しそうね。もう少しここにいてもいいのよ?」


 冗談混じりなのがすぐにわかるくらい微笑んでいた。


「冗談はよしてください」

「あら、そう」


 クスクスと笑い、「それじゃあ」と、だけ言い残し、病室を出ていった。

 彼女が出ていった直後に身の回りの支度を始めた。

 病室の窓から見える夕刻になりかけている空をしばらくの間眺めてから、病室を後にした。


 やはり病院の廊下は物寂しく、冷たい。

 窓際は全て病室にあてられているので、当たり前と言えば当たり前なのである。

 しかし、それでも清潔感を思わせる白色はどこか寂しく、空虚な部分があった。少しだけ病室が恋しくなった。

 俺は少し扉が開いている病室を見かけた。そっと近付いて気付かれずに閉めてやろうと思って近ずくと、中から聞き覚えのある声が耳に届いた。見なくてもわかる、ロドルフだ。会話したのは先程なので記憶は鮮明だ。何を話しているのか気になり、あまり好きでもない盗聴をした。

 会話と言うよりかは、読み聞かせをしていた。絵本をベッドに寝ている女の子に読ませてあげていた。読ませていた絵本のタイトルは『まほうつかいととけいとう』だと思われる。俺はそのタイトルを聞いたことがなかった。

 普通、医者はここまで患者の面倒を見ない。その姿を見た俺は少しだけ彼に感心した。

 受付けでチェックを済ませた後、俺はすぐさま雅人に電話をかけた。


『もしもし、春也?』

「ああ。今日で退院できたみたいだ」

『よかったじゃん! すごく心配してたんだからね』


 俺は雅人が自分のことのように喜んでいたことに感謝する。


「急で悪いんだけど、休んでた授業分のノートを見せてくれないか?」

『そういうことならオーケーだよ。今から行くよ』

「さんきゅ。恩に着る」

『はは、いつ時代の言い方だよ。それ。……一ついいかな?』


 急に雅人の声のトーンが変わったので、固唾を飲む。


「ああ、いいぜ」

『なんかね、宇宙さんが春也が意識不明になってから全く学校に来なくて、愛衣ちゃんによると、部屋にこもりっきりになってるらしいんだよ。すぐにとは言わないけど元気付けてあげてね』

「そうか、わかった」

『うん、それこそ春也だよ。じゃあまた後で』

「本当にありがとな。それじゃあ」


 電話を切り、再び静かになった空間がやけに涼しく感じた。

 もしかしたら、宇宙を元気にしてやることで屋上でのことについて何か聞き出せるかもしれない。それと同時に、心のどこかで純粋に宇宙に対する感謝の気持ちとして、元気付けてあげたいと、思っているのかもしれない。


「ただいま……ん?」

「おかえり! お兄ちゃん」


 家に帰ってきた春也を出迎えたのは静寂ではなく、愛衣だった。

 もともと一人暮らしをするときに、叔父さんに合い鍵を渡す、というのが条件だったので、愛衣はいつでも俺の家に出入りすることができる。


「た、ただいま……ってなんで愛衣が俺の家にいるんだよ」

「ちょっと、そんな言い方はないでしょ?せっかく愛しの妹が今夜の晩御飯を持ってきてあげたというのに」

「まじで? 飯どうしようか悩んでたんだよ。さんきゅな」


 リビングのソファーに座り、テーブルの上にある鍋を見て、改めて気の利く妹に感謝する。毎度の事だが、何かと助けてくれているのは本当に感謝しているし、その分申し訳ないと思っている。


「そういえば、雅人から宇宙の元気がないと聞いたんだが、その……どうなんだ?」

「どうって……なんかショック受けたみたいで全然元気がなくて……。今はまだ話しかけないほうがいいかもしれない」

「わかった。頃合いを見て話すことにする」

「うん、それでいいと思うよ」


 妹の笑顔に無慈悲の優しさを感じ、ありがたみを実感せざるを得なかった。

 直後、インターホンが鳴る。

 ドアを開けるとそこには雅人ではなく亜紀乃がいた。


「え……亜紀乃?」

「寺下さんの代わりに授業のノートを持ってきたのですわ」

「えぇと、ありがとう」


 彼女を家にあげて、リビングへと招く。そこに、愛衣もいるので三人で話す形になった。


「雅人はどうしたんだ? 俺は雅人に連絡したはずなんだが」

「急に家の用事ができたと言って、行けないから代わりに頼むとお願いされたのですわ」

「そうなのか。まあ、いつものことだけど」


 実際、雅人は家に呼ぶときや、遊びに行くときも大概、実家の用事と被ってしまう。現在の雅人が住んでいる家は、実の家ではなく、もっと立派な日本家屋、むしろ屋敷と言っていい場所に住んでいた。

 今は、仮にこちらに来ているらしく、時々、実家に帰っては後継ぎとしての仕事をしてるとかなんとか。


「そういえば、肝心なことを忘れていましたわ。はい、ノートですわ」


 自分のバッグから何冊かノートを手渡した。


「ありがとな」

「構いませんわ……それはそうと、宇宙さんは大丈夫でしょうか」

「大丈夫だと思う。そのうち元気になるさ」

「そうですか……わかりました」


 強気に話しているが内心では酷く心配していた。

 少し気を落としていた亜紀乃も、愛衣と話すうちに落ち着き、夜も、もう遅いので亜紀乃は家に帰った。また愛衣に感謝することが増えてしまった。

 今度何か奢ってやるかな……


「え、お兄ちゃん何か奢ってくれるの?」

「うえぇ⁉︎ 声に出してた?」

「うん、それはもうばっちりと」

「さいですか……」


 不意に、愛衣のケータイが鳴り、電話にでる。


「もしもし、お父さん? ……うん……うん、わかった」


 通話が終わり、電話を切り、ポケットにケータイをしまい、立ち上がる。


「なんかね、わたしの荷物が向こうの島から届いたみたいだから手伝え、だって」

「そうか悪いな。こんな忙しい時に」

「ううん、そんなことないよ。じゃあ、宇宙さんによろしく」

「ああ、本当にありがとうな」


 家を出て行く愛衣に見送りその日は特に何もしないで、宇宙にも話しかけず、休むことにした。

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